第35話
一段落ついて、スフェンがお茶を淹れてくれることになった。それを待つ間ふと疑問に思って宰相に尋ねる。
「ミーファ達の事、ユークとスフェンはともかく、俺に教えてよかったんですか?」
「あなたは彼女たちの事を言いふらしたりはしないだろう?」
「それはそうですけど。でも諜報っていうのは内密であるから価値があるのでは?」
「私は、コウキ殿が自分で思っているよりあなたのことを買っている。もしあなたに教えることで不利益になることがあるのなら、それは私の見る目が無かったと言うことだ。まあそんなことになる心配はしていないが」
意味ありげに俺を見る宰相に、顔が赤くなる。俺はそれなりに宰相に信頼されているってことだ。うわあ照れる。ユークがそんな俺を見てにやにやしているのがちょっとムカつく。
そうこうしている間にスフェンが戻ってきた。礼を言ってカップを受け取る。
「さて、それでは改めまして仕事の話をしましょうか」
一同の顔を見渡して、宰相が言った。
「西方の一部の地域で、下腹部が膨れ、皮膚に皺が出来たり、頭髪の色が褪せたり抜けたりする症状がある幼児がいるようです。物事に無関心になったりすることもあるようですね。コウキ殿、何か心当たりはありますか?」
「その地域の食生活を調べないと何とも言えないですが、でも聞く限りはクワシオルコルの可能性が高そうかな。もちろん食事には関係ない病気の可能性もありますけど」
「それは?」
「タンパク質が足りないことによって起こる栄養障害です。手足がむくみ、皮膚が乾燥し、毛髪にも異常が現れます。また腹水が溜まることによって下腹が大きく膨れます。体が弱まり伝染病にも掛かりやすくなります。ただし体を動かすエネルギーとなる炭水化物は足りているので、極端に痩せることは多くありません。
俺の世界では、食事にタンパク質が少ない地域で、次の子供が産まれたために早めに授乳が無くなった幼児が、母乳からのタンパク質が得られないために起こりやすいと言われています」
クワシオルコルは現在の日本ではあまり見られない症状だ。テレビなどで発展途上国の子供でお腹が膨れている子を見かけるが、この栄養障害の可能性がある。
「なるほど。これからは症状のほかに生活環境も報告させる必要がありますね。今回の事例は生活地域が砂漠地帯です。獣肉や魚が少ない可能性が有る」
宰相がテーブルに広げた地図を見ながら呟く。
「各地で起きている症状と、周辺環境、食生活を調べて一覧にすれば、何か共通点が見つかるかもしれませんね。コウキにいつまでもアドバイスを貰えるわけではありませんから、私たちでも解決できる方法を探しませんと」
スフェンが同じように地図を覗きこんで言った。スフェンは今までに俺が話した病気や栄養欠乏についていつも丁寧にメモを取っている。俺の持つ知識が少しでもこの国に役立つなら嬉しい。同時に、俺がいつまでもこの世界にいられないことを改めて自覚させられる。帰りたい、と、帰りたくない、気持ちが今の俺の中には同時に存在している。地図を覗き込む人たちの上でひっそりとついたため息は、ユークにだけは気付かれてしまった。こちらを向いた視線に笑みを返すと、ユークは何も言わないでいてくれた。
地図のある場所を指さしてスフェンが俺を見る。
「北の魔石の鉱脈で怪我が極端に多いことが報告されています。他の地域の鉱脈より明らかに患者が多いのです。北の鉱脈は産出量が多いので国としても重要です。治癒師を常駐させていますが、毎日のように患者が来るそうです。魔石を掘り出すのは肉体労働ですから、怪我はある程度仕方のないところではあるのですが、それにしても何度も同じ人間が来るのは可笑しいと現地から報告が上がっています。治癒師の増員希望が上がっていますが、何かしら原因があるのなら突き止めたいですね。治癒師は数が少ないので気軽に派遣は出来ませんし」
スフェンは王城の治癒師のトップだ。治癒師団の人事も彼が握っている。
怪我をしやすいということは骨粗鬆症だろうか。例えばカルシウムが極端に少ない食生活を送っている? でもさすがにこれだけでは断定出来ない。
「うーん、ちょっとそれだけじゃ何とも言えないな。その人たちが普段どんな食事をしているかわかる?」
「残念ながら、そこまでの詳細な報告はありません。まずそこを調査するところから始めましょうか」
俺たちの会話を聞いて、しばらく何事か考えていた宰相がユークを見た。
「北の鉱脈は国防の為にも重要な土地。ユークリート様とコウキ殿で視察に行っていただけませんか。さすがにお二人では心もと無いですから、護衛の騎士もつけましょう」
その提案にスフェンが頷く。
「確かに右も左もわからないような者に調査させるより、コウキに行っていただいて、どういう視点でどういう所をチェックすればいいのか教えて頂けると助かりますね」
