第29話

「ぶえっくしょ」


 翌日、昨日一日宿に押し込められて回復したと思いきや、俺はまた具合を悪くしていた。喉が痛くて微熱があり、さらにうっすら目が痒くてどうにも耐えられないくしゃみが出る。どうみても花粉症ですね、ありがとうございます。

 そう、そうなのだ、この「村の一時期だけ住人の四分の一がくしゃみ鼻水鼻づまり」の症状は花粉症だと当りをつけて視察に来たのだ。昨日までは宿に缶詰めだったからうっすら目が痒い程度だったけれど、今日は朝から外で活動し始めたらあっさり花粉に反応した。無駄に敏感な自分の体が恨めしい。

 この辺りに自生する木の皮が青い染料になるとかで、この村は小さいながらに栄えている。質の良い染め物は王宮にも卸しているそうだ。わりと治安も良い。そのため宰相から出かけてきて良いとお許しが出たのだ。村を見学し、村人の症状の原因を探ったり、公衆衛生について改善できる点があれば教えてほしい、との依頼だ。

 名目上は視察だが半分ぐらいは観光だ。宰相もそれは承知の上で、護衛と案内のためにエルを付けてくれた。ここまで来た乗り物もグレードは高いが民間の馬車だ。エル曰く、王宮の馬車であればさらに作りが良いためもう少し揺れが少ないらしい。……が、まあたぶん、どちらにしろ酔っただろう。

 ちなみに昨夜以降はそこそこ食事が出来ているので、エルから外出のお許しが出た。そういうわけで現在、村長の家に向って歩いている。花粉症の疑いがある村人を村長の家に集めるように、昨日のうちにエルが手配してくれていた。

 もし俺の食欲が戻らなかったらどうするつもりだったのかと訊ねたら、その時は私がおぶっていきますよ、と笑った。嘘か本当かわからないけど、もしそんなことされたら恥ずかしくて死ねる。良かったごはん食べられて。

 王都は石造りの建物が多いが、村長の家は立派な木造の平屋だった。この村は染色を生業とする家が多いため、住居と作業場を兼ねた広い平屋が主流だそうだ。村を囲む森から木材を切り出し、皮は染料に、幹は住居の材料として使用する。来るときに馬車から見えた木が、杉に似ているな、と嫌な予感はしていたが、多分花粉症の原因はこの森だろう。

 村長との挨拶はそこそこに、村人の話を聞く。ゆっくり話をしたかったがなんせ俺も相手も具合が悪い。花粉症の基本的な症状はくしゃみ、鼻水、鼻づまり、目の痒みだが、人によっては咳や喉の痛み、肌荒れや耳の中の痒み、発熱や倦怠感など様々な症状が出る。

 風邪の症状に似ているが、風邪の場合は粘り気のある黄色い鼻水が出ることが多く、長くても一週間程度で治る。花粉症は花粉のシーズン中症状が続き鼻水は比較的サラサラしている。また花粉症で高熱が出ることはまれだ。

 花粉症は、草木の花粉が原因となって起こるアレルギー反応だ。体質によって具合が悪くなる人と、ならない人がいる。またスギの花粉やヒノキの花粉など、草木の種類によっても症状が出る人と出ない人がいる。

 他に、特定の果物や生野菜を食べた後に、口の中が痒くなったり、喉が詰まるような感じがする場合は「口腔アレルギー症候群」の可能性がある。花粉のアレルギーを起こす原因物質と、果物や野菜の中に含まれる物質が似ている事があり、体が同じようにアレルギー反応を起こすのだ。

 リンゴやメロン、桃などの果物や、トマトやセロリなどの野菜を食べて喉がピリピリしたり痒くなったりする人は気をつけよう。

 とはいえ俺は医者ではないので診断や治療は出来ない。話を聞いた村人たちに丁寧に礼をして別れた。宰相とスフェンに状況を報告すれば後は彼らが対応してくれるだろう。もっともこの世界には抗アレルギー薬など無いから、結局は花粉を避けるしかないだろうけど。


「大丈夫ですか?」


 村長の家から帰る道すがら、隣を歩くエルから声が掛かった。エルには先に花粉症の説明をしてある。立ち止まって見上げると、同じように彼も俺を見た。エルには症状は見られない。涼しい顔しやがって。く、羨ましい。

