第39話
「イオリス、たのもー」
魔石の鉱脈から帰ってすぐにイオリスの元を訪ねた。いつものごとくお茶を淹れ話す準備を整える。
「鉱脈、どうだったの?」
「面白かった! 坑道は迷路みたいになってたし、広いホールは音が響いて、時々掘り残した魔石が明かりにキラキラして星みたいだった」
「それは良かった。で、君の仕事は出来たの?」
「俺の仕事?」
訊き返すと、イオリスが溜息を吐いた。
「君は視察に行ったんだろう?」
「あ、そういうことか。えっと、うん。怪我人が多い原因は当たりがついた。今日は遅いから明日宰相とスフェンに報告に行くつもり」
「つまり今が遅い時間だって自覚は有るわけだ」
「遅いって言っても寝る時間って程じゃないだろ? 女の子じゃないんだから細かいこと気にするなよー」
口を尖らせると、イオリスがまた呆れたように息を吐いた。そのままついと流し見るように俺に視線を向ける。その口元がチェシャ猫のように歪んだ。あ、嫌な予感。
イオリスが俺の耳に掛かった髪を右手で梳く。身を引きかけた肩は逆の手で止められた。
「ここでは、同性でこういうのも珍しくないって言ったよね」
身動きすれば触れるほど近くまで寄ったイオリスの顔が艶っぽく微笑む。右手は俺の首筋を撫で下している。無駄に手つきがエロい。遊ばれているだけだ、とはわかる。解るが。思わず顔が赤くなるのを止められない。それもこれもイオリスが美人なのが悪い。
「んー、君は本当にちょろいよね」
……突然の悪口。そりゃ俺の恋愛偏差値は低いけど、一応彼女がいたこともあるんだからな。一人だけど! 絶対馬鹿にされそうだから言わないけど!
「押せば落ちるのに」
イオリスが囁くように何か言った。
「んあ、何が落ちるって?」
「いや、こっちの話。で、君、僕に何か用があって来たんでしょ?」
何事も無かったように離れていくイオリスに、俺も本題を思い出す。
「あ、そうそう。あのさ、サナの事なんだけど。お前教会に多額の寄進したんだって? 俺、聞いてないんだけど」
「別に君に話す必要はないだろう?」
「あるだろ。確かにお前に頼んだのは俺だけど、でもサナのことは俺の問題だし。なあ、その金、俺の貯金で返せる?」
俺は単に「サナをイオリスのお気に入りにした」って話を聞いて、イオリスが高位の貴族だからだと納得したけれど、考えたらあの教会は寄進に対する『礼』をしているんだ。イオリスが金を払っていて当然なのに、そこまでまったく思考が及ばなかった。考えの浅い自分が恥ずかしい。
「ていうか、いくら払ったの?」
「実は僕も相場がわからなくて、とりあえず噂で聞いたモルガに一回相手して貰えるくらいの金額を払ってみたわけだけど」
それを聞いてさっと血の気が引く。モルガって江戸時代の吉原でいう花魁みたいな存在だろ、一体どんだけの金を積めばいいのか。庶民にはさっぱり想像がつかない。
「でもそのお金は本当にいいよ。君に対する慰謝料ってことで」
「慰謝料って?」
「君が言ってただろ、元の世界で仕事が無くなってるかもって。君の今までの生活と、戻ってからのこれからの生活を僕は助けてあげられないからね。せめてここでの責任くらい取らせてよ」
「珍しく、殊勝だな」
俺が真剣に驚くと、イオリスにキロリと睨まれた。いや、でもあのイオリスだよ。人をおちょくるのを日課にするようなイオリスだよ。
「君、今すごく僕に対して失礼なこと考えてるでしょ」
「そんな事ないけど」
目を泳がせる俺に、イオリスの視線が痛い。
「それより纏まったお金があるなら、それこそサナに使いなよ。あの教会は孤児院も兼ねているから気に入った子がいれば引き取れる。子供の場合は少額で、大人の場合でもそれなりの金額を寄進すれば交渉できる」
「つまり買い取るってこと?」
「歯に衣着せぬ言い方をすればそうだね。子供の場合は子の出来ない夫婦なんかに引き取られるけれど、大人の場合は『奥』で関係を持つ間に情が移るのが大半だ」
要するに吉原で言うところの「身請け」ってやつか。サナを身請けする……俺が? あまりにも現実感が無い提案に頭が回らない。
「そ、れはちょっと不味くない?」
