第40話

「と、いうわけで、おそらくビタミンDの不足で怪我人が多いんだと思います」


 翌日、宰相とスフェンを相手に鉱脈の視察の話をした。


「ありがとうございます、助かりました」


スフェンが丁寧に礼をしてくれる。俺はただ学生時代に学んだことを披露しているだけなのに、俺の手柄のように感謝されるのは嬉しいけれど少しだけ居心地が悪い。


「さて、コウキ殿。やけに疲れているようだね。うっすら隈も出来ている。今回は馬車移動も無かったはずだけれどどうした?」


宰相が俺の顔を覗き込む。


「え、あ、ちょっと考え事していて眠れなくて」


 昨晩エルと別れた後、ベッドの中でサナの身請けのことを考えていた。残りの期間で、俺がサナやシェールの助けになれる事はあるだろうか。悩み過ぎてなんかもう腹が痛い。


「コウキ、右手を出してください」


スフェンに言われて素直に従う。俺の手を握って彼が何事か唱えると、すぐに体がすうっと軽くなった。どうやら回復魔法を使ってくれたようだ。


「多少顔色も良くなったし、考え事とやらの内容を訊こうか、コウキ殿」

「いや、俺の個人的な話なので、宰相の手を煩わすような大したことじゃないです」

「大したことかそうではないかは私が判断する。とりあえず話してみなさい」


少し強引に促してきた宰相に、話すべきか悩む。でも宰相なら何か良案を出してくれるかもしれない。結局、サナとシェール、モルガについて話した。彼らの為に何か出来ることが有るのなら労力は惜しまない。

 最後まで静かに話を聞いてくれた宰相は、ふっと微笑んだ。


「あなたの悩みの、ひとつは軽減出来るかもしれない。ちょうどシェールくんを雇い入れることは可能か相談しようと思っていたんだ」

「ふぇ?」


あまりにも想定外で、口から変な音が出る。そんな俺に少し笑った宰相が続けた。


「実は、あなたに教授頂いた知識も含め、博物図譜を編纂しようと思っている。そこに載せる挿絵をシェールくんに描いてもらいたい。以前見せて貰った彼の絵は非常に精巧だったからね。本当はコウキ殿の世界の『カメラ』の様なものがあればいいのだが、残念ながら我々の文化があなた達の世界の水準に達するにはまだまだ時間が掛かりそうだ」

「でもシェールは、知的障害、いえ、知恵遅れ、ですよ」

「彼の画力は他と違うからこそ授かった才能かもしれないのだろう? ならば使えるものは使うのが私の主義でね。もちろん、事情は汲んでいる。出来るだけ彼の意向に沿うように、負担にならない方法を考えたいと思うが、どうだろうか?」


 それはとても良い提案に思える。他の人と違うと泣いたシェールだ。みんなと同じように仕事で収入を得られれば彼の自尊心も高まるかもしれない。


「本当にいいんですか?」


興奮して訊き返すと、スフェンが穏やかに付け足した。


「王城の御用絵師ともなれば、その立場がシェールくんに手を出そうとする人間への牽制になりそうですね」

「そっか、そういう効果もあるのか。そしたらモルガの負担も減るよな」


なんだか急に色々な事が良い方に向かった気がする。相談してみて良かった。さっきまで一人でぐるぐると悩んでいたのが馬鹿らしい。何事も声に出してみるもんだ。


「ありがとうございます、宰相」

「礼は必要ないよ。これは双方に利益がある取引だ。なにより我が国の大事な『賢者殿』が、思い悩んで体調が思わしくないのは一大事なのでね」

「賢者殿、って俺の事?」


俺はそんなに大層な存在じゃない。でも宰相が満足そうに頷くので何も言えなくなった。照れ臭いが素直に嬉しい。

 その時、気づいた。もしかしてエルの言う「甘える」ってこういう事なのかな。ここは俺の世界の常識とは違うし、相談すれば違う視点での解決法も模索できる。一人で解決しようとするなんて、俺は自分の力を過信しすぎなのかもしれない。それにもし逆の立場ならたとえ解決出来なくても一緒に考えてあげたいと思う。


