第28話

 王宮から目的の村まで一番近い街まで魔法陣で転移して、そこから馬車に揺られること半日、俺は盛大に酔っていた。もともと三半規管は弱いけれど、大人になって車酔いはしなくなったのだが、馬車は思っていたよりはるかに揺れた。地面も舗装されていないのでそれが揺れに拍車をかける。

 何とか吐くのは最後まで堪えたが、とても歩きまわる気力はない。到着するなりエルに支えられて村で一つしかない宿屋のお世話になっている。一番良い部屋らしく、ベッドが二つ置かれていても広々として清潔だ。

 しかしとても物を食べられる状態ではなく、夕食はエルに一人で行ってもらった。宿の人にお願いしたのか、戻ってきたエルがリンゴに似た果物を持ってきてくれた。数口齧って、結局また寝込んでいる。


「眠って、少しは良くなりましたか?」

「うん、さっきよりは、だいぶ楽」


我ながら弱々しい返事だが、本当に着いたばかりの時よりはマシだ。エルにはしょうもない心配ばかりかけて重ね重ね申し訳ない。


「ごめんな、俺が乗り物に、弱いばっかりに」

「体調が悪い時まで気を遣うのは止めて下さい」


ぴしゃりと言われて口を噤む。言葉を重ねるほど墓穴を掘りそうなので、目を瞑ってめまいに耐えているといつの間にかまた眠っていた。

 次に目が覚めたのは夜中だった。喉の渇きに体を起こそうとして右手の違和感に気付く。眠るのに邪魔にならない程度に絞られた薄明かりの下、エルは俺の右手を握って椅子で船を漕いでいた。

 もしかしてずっとついててくれたんだろうか。今は何時だ? 動くと起こしてしまいそうで覚醒しきっていない頭をぼんやりと巡らせていると、気配に気付いたのかエルが目を覚ました。


「ごめん、起こした」

「いえ、私も居眠りしていましたね、すみません」


二、三度瞬いたエルが、状況を把握したのか思いのほかはっきりした声で言った。


「えっと、喉渇いたからお茶欲しいんだけど」

「どうぞ」


エルがベッドサイドのペットボトルを渡してくれる。これは海外旅行に持っていくようにスーツケースに入れていたもので、飲まずに温存していた分だ。


「ありがと」


コクリ、コクリ、とゆっくりと嚥下して一息ついた。


「だいぶ落ち着いたようですね」


エルが微笑む。さっきまでは水分を摂るのも苦労していたからずいぶんと良くなった。


「あの、エル。ずっと傍にいてくれたみたいで、ありがとう」

「昔を、思い出しました」

「昔?」

「多すぎる魔力に体の成長が追い付いていなかったイオが、小さい頃よく熱を出しました。その時はこうして手を握っていたんです。その方が良く眠るので」


 エルがまた俺の右手を取り、両の掌で包むように握った。なにこれ超照れ臭い。顔に血が上る。絶対赤くなってるから部屋が暗くて助かった。


「嫌ですか?」

「嫌、じゃ、ないけど。照れ臭い。もう大丈夫だからエルもベッドで寝てほしい」

「貴方がもう一度寝ついたら、私もベッドに入りますよ」


おおおお、お母さん力が高すぎるよ、エル。小さい頃からイオリスを心配しすぎてこんなにも過保護なんだね。俺の事よりもう少し自分を労わってよ、ママン。

 それにしても女の子にみたいに可愛い(たぶん)小さいイオリスに、ベッドサイドで心配そうに手を握る美少年(たぶん)の小さいエルとか、何それ天使じゃね? なんでこの世界にはカメラが無いんだろう。見た過ぎる。俺は綺麗なものも好きだけど、可愛いものも好きなんだ。可愛いは正義。あ、誓って変質的な意味はないぞ。

 恥ずかしさを散らすためにそんなくだらないことを考えていたら、少しずつ眠気がやってきた。右手の少し高い体温が心地良い。手を握られていると良く眠るって本当だった。


「おやすみ」


うっすらと目を開けて、思考が閉じきる前に挨拶をする。額に何か触れたけれど、急速に落ちる意識はそれを気に留めることは無かった。



 翌朝、目が覚めた時にはエルはいなかった。でもベッドを使った形跡はあるのでちゃんと休んでくれたらしい。良かった。

 これからどうしようか考えていると、ちょうどエルが戻ってきた。挨拶を済ませると、朝食に誘われた。考えてみれば丸一日ほとんど食べていない。エネルギー切れで体が重い。のろのろと起き上がって食堂へ向かった。

 食事を済ませ部屋に戻ると、エルにベッドで休むように言われた。


「え、気分良くなったから今日は村の人の話を聞きに行こうと思ってるんだけど」

「ダメです」

「ええ?」

「朝食も、ほとんど食べなかったでしょう。ちゃんと食事がとれるようになるまで安静にしてください」


気分の悪さは収まったが、腹の調子はまだ悪くパンを一欠片とスープしか食べなかった。でも病み上がりの空きっ腹にはこんなもんだろう。


「大丈夫だって、ちょっとお腹がすっきりしないくらいだから」


重ね重ね言うが、俺にとって胃腸の不良は日常茶飯事だ。そんなこといちいち気にしていたら何もできない。


「貴方の大丈夫は信用できません。手首だって細すぎです。また痩せたでしょう」


 エルが俺の手首を掴む。まあね、確かに最近少し食が細くなってたよ。だって米が、米が無いんだよ。こちとら純日本人。毎日毎日パンではさすがに気が滅入る。海外旅行用に煎餅やフリーズドライの味噌汁を持っていたから時々日本の味は食していたけれど、やっぱり米が欲しい。……なんてエルに言ってみたところでどうにもならないしな。


「あー、それはほら。こっちの人は俺の国の人より全体的に体格が良いから。確かに細いかもしれないけど、元の世界に帰れば、この手首も平均だって、平均。な?」

「本当ですか?」


エルがジト目で俺を見る。あ、明らかに信じてない顔だこれ。


「……嘘です。ごめんなさい」

「そういう意味のない嘘をつかないでください。とにかく、一食でもちゃんと食べられるようになるまで出しませんからね」

「そんな、横暴な!」


 俺の抗議は迫力のある一睨みであっさりと封じられた。心配してくれているが故の言葉だからこれ以上文句も言えない。ふ、と息をついて不満を逃がし、大人しくベッドに戻ることにした。でもやっぱりちょっと過保護すぎると思うんだよ、ママン。

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