第32話
今日はサナの十八歳の誕生日だ。教会に所属するサナは今日から寄進の『礼』をすることになる。彼女のことを無責任にイオリスに頼んで来てしまったのをほんの少し後悔しながら村からの帰りの馬車に揺られる。
けれど、そんな思考も早々働かなくなる程度にはやっぱり酔った。なるべく揺れないように御者さんも気を使ってくれているのだけれど、もともと花粉症で削られている体力のせいであまり効果は無かった。
馬車の内壁に頭をもたげると振動がダイレクトにくるし、でもどこかに凭れないとぐらぐら揺れるしで、頭の置き所に困っていると、見かねたエルが隣に座った。俺の頭をエルの肩に固定し、掌で俺の目を覆う。なんだか抱き寄せられているようで気恥ずかしいが、おかげでいくらか楽な体勢になった。
「ありがとぉ、エル」
しおしおの声で礼を言うと、エルが空いている方の手で俺の頭をぽんぽんと叩いた。ほんとにいつもいつもお世話掛けてすみません、ママン。
朝早く村を出て王宮に辿り着いたのは昼もだいぶ過ぎた頃だった。当然食事なんてする余裕はなく自室のベッドにダイブした俺は、夜になってふらつく体を引きずってイオリスの部屋へ向かった。
「いおりす、たのもぉぉ……」
扉を叩く音も、呼び出す声も、我ながらか細い。強く叩くと振動が響くんだ、頭に。
ほどなくしてイオリスが顔を出した。へらっと笑うとイオリスが眉を寄せる。彼が何事か唱えると、細い指先に小さな光が灯った。眩しさに目を細めると、イオリスの顔が引きつった。人の顔を見るなり失礼だ。
「君、顔色悪すぎるんだけど。やっぱり病気を染されて帰ってきたんじゃないの?」
「これは、ただの馬車酔いだよ」
「なんでもいいけど、そんな真っ白い顔してんなら休みなよ」
「だってどうしても早く訊きたかったから」
「サナのこと?」
頷くとイオリスがため息をついた。
「君の事だから大丈夫だから明日にしろって言ってもきかないよね?」
「わかってらっしゃる」
それが出来るならそもそもこんな体調で訪ねない。イオリスが渋々俺を部屋に入れる。
「こっち」
言われるままついていくと、いつもの研究室を通り抜けてベッドのある部屋に着いた。寝室は初めて入った。大きめのベッドと脇机だけが置かれている簡素な部屋だ。
「お茶用意してくるから、寝てなよ」
イオリスが寝室から出て行く。俺がいると絶対に自分でお茶を淹れないイオリスが自分から動くとは。地味に感動する。せっかくだからお言葉に甘えてベッドに上がる。掛け布団の上にごろっと転がっていると、しばらくしてお茶のカップを二つ持ったイオリスが戻ってきた。
「ちゃんと上掛けをかけて寝なよ」
「いや、他人が寝るの嫌かな~と、一応遠慮した結果」
「それを気にするなら最初から寝室になんて通さない」
もっともな返答に、のろのろと動いてベッドヘッドに凭れる。腰まで上掛けを引き上げてイオリスに差し出されたお茶を受け取った。水分もあまり取れていなかったので、一口飲んで息を吐く。そんな俺を見てベッドの端に腰掛けたイオリスが「まったく」と小さく呟いた。もしかしなくても結構心配してくれているのかもしれない。
蛍光灯やLEDと違って、この国のランプは少し黄色味を帯びて時折ゆらゆらと揺れる。いつもより陰影が深いイオリスの顔は改めて見てもやっぱり整っている。男にしてはまろい頬に、普段は薄茶の長いまつ毛が今は光を弾いて金色に輝いている。それに見惚れていると、俺の視線に気付いたイオリスがついとこちらを向いた。光を映して揺らめく琥珀の瞳に不覚にもドキリとして、お茶を飲むふりをして顔を伏せた。おい、俺が色気にやられてどうする。そもそもイオリスがこんな女の子みたいな見た目をしているのが悪い。
その時、少し遠くから扉をノックする音が聞こえた。
「ああ、来たみたいだね」
イオリスが隣室の扉を開けに行く。すぐに戻ってきたイオリスの後ろに、エルを見つけて俺は顔を引きつらせた。
「その様子だとやっぱり黙って出てきたんでしょ」
クスクスとイオリスが笑う。
「お前チクッたな」
「君が『電話』を教えてくれたおかげだよ。さっきエルの誕生日に渡した遠隔通話用の魔法陣で連絡したんだ」
マジか。俺の所為かー。実はエルには寝てろと言われたけれど、どうしてもサナのことが気になってこっそり出てきてしまった。
「ご、ごごごごめん、エル」
これはもう怒られる前に謝っておくに限る。
「自分が悪いことをしたという思いはあるのですね?」
「そりゃもちろん。行きも帰りもエルに迷惑も心配も掛けて世話になったし、体調悪い自覚もあるし。でもどうしても知りたいことがあったんだよ。けど完全に個人的な用事だから言いだし辛くて。イオリスと話してすぐ戻ろうと思ったんだ。ごめん」