「なんで? 君はサナに『礼』をさせたくないんだろ? だったら彼女に聖職者を辞めさせるのが一番確実だよ」
「それはそうだけど」
「まあ、一生君がそばで世話できるわけではないし、迷うのは解るけどね。まだ時間は有るしゆっくり考えなよ」
「元の世界に帰る魔法陣が完成するまであとどのくらい?」
「予定通り進んでいるからあと二十日掛からないくらいだね。完成したら即帰らないといけないって訳でも無いし、君の決断次第だ。とりあえず今日は視察の疲れもあるだろうからさっさと休みなよ」
「う、ん。わかった。ありがと」
停止したままの思考はどうにもうまく纏まらない。イオリスの言うように今日は大人しく休むことにして、彼の部屋を後にした。
「おかえりなさい」
部屋に戻ると、ドアの音に気付いたのかエルが自室から出てきた。
「あ、うん。ただいま」
じっと俺を見るエルに、俺もなんとなく見つめ返す。サナの身請けの事、エルに相談するべきか。でもこの件は結局俺の我儘で、俺が「どうしたいか」だとさっきイオリスも言っていた。だけど以前もっと頼って欲しいと言われたし、せめて話だけでもしておくべきか。
「コウキ、もしかして体調が悪いのですか?」
自然と下がっていた頭の上から、エルの気遣わし気な声が降ってくる。ああ、また余計な心配を掛けてしまった。
「あ、いや違くて。ちょっと視察疲れ? みたいな。なあ、エル。ちょっと今話していい?」
「ええ、貴方が大丈夫なら構いませんが」
誘われるままエルの部屋にお邪魔する。エルの部屋は物が少なく殺風景だ。よくわからない魔法グッズ的なものがごちゃごちゃ置いてあるイオリスの部屋とは大違いだ。
ベッドに腰掛けるように勧められ、エルは正面に椅子を持ってきた。以前は続き部屋がリビングだったらしいが、今は俺の部屋になっている。なんとも申し訳ない限りだ。
「お茶、飲みますか?」
「さっきイオリスのとこで飲んだばっかりだから平気。エルが飲むなら俺淹れるよ?」
「いえ、それならば構いません。お話とは?」
「あのさ、えっと、」
サナのことを、と思ったけれどやっぱり口からは出なかった。せめて自分の中でもう少し整理してから話をしよう。
「コウキ?」
不自然に途切れた俺の言葉に、エルが促すように俺を呼ぶ。
「あ、うん。あのさ。俺、もう少しで元の世界に帰るだろ」
「そう、ですね」
エルが歯切れの悪い相槌を打つ。もし少しでも寂しいと思ってくれているなら嬉しい。
「それで、今まで世話になったお礼に、なんかプレゼントしようと思ったんだ。視察に行っている間に綺麗な宝石とか見て、買おうかと思ったんだけどなんか俺らしくないしさ。だからエル、欲しいものとかない? どうせなら喜んで貰えるものあげたいなって思って」
少し驚いた顔をしたエルがゆるく首を振る。
「気にしないで下さい。もともと貴方が望んでここに来たわけではないでしょう?」
「そうだけどさ。でも俺はエルに本当に良くして貰ったと思ってるし、俺がエルになんか贈りたいの。ダメ? なんでもいーよ」
食い下がると、エルが少し考えるように視線を伏せた。
「本当になんでも良いのですか?」
「うん。もちろん俺が用意できるものなら、だけど」
「ならば、貴方の、」
「うん、俺の?」
一度途切れたエルの言葉を繰り返すと、エルはまっすぐに俺を見た。
「貴方の世界の物を一つください。値打ちのあるものでは無くて、いいのです。ここには無い何かが欲しい」
「え、そんなんでいいの? 確かにこの世界に無いものならエルも持ってないよな。なんだったら財布とスマホ以外は全部置いていってもいいけど」
「いえ、そこまでは」
「あ、だよな。さすがに俺の服とか逆に処分に困るよな」
パンツとか置いていかれたらプレゼントどころかどう考えてもただの嫌がらせだ。
「ん、わかった。じゃあなんか考えておく」
「お願いします」
見たことのない顔でふわりと笑ったエルは、なんだかすごく嬉しそうで、でも同時に少し悲しそうだった。
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