「え、あの、興味はありますけど、俺、馬車はちょっと……」
あまり無理だとは言いたくないが、あの酷い馬車酔いはもう御免だ。ユークにも護衛の騎士にも迷惑を掛けるに決まっている。
「ああ、あなたの馬車酔いの話は聞いた。安心しなさい。鉱脈のある町には王城の転移魔法陣で行けるから馬車は使わない。移動に時間は掛からないから一泊で十分だろう」
「そうなんですか? それなら俺は問題無いです」
「助かる。よろしくコウキ殿。それからユークリート様もお願いします」
「わかった」
ユークも頷き、一泊二日の外出が決まった。
事前に準備があるとかで、北の魔石の鉱脈に向かうのは三日後だ。その間に俺はイオリスの部屋を訪ねていた。
「あのさ、俺、魔石の鉱脈に視察に行くことになったんだけど、そもそも魔石って何?」
「君、そんなことも知らずに引き受けたの?」
イオリスが呆れたように俺を見る。
「いや、なんかノリで。きっと魔法が使える石なんだろうな、と思って流しちゃった。魔法が使えない俺には関係ないし。でも行くまでにまだ時間があるから魔石についてちゃんと聴いておこうと思って」
「まあいいけどね。君がスフェンに貰った魔力を込めた珠があるでしょ?」
「ああ、これ?」
肌身離さず持っている珠をポケットから取り出す。透明な球の中に砂金のような小さな粒が浮いている綺麗な珠だ。これが無いと俺はトイレも使えなきゃお湯も沸かせないので失くす訳にはいかない。
「それは魔石を研磨して作ったものだよ。鉱脈から掘り出した魔石はごつごつした石のような形をしている。そのままにしているとだんだんと魔力が抜けて行くから、研磨して球にするんだ。完全な球に近いほど魔力の消耗が少ない。もともと魔石が持っていた魔力を使い切って空になると、今君が持っているように、人間の持つ魔力を充填できる器になる」
「なるほど」
「で、話せば長くなるけど、魔石の力についてだけど……」
イオリスが宣言したように、本当に話は長かった。ところどころ専門的過ぎて意味不明だ。簡単なところだけ要約すると、こんな話だった。
昼のアエロス神(女性)が男神の「太陽」と愛を育み大地を産み、夜のアエロス神(男性)は三人の女神の「星」と愛を交わし、「星」はそれぞれ「火」と「水」と「風」を産んだ。さらに、夜のアエロス神と、「火」と「水」と「風」が情を交わして人間が産まれた。そのため人間の魔力は、「火」と「水」と「風」と、昼のアエロス神の「光」と、夜のアエロス神の「闇」を含めた五つに属性に分かれている、というのは以前教会で聞いた話だ。
さらにその夜のアエロス神と「火」と「水」と「風」の間に産まれた最初の人間は、人の体には強すぎる魔力が体を蝕み、生きるために自らの魔力を魔石として封印し地中深くに埋めた、と聖書に書かれているらしい。現に、鉱脈から産出する魔石はみな、「火」か「水」か「風」の魔力を帯びている。
宗教を信じていないイオリスは「眉唾物だよね」とにべもないが、魔石がどういう経緯で出来るのかはまだ解明されていないらしい。ちなみに魔石はそれ自体に特別な魔法効果が有るわけではなく、内在する魔力を人間に与える、いわば電池のような役割らしい。
「そういえば、イオリスの属性って何なの?」
「僕は闇だよ」
「闇? なんか邪悪そうで、イオリスっぽいな」
「失礼な。それに闇と言っても一人で複数の魔法属性を持つ者を『闇』と便宜上呼ぶだけで、『光』の魔力を持つスフェンとは違うよ」
「んっと、どういうこと?」
「僕は火と水と風の属性の魔力の適性を等しく持っている。大部分の人間は適合する属性は一つだけなんだ。そのため自分の属性以外の魔法はすごく弱い。でも僕は、三つの属性を同じレベルで扱える。だから複合魔法なんかも使えるのさ。僕が大魔術師、と言われる所以だ。対して光の魔法は正真正銘『光』の属性を持って生まれない限り使えない。光の魔法は唯一無二の『治癒の力』だ」
「それはつまり、イオリスには回復魔法は使えないってこと?」
「そういうことだね」
「ふぅん、スフェンってやっぱりすごいんだな。ふだんは優しいお兄さんて感じなのに」
俺のつぶやきに、イオリスが横で噴き出した。
「何?」
「いや、何も? それより君を送り返す魔法陣が出来るまでそう時間はかからないよ。そろそろみんなへの挨拶とか考えた方がいいんじゃない」
「……そーだな」
なんだか明らかに誤魔化された気がする。でもイオリスの言うことは今一番の気が重くなる問題で、俺はそれ以上追及する気分が削がれてしまってすごすごと引き下がった。
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