第31話 イオリス、サナ、ラディオ

「そろそろお時間ですね」


 思いのほか盛り上がった話にサナの緊張もすっかり解けた。ラディオの言葉にサナが少し残念そうな顔をする。


「それじゃあ最後に、ただの興味本位なんだけど聞いても良いかな?」


イオリスがサナに尋ねる。


「何ですか?」

「本当にただの好奇心で、それを知ることに僕になんのメリットもないから、答えたくなければ黙っていても、何だったら嘘を答えても構わないよ」

「どういうことでしょうか?」

「そのまんまの意味だね」


意図が解らず訊き返したサナに少し笑ってイオリスが続けた。


「きみにとって、コウキはどういう存在なのかな?」


サナが息を飲む。膝に置かれていた手に力が入り、少しだけ考えるそぶりを見せた。


「お慕いしています」

「それは恋とかそういう意味で?」


サナが頷く。じわじわと頬と耳に熱が上っている。


「ん、わかった。ありがと。じゃあ最後にもうひとつ。きみに僕のものってしるしをつけとこうか」


イオリスが自分の鎖骨のあたりをトントンと叩く。


「しるし、とは?」

「キスマーク。もちろん嫌だったら断ってもいいよ」

「嫌、ではありませんが……」

「そ、なら。少し襟元を寛げてくれるかな?」


サナが首元のボタンを外して襟を広げる。その手つきはぎこちない。


「そんなに緊張しないでよ、悪いことしている気分になっちゃう。すぐ終わるから好きな人の事でも思い浮かべててよ。じゃあ、いくよー」


イオリスがテーブル越しに身を乗り出すと、サナが緊張気味に呼吸を止めた。そのままイオリスは指先をトンッとサナの鎖骨の下にあてる。短く何事か唱えるとすぐに離れていった。サナの白い肌に小さな赤い跡が残されている。


「ごめんごめん、あんまり可愛いから揶揄っちゃった。終わったよ」


クスクスと笑うイオリスに、サナが目を丸くする。


「キスマークって要は痣だからね。風の魔法を使えばそれっぽく作れるよ。きみに絡んでくる奴らがいたらそれを見せて僕の名前を出せばいい。たぶんそれで引き下がるよ」

「そんなご迷惑は掛けられません」

「これはコウキに掛けられた迷惑であって、きみの所為ではないから気にしないでいい。さて、じゃあ帰ろうか。ラディ」


イオリスが立ち上がって伸びをする。


「サナ嬢、お邪魔しました」


ラディオも立ち上がる。


「あ、あの、ありがとうございました」


すでに扉に向かって歩き出していたイオリスを追いかけて、サナが言った。


「お礼も、コウキに言えばいいよ。じゃあ、またそのうち来るね」


ひらりと軽く手を振って、イオリスは部屋から出た。ラディオも笑みを残して出て行った。



 のんびりした速度で馬車が進んでいる。明らかに高価だとわかる繊細な織の布の張られた座席に、イオリスとラディオは向かい合わせで座っていた。護衛の騎士二人は馬車の両側を歩いている。


「はー意外に面白かったね。良い暇潰しになった。サナはなかなか可愛いかったし」


頷いたきり返答のないラディオにイオリスが首を傾げると、ラディオは口を指さした。


「あ、もしかして、僕が良いって言うまで話すなっていうの守ってる?」


うんうんと首を振るラディオにイオリスが笑い出した。


「あはは、そっか。いーよ、話して」

「イオリス様、良かったんですか?」

「良かったって?」

「こんなハルナーク家とすぐわかる豪華な馬車で乗り付けたら、すぐにあなたのことが噂になりますよ」

「噂にするためにわざわざこんな派手な馬車を出してきたんだよ。サナの事狙っているのはキリアス伯爵家の夫人とザイトリット男爵家の次男だね。純愛だったら可哀想だけど、もともと伯爵夫人は女性の方が好きみたいで、伯爵は夫人が女性の愛人を持つのを許すことを条件に結婚に承諾して貰ったみたいだね。ザイトリット家の次男の方は処女を相手にするのが好きみたいだし、どっちも本気ではないだろう。僕の噂を聞いて、早々に確認しに行くんじゃないかな。サナをモノにするのに、二人ともそれなりにお金注ぎ込んでたみたいだしあのキスマークを見て悔しがるんじゃないかなー。見物だね。その場で見られないのが残念だ」


