第30話 イオリス、サナ、ラディオ
良く晴れた空に、車輪の音が響く。細やかな金の装飾に艶のある漆黒に塗られた大きな馬車が教会の前へ止まった。めったに見かけないその豪勢な馬車は、一目で身分が高い者が乗るものだと知れる。広場に集まっていた人々の視線の中、馬車から出てきた人物は魔術師のローブを着ていた。顔は隠されていて伺えない。ただ、その魔術師を囲むように歩く三人は王城の騎士団の服を着ている。教会へ貴族が寄進をすることは少なくないが、大通りから乗り付けて正面から入ることはまれだ。それが王城の関係者であれば、なおさら人の目を引いた。
教会の聖職者に案内され、部屋に入ったイオリスは一人の少女に目を止めた。深々と頭を垂れる少女に嘆息する。少女の肩がびくりと揺れた。
「いいよ、顔上げて」
おずおずと、少女が顔を上げる。
「はじめまして、僕はイオリス・ハルナーク。きみがサナだよね。まずは誕生日おめでとう」
「ありがとう、ございます」
サナが掠れた声で返事をする。その返答を聞いて、イオリスが後ろを向いた。
「で、君たちはいつまでこの部屋にいるのかな? 僕、見られながら事に及ぶような特殊な性癖はないんだけど」
イオリスのあけすけな言い方に、うしろに控えていた騎士たちがわずかに頬を染める。
「……いえ、しかし護衛の必要がありますし」
騎士の一人、ラディオがそう言うと、イオリスは不愉快そうに眉を寄せた。
「僕に護衛が必要とも思えないけどね。ま、君たちも仕事だから仕方ない。じゃあ、エメラルダ。君だけここに残れ。あとは外に出てくれる?」
二人の騎士がラディオの顔を窺うと、少し黙った後、ラディオが頷いた。
「お願いします、班長」
それだけ言って、二人の騎士が案内の聖職者とともにそそくさと扉の外へ出る。扉が閉まったのを確認して、イオリスがラディオに視線を向けた。
「いいか、ラディオ・エメラルダ。僕がこれから行うことは他言無用。君は、ここでは何も見ていないし聞いてもいない。そして僕が良いというまで言葉も発しない。いいね?」
「承知しました」
イオリスの真剣な表情に、ラディオがわずかに息を飲む。イオリスはふっと笑って、改めてサナに向き直った。
「そう青い顔をしないでよ。別にきみを取って食おうっていうわけじゃない。ここへはコウキに頼まれたから来ただけだ」
サナの目が驚きに開く。その次に、少し寂しそうにその眉が寄ったのを見逃さなかったイオリスは、面白そうに口の端を上げた。
「きみと寝に来たわけじゃないから安心していいよ」
サナが首を傾げる。
「きみが最近塞いでいるのを、どうにかしてやって欲しいと頼まれたんだ。僕は彼にちょっとした借りがあるからね。一応僕はそれなりの家柄のそれなりに名の知れた魔術師だから、その僕の気に入りであると思われれば、よほどの馬鹿じゃない限りしばらくきみには誰も手を出さないよ」
「それなり、だなんて。この城下で、ハルナーク家のイオリス様を知らない者はいません」
イオリスがつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「それは、『知っている』うちに入るの? きみが知っているのは僕の名前くらいだろう? そのきみが僕の何を知っていると言えるの?」
「え……それは」
狼狽するサナに、イオリスがクスクスと笑う。
「冗談だよ。素直だね。コウキが気に入るのもわかる。意地悪し過ぎた、ごめんね」
言いながら、イオリスが椅子に腰を掛ける。この部屋は教会内でもひときわ調度が豪華だ。
「まあ、とりあえずきみも座りなよ」
「そういうわけには参りません」
「貴族を前にして座らない、っていうのは一般的に正しい所作だけどね、僕は見下ろされるのは好きじゃないんだ、座ってくれると嬉しいな」
「し、失礼しますっ」
サナが慌てて対面に腰を下ろす。今までに一度も座ったことのない豪奢な椅子の、柔らかいクッションに埋もれそうになってサナが目を丸くした。イオリスは相変わらず面白そうに見ている。
「あと、敬語も止めてくれたらもっと嬉しいんだけど」
「さすがにそういう訳には……」
「だってさ、『ありがとう』と言おうとしよう。同じ意味なのに敬語にしたら『ありがとうございます』で、『ございます』の分、文字数が倍になるんだよ。こんなに無駄なことはないと思わない? 王城のつまらない会議も、敬語を使うのをやめたら、三分の一は時間が短縮できるんじゃないかと僕は常々思ってるんだ」
