第33話
視察から戻って二日目、俺は教会に来ていた。本当は昨日来たかったのだが、またエルに心配を掛けるのは嫌なので昨日一日は大人しくしていた。入口に立つと、今日はサナの方が先に俺を見つけてくれた。小走りに近づいてくる。
「こんにちは、サナ」
「こんにちは、コーキさん。先日は本当にありがとうございました」
「ありがとうって?」
サナの礼の理由が思い当らず訊き返すと、サナが少し笑った。
「イオリス様の件です」
「え、ああ。そっか。でも俺はなんにもしてないから、お礼はイオリスに伝えておくな」
「違うんです。そのイオリス様にお礼はコーキさんにお伝えするよう言われました」
「あれ、そうなの? イオリスらしいな」
天邪鬼なやつめ。礼は素直に受け取っておけばいいのに。
「そういえば、サナはイオリス見たの初めてだよな。どーだった?」
「はい、とてもお綺麗な方で、男性なのに深窓のお嬢様と噂が立つのも納得でした」
「俺、その噂聞いて確かめたけど、あいつちゃんと男だったよ」
サナが目を丸くしてそれから吹き出した。楽しそうな様子に少し安心する。
「あ、あのコーキさん。それでイオリス様は他に何か仰っていましたか?」
心なしサナの顔が赤い。あれ、もしかしてサナはイオリスみたいなのがタイプなんだろうか。父親のこともあるし、男くさい感じの人は苦手だったりするのかな。
「んー、サナのこと可愛い子だねって言ってたよ」
一晩寝ていくらか体力が回復した俺が、改めてイオリスの部屋まで礼をしに行った時にそう言っていた。
「え、あの、そうではなくて」
急にサナがしゅんとする。あれ、なんだろう違った?
「俺、イオリスがサナの事をお気に入りのふりをして庇ってくれてるってラディオに聞いたんだけど、もしかして他にもイオリスになんかされた?」
その場にラディオもいたらしいし、変なことはされていないと思うんだけど。でもイオリスの性格の悪さは筋金入りだからサナにもなにか意地悪したのかもしれない。
「ち、違います。イオリス様もラディオ様もとても良くして下さいました。聞いていないなら良いんです、忘れてください」
赤い顔で否定するサナに、本当に大丈夫? ともう一度問う。ぶんぶんと首を振るサナはそれ以上聞いて欲しくなさそうだったので、話を変えることにした。
「今日はこの前行った村のお土産を渡しに来たんだ。染物が名産だからスカーフにした。柄違いで三枚あるから、サナとモルガとリアナさんで好きなの使ってよ」
鞄から取り出した布を渡すと、サナが驚いた顔をした。
「良いんですか?」
「もちろん。そのために持ってきたんだし。最初に好きな柄選んじゃいなよ」
サナがそれぞれのスカーフを見比べる。
「えっと、では、これにします」
小さい花の柄を選んで嬉しそうにしてくれたサナに笑みを返す。それが一番サナっぽいと俺も思っていた。
「シェールにも渡したいんだけど、部屋にいる?」
「今はバラ園にいますよ。私さっそくモルガさんたちにこれ渡してきますね。それから行きますから、先に行っていて下さい」
「うん。ありがとう。あ、でもシェールのところは俺一人で平気だよ」
もう何度も来ているので、さすがに教会の作りは覚えた。それに聖職者の何人かは顔を合わせれば挨拶を交わす程度にはすでに顔見知りだ。
「そうですか、では行ってらっしゃい」
何となくしゅんとした声でサナが言う。さっきまで元気そうだったし、気のせいだよな?
シェールは教会のバラ園で絵を描いていた。花が咲いていると夢のように美しいと聞くここは、時期外れの今はひっそりとしている。二人で四阿のベンチに座ってスカーフを広げた。風呂敷代わりに画材を包んで持ち上げるとシェールから歓声が上がった。どうやら気に入ってくれたらしい。
包み方を教えていると、教会の鐘が鳴った。午前と午後に一度ずつ鳴るこの音は魔除けの意味があるらしい。澄んだ金属音が連なる綺麗な音だ。
でも、その音がシェールは好きではないようだ。鐘が鳴りだすと少し俯いて眉間に皺が寄る。辛そうなその顔に、両手を伸ばして彼の耳を塞いだ。聞こえなくはならないだろうが、いくらかマシだろう。シェールが驚いた顔で俺を見る。鐘が鳴りやむのを待って話し掛けた。
「シェールって鐘の音が苦手だろ?」
一緒に遊んでいて気付いたが、シェールはあまり音がある状況を好まない。いつも人の多い教会や街中のような賑やかな場所は避ける傾向にある。
「なんでわかったの?」
「だって、鐘が鳴りはじめるといつも辛そうな顔するから」
俺の答えに目を見開いた後、大きなペリドットの瞳からぽろりと涙が零れた。薄緑に水の膜が煌めいて綺麗だ……じゃなくて。
「え、何? なんで泣くの?」
「僕、変だよね。聖なる鐘の音が嫌いなんておかしいって言われるんだ」
ああ、なるほど。きっと周りの人間に何か言われたことがあるんだろう。
「ちがう。変じゃないよ。苦手な音があるのは普通だ。俺だって嫌いな音があるし」
流れ出した涙を指の腹で拭うが全然間に合わない。シェールの頭を胸元に抱き込んだ。
彼はおそらく聴覚過敏だ。知能や発達に障害を持つ人は感覚過敏が出やすい。音がする場所がそもそも好きではなさそうだけれど、その中でも特に鐘の音が苦手なんだろう。俺も体調が悪い時はテレビの音が頭に響いて気分が悪くなるし、酷い時には時計の針が回る音にさえ逃げ出したい気分になる。だからシェールの辛さは少しだけわかる。
「音だけじゃないよ。僕が変なんだ。ねえどうしたらみんなと一緒になるのかな。姉さんが悲しい顔するのは僕の頭がおかしいせいなんだ」
シェールの頭を抱えて、何も言えないまま背中を撫でる。
可笑しくなんてない、と言ったところで気休めにもならない。シェールが他の同年代と違うのは事実だ。知的障害が障害と認知されていないここでは、皆、彼に奇異の目を向けるだろう。慰める言葉も思いつかず、ただただ震える背中を擦った。
しばらくして泣き疲れたのかシェールが寝てしまった。少しは快適になるように位置を下げて膝枕にする。ふわふわの髪をゆっくりと撫でながら、シェールが泣かなくていいようにするにはどうしたらいいのか考える。知的障害は俺にはどうにも出来ないからせめて聴覚過敏の対処だろうか。耳栓とか?
その時、四阿の外から声が掛かった。振り返るとモルガが立っている。俺がシェールを膝枕しているのに少し驚いた顔をして、それから隣に座った。
「サナにスカーフを貰ったからお礼をしに来たの」
「ああ、わざわざありがとう。気にしなくて良いのに」
「それと、シェールの相手もしてくれてありがとう」
モルガが手を伸ばして、シェールの髪を指先で遊ばせる。赤くなった目元と涙の跡には気付いただろうがモルガは何も言わなかった。彼女の弟を見る目はとても優しい。
それなのにシェールの描くモルガの絵は綺麗だけどいつもどこか悲しげだ。それが彼の心を投影しているのだとしたらすごくつらい。この姉弟のために俺が力になれることはあるだろうか。
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