 恨みがましく見つめていた俺に、エルがふいと視線を逸らした。涙目で鼻を啜っている俺はさぞかし不細工だろうが、そんなあからさまに逸らされるとちょっと傷つく。むぅ、と唇を尖らせて不満を表現してみたが、その刺激で逆にくしゃみが出た。エルが背中を擦ってくれる。それは咳の場合だよね、と突っ込む余裕もなくもう一度くしゃみをした。よく見ればエルもうっすら頬が赤いので多少は花粉の影響を受けているのかもしれない。



 この状況では村に長居は出来ない。けれど、せっかく遠くまで来たのだから少しは村を見て回ることにした。本当は海外旅行の飛行機で使う用に持っていた使い捨てマスクを今こそ使いたいところだ。でもこの国でマスクをして外を歩くのはちょっと目立ち過ぎる。髪を隠すように被っているフードを目深に引き下げて、ローブの襟ぐりの布を口元に引き上げて押さえながら歩き出した。明らかに不審者だが仕方がない。

 木造の家々の戸口や窓辺には村で染められた布が掛かっている。青い色が有名だと聞いたが他にも様々な色があった。いくつかの家には細い水路が引き入れられている。水が流れ込んでいる家は染色の作業場で、村の外れに湧く不純物の少ない冷水が布を鮮やかに染めるそうだ。

 賑やかな通りの土産屋で、青い大判のスカーフを買った。サナ、シェール、モルガ、それからリアナさんへのお土産だ。シェールの分は風呂敷代わりに画材を包めるように厚い生地にした。多少値は張ったが、幸い宰相に貰った報酬で俺の経済状況は潤沢だ。なんせ生活に金が掛からないのに収入は有る。金が余る、なんて日本で一度くらい言ってみたい。

 最後にエルと村の食堂に入った。水がきれいで、野菜も新鮮で美味しかった。エルが頼んだ酒はこのあたりの地酒で、興味を引かれて一口貰った。飲み口が甘くフルーティだ。でもおそらくアルコール度数は高い。この体がアルコールに弱くさえなければ、酒の「味」は基本的に好きなので、出来るものなら俺は酒を飲みたい。

 羨ましい、と口を尖らしていると、またエルが視線を逸らした。野郎がそんな仕草をしても可愛くないのは解るが、もしや見るに堪えないほど酷いんだろうか。クセでついやってしまうんだが、そんなに周囲に不快感を与えるなら直す必要があるかもしれない。


 食堂でお手洗いを借りると、汲み取り式だった。これが噂に聞く「汲み取り式トイレ」か、とちょっと感動する。便器の下に汚物を貯める入れ物があり、ある程度溜まったらそこから汚物を取り出す、という昔ながらのトイレだ。そんなわけでトイレの個室が臭う。水洗ではないので、便器についていたカバーを外すとさらに臭いが増した。

 以前母さんが「子供の頃汲み取り式のトイレでお気に入りのスリッパを便器の中に落として取り出せなくて泣いたのよ」と言っていた。まさかこんな所で対面することになろうとは。

 初体験に感動はしたが、でももう二度と体験しなくてもいいかもしれない。日本の水洗トイレ素晴らしい。そして王城の汚物転送トイレも素晴らしい。発明したイオリスに今なら泣いて感謝してもいい。

 宿は王城と同じ汚物転送トイレだったから今まで気付かなかった。食堂を出て宿までの帰りしなエルに尋ねると、トイレに魔法陣を使っているのは王都の壁の中くらいとのことだ。第三外区、つまり「壁外」はここと同じ汲み取り式が多い。魔法陣は高価で、さらに動かすのに微力だが魔力を消費する。比較的豊かで魔力が高い王都の人間以外は、地方の領主などある程度生活に余裕がある人達しか使用しないそうだ。

 この国は貴族の方が基本的に魔力が高い。魔力は遺伝するらしいので、貴族同士で結婚すれば子の魔力は高くなり、平民が平民同士で結婚すれば魔力は低いままだ。つまりこの国には覆せない格差が存在し続ける。

 それに、魔力の高い貴族が教会に「寄進」をすれば聖職者との間に魔力の高い子供が生まれる。貴族が子の認知をすることは少ないだろうから、教会も比較的高い魔力を持つ人間を常に確保できる。それが教会の権威にも繋がっているんだろう。

 なにより国に役立つ「魔力が高い人間」を量産出来るというわけだ。なるほど、この国の仕組みは良く出来ている。それが倫理的に正しいのかどうかは俺にはわからないけれど。

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