第38話 スフェン、エルファム、イオリス

 来客をスフェンが迎えに出ると、扉の先にいたのはイオリスだった。特段具合が悪い様子もなく、これは気分転換に来ただけだろうと察したスフェンがイオリスを部屋に入れる。そこにいた先客に、イオリスが首を傾げた。


「エルがスフェンのとこにいるなんて珍しいね」

「騎士団の遠征訓練に治癒師を派遣してもらう打ち合わせをしていたんだ」

「あれ、もしかして僕邪魔? 仕事の話なら遠慮するけど」


眉を寄せたイオリスに、スフェンが微笑む。


「もう話は終わりましたから、大丈夫ですよ。イオリス様にもお茶をお持ちしますね」

「うん、ありがとう」


イオリスが椅子に座るのを見届けて、スフェンは背を向けた。

 ほどなくして湯気の立つカップがイオリスの前に置かれた。スフェンはエルファムと自分の分も新たにお茶を淹れ直している。猫舌のイオリスがふぅふぅとお茶に息を吹きかける。ひとくち口を湿らせて、イオリスが顔を上げた。


「ねえ、エル。コウキのことどうするつもり?」

「どう、とは?」

「何、僕にこれ以上言わせたいの? エルがこんなに過保護なのは、僕以外にはコウキだけでしょ」


む、と口を結んだイオリスに、隣に座ったスフェンが笑う。


「エルファム様に過保護にされている自覚はあったのですね?」

「そりゃあね。だってエルってば僕より早く僕の不調に気付くんだもん。だからもう僕は体調に気を付けなくてもいいかと思って」


イオリスの発言に、エルファムの眉間に皺が寄る。


「おい、イオ。そこは自分で管理してくれ。もしかして食事を抜くのはわざとか?」

「違うよ。研究に集中すると本当に食事を忘れちゃうの。でもさ、僕が倒れる前にエルがちゃんと止めてくれるし問題ないでしょ」

「倒れる前に自分で判断してやめてくれ」


少しも反省していないイオリスに、ますますエルファムが渋い顔をする。


「とんだ甘えん坊ですね。エルファム様は、イオリス様を甘やかしすぎですよ」


スフェンが口を挟むと、エルファムが困ったように笑った。対してイオリスはまったく堪えていない様子だ。


「話を戻すけどさ、ちゃんと口にしないとあの子絶対気付かないよ。ましてコウキはちょっと自己評価が低いからね。俺なんかが好かれるわけない、とか思ってるよきっと」


イオリスは両手で持ったカップから人差し指をぴっと一本立てて指摘する。それを見ながら、スフェンも穏やかに続けた。


「コウキからよくエルファム様のお話を伺いますが、エルファム様はとってもお優しくてまるで『お母様みたい』だそうですよ」


エルファムの顔が固まる。ピシリ、と音がしそうなその様に、隣から笑い声が響いた。


「何それ、超面白い。でもわかるー」


ツボにハマったのか、イオリスが零しそうになったお茶を慌ててテーブルに置く。そのままひーひーと腹を抱えている。


「それとお父様にするなら私が良いそうです。私たち良い夫婦になれますかね?」


にこにこ笑うスフェンに、ようやく動き出したエルファムはカップに残っていたお茶を飲み干した。お茶が熱いのか、はたまた他の理由か、盛大に眉間に皺が寄っている。


「用事を思い出したので、今日はこれで失礼します。スフェン殿、お世話になりました。見送りは結構です」


平静を装いつつ嘘がみえみえの台詞を残してエルファムは立ち上がった。心なしかその姿はぼろっとしている。

 エルファムが部屋から出たのを確認して、イオリスがスフェンに向き直った。


「あー面白かったね」

「笑いすぎですよ、イオリス様」


いまだ笑いの端が残るイオリスを、スフェンが咎める。


「スフェンだって、結構イイ性格してるよね。知ってたけど」

「失礼ですね。私はちょっと発破をかけただけですよ」


ふふっと上品に笑ったスフェンに、イオリスが「黒い」と呟く。その声を笑顔で黙らせて、スフェンが言った。


「二人が上手くいくと良いですね、と言いたいところですが、難しいでしょうね」


ふぅ、と小さく息をついたスフェンに、イオリスも頷く。


「そうだね。エルには可哀想だけど、コウキが元の世界のすべてを捨てるほど心を残しているものがこの世界にあるとは思えない。エルのことは気付いてもいないしね」

「そもそも一つの感情を優先してその他すべてが見えなくなるタイプではないでしょう、二人とも。まあ、エルファム様が振られたらせめて慰めてあげましょうかね」

「エルの事だから振られもしないよ。たぶん何も言わないで見送るんじゃないかな」


スフェンが首を傾げる。視線で先を促されて、イオリスは少し真面目な顔をした。


「エルは自分がコウキのためにすべてを捨てられない自覚があるから、相手にもそれを求めはしない。そして自分が告白したらコウキが気にするのを恐れて口を噤むよきっと。コウキは真摯に向けられる感情からは逃げないお人好しだからね。そんなの僕よりエルの方が知っているだろうから、コウキが元の世界に帰るのに邪魔になるようなことはしないさ」

「イオリス様は意外と良く見てらっしゃいますよね」

「僕は臆病だからね。人間観察は得意なんだ」

「いつも自由に振舞うくせに良く仰る。でもその臆病さは貴方の優しさでしょう」


イオリスが飲みかけのお茶を気管に入れて咽る。ごほごほと咳こむイオリスを横目にスフェンが口元を持ち上げた。


「おや、動揺しました?」


自分に向けられる不満げな視線をものともせず、スフェンはクスクスと笑う。


「貴方がいればコウキが帰った後もエルファム様の心配をしなくても大丈夫そうですね。イオリス様も十分エルファム様にお甘い」


イオリスが一度小さく息を吐く。


「そりゃ、長い付き合いだからね。僕はエルの次ぐらいにエルのことを知ってるよ。だからこそ、もっと馬鹿になっちゃえばいいのにって思うよ」

「そんなこと言って、もしエルファム様がコウキに付いて逆に異世界に行ってしまったりしたら寂しいでしょう?」

「それはそうだけど。でもエルが行きたいなら止めないよ。僕はこう見えてバッドエンドは好きじゃないんだ」


さも驚いた、と言うようにスフェンが片眉を上げる。


「意外と大人なんですね、イオリス様」

「スフェンは僕のことなんだと思ってるの」

「ちょっと揶揄いすぎましたか? すみません」


 半眼で睨むイオリスに、スフェンは穏やかに笑うだけだ。イオリスはテーブルに両肘をついて手を組み顎を乗せた。しばらく何事か考えていたが、そのまま上目遣いにスフェンを見上げる。


「でもまあ、この僕が関わるんだからハッピーエンド以外ありえないよ」

「何か企んでいそうな顔ですね」

「さあ、どうだろうね?」


どこか楽しそうなスフェンに、イオリスは悪戯をする子供の顔で返事をした。

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