「教会には数日中に使者を出す。シェールくんとモルガさん、それから教会の長と面会が出来るように知らせを出しておくよ。詳細を決定するのはシェールくんの意思を聞いてからになるが、面会時には同行して貰えるか、コウキ殿?」

「もちろん、行きます」

「助かる。それともう一つ。サナさんの件も考えておこう」

「えっ」

「賢者殿に心労で倒れられでもしたら、国の大損失だからね。君の心が晴れるなら私は喜んで助力するよ」


悪戯っぽく言った宰相は呆けた俺の頭をぽんと軽く叩いて退室した。残ったスフェンが俺を見る。


「あんなに和やかなセラフィス様は珍しい。貴方の人徳ですね」


言葉の意味を理解するなり耳まで赤くした俺に、スフェンは柔らかく微笑んだ。




「ありがとう」


 お茶を淹れ直してくれたスフェンに礼を言う。そういえばこの世界に来たばかりの頃はこうして二人でお茶を飲むのもそう珍しくなかったのに、最近は他の人も加わることが多いので、二人きりで話すのは久しぶりだ。


「コウキが帰ってしまったら、寂しくなりますね」


俺があえて触れないようにしていた話題を振られてドキリとする。


「そ、だね。俺もみんなと会えなくなったらちょっと寂しいな」

「ちょっと、ですか?」


からかうようなスフェンの促しに、うう、と呻く。


「本当は、ちょっと、じゃなくて、すっごく寂しいよ」


これがただ地球のどこかの国ならお金さえ貯めれば会いに来られるが、異世界ではそうはいかない。帰ってしまえば皆には二度と会えない。


「もうすぐ魔法陣が完成するって聞いて、嬉しい反面、もっと遅くてもいいのにって思ってしまう。イオリスは完成してもすぐ帰らなくてもいいと言ってたけど、でも結局いつかは決断しなきゃいけない。怖いんだ、すごく」


ぎゅっとカップを握って下を向く。


「例えば、コウキはこの世界に残る気持ちは?」

「少しだけ考えたよ。ここは居心地が良いんだ、とても」


へとへとになって働かなくても衣食住は保証されていて、日本では生活の知恵レベルでしか役に立たない知識でたくさんの人を救えて、感謝をされる。

 対して日本では、日々の生活にも苦労していて、就職してようやく安定した生活も、もう会社に戻れるかわからない。俺が持つ知識にたいした価値は付かなくて、大金を稼げる可能性なんて万に一つだ。日本では俺はただその辺の大勢のうちのひとりでしかない。


「でも、向こうには母さんと、家族同然の人達がいるんだ」


捨てるなんて、出来やしない。何を否定したいのかも解らないままゆるゆると首を振る。


「でも、すぐに帰らなくても良いかな、ってどうしても思ってしまうんだ」

「コウキが、少しでも長く残ってくれるなら私としては嬉しいですが、でも一つだけ。生きているか死んでいるかも判らないまま待つのは辛いですよ」

「え?」

「私は、十歳の時に王城に引き取られました。それきり家族には会っていません。両親にはもう思い入れはありませんが、妹が一人います。あまり体の強くなかったあの子が、元気にしているかどうか、それだけがいつも気掛りです。怪我をしていないか病気をしていないか、もし体調を崩しているなら私の魔力を使い果たしてでも治してあげたい。でも今は生きているのかさえわかりません」


一度言葉を切ったスフェンは灰色の目で俺をまっすぐに見た。


「私たちはコウキとちゃんとお別れが出来ます。でも貴方の世界の人達は貴方が今どうしているか知らないでしょう?」

「俺が思う数日より、母さんたちの数日の方が何倍も長いってこと?」

「ええ、私はそう思いますよ」

「そうだよな、ごめん」


俯いた俺に、スフェンが慰めるように俺の肩に触れた。


「貴方を責めたい訳ではないのです。先ほども言いましたがコウキがここに長くいてくだされば私は嬉しいですよ。でも貴方を待つ方たちの気持ちも私には解るのです。顔を上げてください」


言われるまま前を見ると、寂しそうな笑顔のスフェンがそこにいた。

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