第43話

「すまないな、仕事が押して遅くなった」


 夜、イオリスの部屋でお茶を飲んでいると、宰相がやって来た。約束の時間をいくらか過ぎている。昼間ラディオと共に街へ出た後に宰相は仕事をしていたらしい。今俺がイオリスの部屋にいるのは、昼の別れ際に、夜ここに来るように言われたからだ。


「急に、僕の部屋に集合なんて何かあったの? セラフィス様」


 イオリスは宰相に対しても安定のタメ語だ。でもちゃんと「様」を付けているのはそういえば初めてかな。一応イオリスにも偉い人を敬うって心はあるみたいだ。


「コウキ殿を悩ませている件でな。これに関してはイオリス殿も無関係ではないだろう?」


ちらりと向けられた視線にイオリスが口を噤む。


「さて、早速本題に入るが。コウキ殿、実は以前あなたが作ったリバーシ(オ〇ロ)とトランプが王城内で流行っていてな」

「えっと、そうなんですか?」


急激な話題の転換に付いていけない。俺の悩みの件と言わなかった?

 この世界に来て最初のころに作ったペラペラの紙のリバーシが、誰が作製したのかいつの間にか見栄えの良い木製の本格的なゲーム盤に成長していたのは俺も知っている。その後はそれなりに忙しくなってあまり触れることが無かったから忘れていた。


「それらを王城の土産として商品化しようと思う。街の人間にも良い娯楽になるだろう」


そこで宰相が爽やかな(はずなのに、どこか黒い)笑みを浮かべた。


「ここからが重要だ。コウキ殿とイオリス殿で、教会のモルガ殿に、そのゲームを教えて欲しい。そうして彼女が相手にする貴族たちに広めれば、あっという間に城下で流行するだろう。そうすれば王城の財政も潤う」

「え、でもすぐ真似して同じようなもの作れちゃうから、そんなに売れますかね?」

「真似されても構わない。むしろそれでゲームが広がるのならその方が良いな。新し物好きな貴族は流行のものはこぞって買うだろう。王城の公式商品だから、それなりに値の張る品にするつもりだ。グレードを下げた一般にも手が届くような価格設定のものも、のちのち用意するつもりだ」

「はー、なるほど」

「ただ、問題なのは、大っぴらに王城とモルガ殿に繋がりがあることがわかるのは困るのだ。あくまでさり気なく広げないといけない。そこでコウキ殿に頼みたい。モルガ殿に『友人として』ゲームを教えて欲しい。それとイオリス殿は今大手を振って教会に足を踏み入れられる立場だからね。打ち合わせが必要な時には伝令役を頼みたい」

「サナに会うという名目で僕が教会に行くのは可笑しくはないね。街の噂としても、元老の希望的にも」

「そういう事だ。そしてゲームを販売した利益の一部をコウキ殿に還元する」

「は? なぜですか?」

「あなたが作ったゲームだろう?」

「いや、俺は元の世界のゲームを再現しただけで俺が考案したわけではないです」

「そうだとしてもあなたが居なければ存在しなかったゲームだ。無から利益は産まれないからね」


そう、なのかなぁ、いまいち納得がいかなくて首を傾げる。なによりこの世界でこれ以上お金を稼いで何になるのか。俺の疑問を汲み取ったのか、宰相が苦笑した。


「あなたは本当に欲が無いな。売り上げの一部から定期的にコウキ殿の取り分を計上する。それをどう使うかはあなたの自由だよ」


いやでもその収益を貰ったところで俺はその頃にはこの世界にはいない。


「うん。良いんじゃない? しばらくそれなりの額が入るならサナの生活費になるし」


隣で呟いたイオリスに顔を向ける。


「鈍いね。今の話題は『君の悩み』を解決するための話だってセラフィス様は言ったろ?」


あ、と思い出して宰相を見る。

 つまりサナを身請けした後の話をしているのか。俺がそばで見守ることは出来ないけど、それなりのお金があれば少なくとも生活の一助にはなる。王城で動く金だ。その内の一部でも庶民が暮らすくらいは出来るだろう。


