第42話
リアナさんの案内で部屋に入ると、教会の来賓室にはすでにモルガとシェールがいた。慣れない場に緊張した様子のシェールに軽く手を振ると少しだけ表情が柔らかくなる。
「初めまして、モルガさん、シェールくん。ルーナと言います。よろしくお願いします」
にっこりと人の良さそうな笑み(あの宰相が人の良さそうな笑みだ)を浮かべたルーナに、シェールが少し安心したのか力を抜いた。
リアナさんに勧められて腰掛ける。初めて入った部屋だが、豪華な調度に、高そうな机にこれまた高そうな椅子だ。クッションが良すぎて逆に落ち着かない。ルーナが教会側の人間に座るように勧めると皆が着席した。
「すでにお知らせしていますが、シェールくんを王城で雇用したく伺いました」
そうしてルーナはシェールについて俺に聞いていたこと、シェールの絵を見て図譜の挿絵の描き手として雇いたいことを話した。
半信半疑の顔で聞いていたモルガが俺を見る。頷くと、モルガの顔が泣きそうに歪んだ。
「というわけで、シェールくん。私たちのために絵を描いて頂けませんか? 無理のない範囲で構いませんし、場所もここで良いですよ。描いてもらいたいもの、必要な物は私たちが届けます。もちろん王城にアトリエが必要であれば用意しましょう」
「あ、あの、でも僕、お仕事したこと無いし」
「誰だってはじめはそうですよ。やってみて難しそうなら辞めても構いません。一度お手伝いしていただけませんか? それにね、最近他国で作られた新しい絵の具を仕入れたんです。今までに見たことの無い、いろんな色があってきっと楽しいですよ」
相変わらずにこやかに(本性を知っている俺としては含みのある笑みにしか見えない)笑いかけたルーナに、シェールが困ったように俺を見る。
「大丈夫だよシェール。怖くないよ」
宰相はよくも悪くもビジネスライクだし、もし上手くいかなくてもシェールをむやみに傷つけるようなことはしないだろう。その辺りの人間性は信頼している。
「わ、わかりました。やってみます」
頷いてくれたシェールに胸を撫で下す。
「シェールくんも承諾してくださいましたが、いかがですかリアナさん、モルガさん?」
モルガがリアナさんを見ると、リアナさんは少し笑って頷いた。
「ええ。ぜひお願いします」
モルガは今にも涙が零れそうだ。思えば彼女がこんなに動揺しているのは初めてだ。これが本当にシェールにとってベストな方法だったのか、俺自身が見届けられないのが少しだけ悔しい。でも二人の役に立てたのなら嬉しい。
「良かった。これで俺も心置きなく帰れる」
思わず漏れた呟きに、モルガがこちらを見た。
「コウキ、帰るとはどういうこと?」
「俺、もうすぐ元にいたところに帰るんだ。もともと王城には一年間限定で世話になってたんだよ」
「それは、遠いの?」
一度驚いたように目を瞠り、それからすぐに静かな声が響く。多分モルガはもう俺の意図を正確に理解している。
「もうここには来られない」
「コーキ、それって、もう会えないってこと?」
横からシェールの声が響く。
「な、何で? 僕もっとコーキと遊びたいよ」
「ごめん」
こればかりは謝ることしか出来ない。言い募ろうとしたシェールをモルガが止めた。
「やめなさい」
「だって」
「良いから」
姉の真剣な様子にシェールが黙る。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。先ほどのお話とても光栄に思います。よろしくお願いいたします」
モルガが立ち上がって膝を付く。いつか見た貴族のお姫様の様なその姿は、ほんの少しだけ肩が震えているようにも見えた。
「具体的な動きはまた別途ご相談しましょう。今日のところはこれで失礼いたします」
ルーナが面会の終了を告げる。
「あの、サナにも挨拶したいからまた来るな」
「あの子にも伝えておくわ」
モルガが頷く。それから別れるまで、モルガが動揺を見せることは無かった。
教会を出た後、改めてルーナに礼を言った。
「いえいえ、礼には及びませんよ。私も良いものを見ました。噂通りモルガさんはお美しいですね」
「なにー? ルーナってああいう美人が好み?」
ラディオが茶化すとルーナがにっこりと笑う。
「ええ、とっても」
あっさりと肯定され、ラディオが目を丸くする。
「麗しい外見に、美しい所作、感情のコントロールも行き届いている。言葉も貴族の発音でしたね。彼女は貴族の出ではないはずですが」
「モルガは、言葉は相手によって使い分けてるって言ってたよ」
俺が言うと、ルーナは、なるほど、と呟いた。
「貴族の発音は、以前ラディオにいくら教えても身に付かなかったのに」
「ちょっと、ルーナ」
横でラディオが顔を顰める。
「ますます良いですね。聡明で、それでいて情が深い。私、そういう女性は大好きですよ」
さらに笑みを深くしたルーナに、背中に寒気が走る。これ、絶対「女性として好み」とかそういう話ではないだろ。隣でラディオも呆れたようにため息をついている。
そんなことより揚げパンを食べに行きますよ、とウキウキのルーナに連れられて城下を歩く。道に迷いが無いのに、慣れているであろうことが伺えた。
「ルーナってもしかして結構な頻度で街に出てるの?」
「最近はそうでもありませんよ。一年に数度です」
「昔はしょっちゅう付き合わされてたよー」
「さすがに一人で出歩くのは危険ですからね。それにラディオは街に詳しいですから。なにより独りでは寂しいでしょう」
素直だな、この人。そういう事を口にするのに戸惑いが無いところに老獪さを感じる。
結局三人で揚げパンを食べて、その後王城へ向かいながらいくつか店を冷かした。ルーナに奢って貰った揚げパンはとても美味しかった。
王宮の入り口で、ラディオと別れた。ルーナが何事か小さく唱えると、一瞬で髪がいつもの銀糸に戻る。魔法って本当に便利だ。口をぽかんと開けて見ていると、宰相に笑われた。慌てて口元に力を入れる。
それにしても髪が銀に、瞳が薄青色に戻った途端、凄みが増した気がする。宰相の平伏したくなるような美貌はこの氷の様な色合いも関係しているようだ。
「宰相の鼠ってラディオもですか?」
ふと思いついて隣を歩く宰相に耳打ちする。ミーファとルイのようにラディオも裏で暗躍していたりするんだろうか。
「いや、私がラディオに手を回したのは、王立学校の入学までだ。ラディオは正真正銘騎士団の所属だよ。時々、今日のように『友人として』付き合って貰ってはいるが」
「あ、そうなんですね」
「ただ、十五年前、ラディオに壁外を案内して貰った時にとても助かったから、子飼いの鼠を作ることにした。生きた情報は地元の人間に任せるのが一番良いと気付いたのは彼がいたからだ」
宰相の口元が笑みを作る。ラディオへの信頼は厚そうだ。
それにしても今の宰相と、さっきの「ルーナ」のキャラ設定の落差に感心するべきなのか呆れるべきなのか。いまいち決めきれない複雑な心境で、なるほど、と相槌を打った。
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