至極真面目な顔で語るイオリスに、きょとんとした後、サナが口元を押さえて俯いた。肩が小刻みに揺れている。
「あ、笑ったね?」
「い、いえそんなことは……申し訳ありません」
恐縮してさらに頭が下がったサナのつむじを、イオリスが身を乗り出して指先でつつく。その感触に顔を上げたサナにイオリスがにっこりと微笑んだ。
「違う違う。責めてるんじゃなくて、笑った方が可愛いよって言いたかったんだ。僕は別に女の子を威圧して楽しむ趣味はないからね」
サナの頬が赤くなる。それに「可愛いね」と微笑むイオリスに、サナはさらに耳まで赤く染めた。
「話を戻すけど、敬語は本当に気にしなくていいんだけど?」
「う……申し訳ありません」
「だよね。これ以上しつこく言うと命令みたいになっちゃうからやめておくよ。さて、もうしばらくここで時間を潰さないといけないんだけれど、その間話し相手にでもなってくれないかな」
「話し相手、と言いますと……」
「ああ、何でもいいよ。僕は市井の話題には疎いから、あまり楽しい話は出来ないんだ。何か聞きたいこととかある? 答えられないことは答えられないって言うし、本当に何でもいいよ」
「あの、イオリス様は今回多額の寄進を頂いて私を呼んでくださったと聞きました。本当にお話相手でよろしいのですか?」
「んー。きみが僕とベッドに入りたいって望むならそうしてもいいけど。僕はさ、人生は短いのに楽しくないことに時間を割くのは本当に無駄だと思っているんだよね。なんなら罪だよ、罪。今僕とベッドに入るのは、きみが本当にやりたいこと? 正直に答えてよ」
「……違います」
しばらく黙った後、サナが囁くように答えた。
「そ。ならやっぱり僕の話し相手になってよ。それに寄進の礼ならすでにコウキに前払いで貰ってるから問題ない」
「えっ」
焦ったように声を上げたサナにイオリスが首を傾げる。パチパチと瞬いた後、イオリスが声を上げて笑い出した。
「心配しなくても、体で払って貰った訳じゃないから安心してよ」
「そ、そうですか」
過剰に反応してしまったのが恥ずかしいのか、サナが俯く。
「で、何か知りたいことある? 今ならサービスでコウキの事も答えてあげるよ」
サナの肩がピクリと震えたのを見てイオリスの笑みが深くなる。
「あの、では一つだけお聞きしても良いですか?」
「うん、何?」
「コーキさんは……あ、いえ、コーキ様は、どういった方なのでしょうか? イオリス様やエルファム様ととても親しいように思えます」
「普段はさん付けで呼んでいるのかな? 彼は貴族でもないし、偉くもないからいつも通りでいいよ。なんなら呼び捨てでも気にしないよ、あの子。ただ、そうだね、彼はちょっと特別なんだ」
「特別、ですか?」
「うん。詳しくは話せないけど。あ、別に恋人とか大切な人とかそういう感情面で特別な人って意味ではないから。少なくとも僕の場合はね。こんな答えでいいかな?」
「わかりました。ありがとうございます」
「そーだねー。じゃあ、せっかくだからコウキの恥ずかしい話でもしようか」
人差し指を口元にあてて、内緒だよ、と囁いたイオリスに、サナが笑う。
イオリスが亘希の話をしだしてからほどなく、後ろから噴き出す声が聞こえた。意地の悪い笑みを浮かべてイオリスが振り返る。
「話したね、エメラルダ?」
「いや、私は」
「はい、アウトー。僕はまだ話していいなんて言ってないよ」
ぐっとラディオが眉を寄せて黙る。
「罰としてここ座って。座っている間だけ、口を開くの許可してあげる」
嬉々として隣の椅子を勧めるイオリスに、渋々といった体でラディオが腰掛ける。
「そういう訳で、ラディも僕たちの相手してくれる? 『楽しいお話』は君の方が得意でしょう?」
にやにや笑うイオリスに、ラディオは額に手を当てて俯いた。
「あなたは、どこにいても本当にあなたですね」
「何、怒った?」
顔を覗き込むイオリスに、ラディオが深く溜め息をつく。気を取り直すように緩く首を振って、ラディオが顔を上げた。
「初めまして、サナ嬢。私はラディオ・エメラルダと言います。しばらくの間、私もご歓談に加わってもよろしいですか?」
人好きのする笑みを浮かべたラディオに、サナが楽しそうに頷いた。
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