はあ、とエルが深々と息を吐く。俺がびくりと肩を震わせるとエルが苦笑した。
「貴方を怯えさせたい訳ではありません。わかって下さっているなら結構ですよ」
「んじゃ、エル。この子連れて帰ってくれる?」
のんびりとお茶を啜りながらイオリスが言う。
「え、ちょっと待て、まだ話聞いてない」
「君のリクエストには答えてあげるよ。ちゃんと休めるようにベッドでね」
ひらりと手を振るイオリスに、エルが俺の手を引いて立ち上がらせる。彼に肩を抱かれて連行さるのはこれで何度目だろうか。でもイオリスが後ろに付いてくるので大人しく部屋に戻ることにした。
と、思ったらイオリスが付いてきたのは部屋の出口までだった。
「じゃ、エル。頼んだよ」
イオリスの言葉に頷いたエルは俺の肩を軽く押して歩き出そうとした。
「あ、あの、エル」
「イオが、何があったのかは部屋でラディオに聞くようにと。先ほど声を掛けておきましたので今頃私たちの部屋にいるはずです。ですから今日は戻りましょう」
なんでラディオ? と疑問には思ったがとりあえず事情は聞けるらしいので素直に頷く。その時イオリスから声が掛かった。
「そうだ、コウキ。君を送り返す魔法陣だけど、もうそう時間は掛からず完成するよ」
「え、ほんとに? どのくらいで?」
「んー、そうだね、三十日は掛からないんじゃないかな?」
「そうなんだ、うん。ありがとう」
そうは言ったものの、嬉しいのか悲しいのか自分でもわからないモヤモヤした気持ちだ。あれほど望んでいた筈なのに今となっては素直に喜べない。エルの手にも少し力が入って、ますます俺を複雑な気分にさせた。
部屋に戻ってベッドに落ち着いた後、エルと一緒にラディオから話を聞いた。要約すると、イオリスが高位貴族の権力を使ってサナを彼の傘の下にいれてくれたってことだ。しばらくはサナに手を出す人はいないだろうとラディオは締め括った。たしかにそれは俺には到底真似できない解決法だ。イオリスには今度改めて礼をしなければ。
お大事に~、と最後に俺の体調を気遣って帰っていったラディオを見送って、ベッドに横になる。ラディオを戸口まで見送りに出ていたエルはすぐに戻ってきた。
「体調はいかがですか?」
「ん、ラディオに話を聞いて安心したし、だいぶ良くなった。ありがと」
「では、少しだけお話しても?」
神妙な顔のエルに、体を起こそうとして止められる。そのままでいい、と言うので横になったまま椅子に座るエルを見た。
「で、改まってどーしたの?」
「今回のサナさんのお話、私は聞いていませんでしたが」
どことなくエルから沈んだ空気を感じる。
「え、だって。エルは一緒に出掛ける予定だったし、特に話す必要はないかなって思ったんだけど」
「私はそんなに信用が無いのでしょうか?」
「へ、ええ? なんでそうなんの? これ以上俺の事でエルに面倒かけたくないから言わなかったんだけど」
「何度も言いますがあなたに迷惑を掛けられた覚えはありません」
「そうは言っても俺いっつもエルに手間かけさせてるだろ? 体調悪い時はいつも世話になってるし。今回だって馬車酔いで色々気を使って貰ったし。これ以上甘えらんないよ」
エルが長い溜息を吐く。え、なんか可笑しいこと言った? 困惑する俺をよそに、エルは俺の右手を両手で包んだ。祈るようにきゅっと力を籠める。
「例えば私が病気になったとして、その世話をするのを貴方は迷惑だと思うのですか?」
「え、そんなわけないじゃん。病気になるのは本人の所為じゃないし。もしエルが病気になったら全力で看病するよ」
「同じことですよ。貴方があまり体が強くないのは貴方の所為ではないでしょう? コウキは普段から食事や睡眠に気を使っていますし、それでも体調が悪くなるのは不可抗力でしょう? 無理をして平気な振りをすることだって本当は止めて頂きたいのです」
「そんなつもりはないんだけど……」
「貴方は無理をするのに慣れすぎです。もう少し精神面でも私に甘えて頂けませんか?」
俺の手を握る力が強くなる。コツンとその両手に額を乗せて顔を伏せたエルに、どう返事をするべきか迷う。
「えっと、でも俺エルにそんなに良くしてもらう理由が無いし」
「理由なんて、貴方が、」
顔を上げて、でも途中でエルは言葉を切った。
「俺が?」
「いえ、貴方に健やかでいて頂きたいのです」
訊き返すと、エルは泣きそうな顔でゆるゆると首を振った。な、なんだろう。ちょっと心配かけすぎたのかな。視察の間俺のせいでエルは寝不足だったし、疲れているのかも。
「俺、エルに甘えているのは、ほんとだよ。今までこんな風に誰かに具合悪いの見せたこととかないし」
そう言うと、エルが目を細めて少しだけ微笑んだ。
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