唖然とした後、わずかに眉を寄せたラディオにイオリスが口を曲げる。


「なに、言いたいことあるなら言ったら?」

「イオリス様、どこでそんなプライベートな話を拾ってくるんです?」

「人を覗き趣味があるみたいに言わないでくれる。僕が調べた訳じゃない。情報源は秘密だけどね」


そうですか、と小さく呟いてラディオが黙る。心なしか顔が青い。それをイオリスが不審気に眺めていると、ラディオはふっと軽く息をついた。


「イオリス様、この件の他言無用はエルとコーキにも?」

「んー、そうだね。じゃあ、その二人には君から話しといてよ。騎士団宿舎に戻ったら会うでしょ? そろそろ視察から帰る頃だし」

「承知しました」

「よろしくね。さて、それからもう一つ。僕は君のその敬語も気に入らないんだけどね?」


急に真面目な顔になったイオリスにラディオの頬が引きつる。


「いい加減昔みたいに話してくれない?」


きょろきょろと周りを確認するラディオにイオリスが溜息をつく。


「馬車の中には結界が張ってあるから音は漏れないよ」

「ならいいけど。オレは育ちが悪いから普段からイオリス様に敬語使うのを気を付けてないとついつい砕けた話し方しちゃうから敬語使ってるって何度も言ってるでしょー」

「僕は気にしないし。そもそもイオリス様ってのもやめてくれる?」

「あーもう。イオが気にしなくても、周りが気にするのー。オレみたいな一騎士が、国の大魔術師殿にテキトーな話し方したら、無礼なの。仕方ないでしょ。オレが不敬罪で捕まったら騎士団にも迷惑掛かるしー」

「君を不敬罪に問うような奴がいたら、僕がそいつを王宮から追い出してやる」

「オレがタメ語話したくらいで王宮から追い出される人がいたら可哀想でしょー。そもそもオレがイオに向かって『敬語で話す』方が正しいのに」


ほとほと困り果てたというようなラディオに、イオリスがむっと口を引き結ぶ。


「学生の時は普通に話してたのに、仕事に出た途端よそよそしくされる僕は可哀想じゃないの?」

「あれは学生だったからでしょー。オレは物知らずだったからイオがそんな立派なお家の将来を期待された魔術師だなんて当時は良く知らなかったし。イオが嫌いになったとかそんなんじゃなくて、ただの社会の礼儀でしょ。そんな我儘言わないでよー」


眉を下げて、ラディオがイオリスの髪を掻き回す。その掌を捕まえて、イオリスが言った。


「僕がこうなったのはそもそも君のせいだからね。それは無理な相談だ」

「オレの所為って?」


両手を掴まれたままラディオが問い返す。


「僕は小さなころから、まああまり真面目な性格ではなかったけれど、それでも親の言いつけを守って将来はちゃんと家のために生きていくんだと信じてたんだ。でも君に出会って、自分を犠牲にしてまで守るものは世の中にそんなに多く無いって気付いた。僕はもっと心のままに過ごしていいんだってね。僕は君と出会って生きやすくなったよ」

「オレそんな大層なことしたおぼえないけどー」

「君に覚えがなくても、君と過ごした学生時代は僕とエルにとっては大きかったんだ。特にエルなんて、君に出会わなかったら今頃家の言うままに子供の二人や三人は作ってただろうさ」


思いがけない告白にラディオが俯く。イオリスから取り返した両手を膝の上でぎゅっと握り、髪から覗く耳は赤くなっている。


「それ、ハルナーク家とオブリディアン家が跡継ぎに困ったらオレの所為じゃないの?」

「そうかもね」


笑うイオリスの機嫌は良い。


「僕も、もちろんエルも、君のことを手放してやる気なんてないから覚悟しといてよね。だから早く僕に敬語を使わなくても不敬罪だなんて言われないくらい偉くなってくれる? とりあえず副団長くらいかな?」

「え、いやいや無理でしょー」

「平気、ラディなら出来る」

「全然説得力無いしー」


ケラケラ笑い出したラディオに、イオリスは黙ってみぞおちに一発食らわせた。

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