「政治の要職にある私が、王城に次ぐ権威を持つ教会に不用意に近づくのは好ましくない。そのためサナさんが聖職者のうちは私は大っぴらに手を出せない。でも彼女が教会から離れれば別だ。私個人としては少しくらい手を貸すことは出来るよ」

「そんな、でも、いいんですか?」


あまりにも俺に都合が良すぎる。


「良いも悪いも、私が一方的に施すわけではない。あなたが稼いだ正当な報酬の管理を一部私が引き受ける、それだけのことだ。たいした手間ではない」


宰相が穏やかに笑う。その時、ポンっと肩にイオリスの手が乗った。


「ま、僕も君の人生を台無しにした罪滅ぼしは、代わりにサナへと返していくとするよ。それに可愛い子が苦しむのは僕も見たくないしね」

「ふ、イオリス殿は素直ではないな」

「何のこと?」


小さく噴き出した宰相にイオリスが口を曲げる。


「コウキ殿、イオリス殿も請け負ってくれたことだし、安心なさい。ミーファにも様子を見に行かせるし、問題は無いよ」

「ありがとう、ございます」


おっとうっかり泣きそうだ。水気が増した目を隠す様に下を向く。あんなに頭を悩ませていた問題が宰相に話したらあっという間に解決してしまった。

 と、白い指にぐいっと両頬を掴まれて強引に顔を上げられた。


「やーい、泣き虫」


正面にはにやにや笑うイオリスがいる。


「……お前ってやつは」


イラッとしてイオリスの服の首元を引っ張る。上手に締まったのか、イオリスがギブギブとでも言いたげに俺の腕をパシパシと叩いた。


「は、ざまぁ」


せせら笑っていると、隣で宰相が肩を震わせて笑いを堪えている。は、しまった宰相の御前だった。でもまぁルーナにはタメ語だったし、今更これくらいで驚く人ではないだろう。


「賢者殿が元気になったようでなによりだ。さて、それからもう一つ」


そう言って宰相がピンと人差し指を立てる。


「あなたの世界に、他にもこちらで作れそうなゲームや娯楽があれば教えて欲しい。継続的に儲けるためには新商品も重要だからな」


なんとも商魂逞しい。昼からこの人の意外な一面ばかり見せられている。


「うーん、そうですね。将棋、チェス、あとはジグソーパズルとか?」


 残念ながら囲碁はルールが解らない。いつの間にか涙は引っ込んでいて、新たなゲームに目を輝かせる二人に、へたくそな絵で図解しながら説明をすることになった。




 自室に戻ったのは深夜だった。静かにドアを開けたつもりだったが、エルが顔を出した。


「ごめん、起こした?」

「いえ、まだ寝ていませんでしたから」

「そっか。なあエル。もし迷惑でなければ少し話していい?」

「ええ。構いませんよ」

「うん、あのさ」


続きを言葉にするには、少し勇気がいる。でももう決めたんだ。


「俺、イオリスの魔法陣が完成したら、すぐ元の世界に帰るよ。本当はもっと皆と過ごしたい気持ちもあるけど、結局いつかは帰らなきゃいけないし。だから気持ちが揺らがないように帰る日は決めとこうと思って。あと少しだけど、残りもよろしくな」


右手を差し出すと、少しの沈黙の後エルは握り返してくれた。彼は笑顔を作るのを失敗したような顔で、申し訳ない気持ちになる。でもそれだけ寂しがってくれるのがほんのちょっと嬉しい気持ちもあって、繋いだ手に力を込めた。


「じゃあ、遅くに引き留めてごめんな」


手を放して、そのまま自室の扉を開ける。笑顔を作ったつもりだけど、もしかしたら俺も失敗していたかもしれない。

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