第26話

 宰相はユークを見据えたまま話を続けた。


「最近東の国の果てで火の出る粉が発明されたそうです。実際にはどんなものかは伝わっていないのですが」


言葉を切った宰相がちらりとこちらを見る。心当たりはないか、と訊かれているようだ。


「うん、火薬みたいなものかな、たぶん?」


さすがにそれだけの情報では断言できない。宰相も端から期待はしていなかったのだろう。返事があったことに逆に驚いたのか少しだけ目を丸くした。


「かやく、とは何です?」

「たしか、原始的な黒色火薬は木炭と硫黄、硝石の混合物、だったかな? この辺は俺は詳しくないですが、自然にある様々な物質を組み合わせると、少しの火や衝撃で急激に燃焼する粉が作れるんです。俺の世界では改良されて様々な用途に使われていますが、その一つに兵器があります。辺りを大規模に破壊する武器や、遠くの人間を狙う命中率と殺傷力の高い武器が作れます。もちろん平和的な使用方法もあって、俺の国では『花火』っていう空に大きな光の花を咲かせるような使い方もありますよ。お祭りの夜にみんなで見上げて楽しむんです。暑い季節の風物詩ってやつですね」

「へぇ、ぜひ見てみたいですね」


スフェンが感心したように呟く。


「火薬に混ぜる物質の種類で色が変わるんだ。最近は空に簡単な絵を描いたりも出来るよ」

「それは素敵ですね」

「俺もみんなに見せてあげたいな」


 二人で和んでいると、宰相が少し申し訳なさそうに口を開く。


「話を戻しますが、東の国で発明された火の出る粉がその火薬かはわかりませんが、今コウキ殿が言ったように兵器に利用されるのは時間の問題でしょう。我が国は強い魔法力によって大国と言われていますが、ここしばらくの平和で全体の魔力も少しずつ衰えてきています。なにより魔法を使うには人がいる。対して道具は備蓄が出来ますからね。道具であれば人と違って疲れもしない。もう魔法だけに頼って生き残れる時代は終わります。国として現状維持は緩やかな衰退ですから」


宰相が一度言葉を切ってユークを見た。


「今、この国に必要なのは、地位でも魔力でもなく、時流を見極められる優れた人材です。私はあなたにはその質があると思っています。どうか私に力を貸していただけませんか」

「俺は本当に王の子かもわからないし、政治に関わる資格なんてない」

「その紫の瞳しかあなたを王族と証明しないのならば、逆にそれさえあればあなたは王族です。証明できない間違いは貫き通せば真実ですよ。それに私にとっては本当はその血筋もどうでも良いのです。あなたが役に立つと思っているからお誘いしているのですよ」


宰相の言葉にさすがにユークも驚いている。一国の宰相が、王家の血筋をどうでもいいとはなかなかにぶっ飛んでいる。さすが実力重視のノイライト家だ。


「もちろん、私と共に働いてくださるのなら、その血筋も活用させていただきますけれどね」

「しかし王妃様や元老院がお許しにならないのでは?」


スフェンの問いにユークが頷く。


「血筋を信仰する王妃や元老を黙らせるくらいの働きをすれば良いのです。あなたには簡単でしょう? それでも文句があるなら、私がとっておきのネタで黙らせるから問題有りませんよ」


 わぁ宰相ったら悪い顔。一体どんな弱みを握っているのか、ずいぶんと自信あり気だ。まあ確かに、今までも俺の存在だとか、街で遊ぶユークだとか、どこから仕入れた情報なのそれ、と思ったことは何度もある。この人はたぶんこの国で一番逆らってはいけない人だ。


「いかがですか?」

「……わかった。出来るだけのことはやってみる」

「助かります。今までよりずっと刺激的な毎日を提供して差し上げますよ」


 ふふ、と笑う宰相は楽しそうだ。ユークは少し困ったような複雑な顔だ。でもこれだけユークの価値を解ってくれる人がいて嬉しい。ぽんっとユークの背中を叩くと、俺を見たユークはようやく笑った。


「それにね、私はこの国の籠の鳥を開放して差し上げたいのですよ。自由な空を知って、それでも籠を選んで戻って来る鳥こそが、この国の礎となるべきです」


 宰相が穏やかに言った。この人は本当に国と民を愛しているんだろう。俺は政治のことは良くわからないけれど、この人とユークが関わるならば上手くいくような気がした。




 その日は、珍しくイオリスがエルと俺の部屋を訪ねてきた。正確には、部屋に帰ったら居た、が正しい。鍵は掛けていた。どっから入った、と問い詰めれば、魔法で、だそうだ。何たる魔力の無駄遣い。

 エルはそんなに驚いていなかった。聞けば、それほど珍しいことではないらしい。なんでもエルの部屋に移動の座標を定める魔法陣が有るので、イオリスがこの部屋を訪れるのは簡単なんだそうだ。

 で、何をしに来たのかと言えば。


「はい、エル。誕生日おめでとう」


 そう言って、イオリスが差し出したのは小さな魔法陣だ。


「え、エルって今日誕生日なの?」

「そうです」

「ええ、もっと早く言ってくれれば俺も何かしたのに」


この国にも誕生日を祝うという概念があるのなら日頃の感謝も込めて何か用意したかった。


「気を遣っていただかなくても構いませんよ」

「いや、気を遣うとかじゃなくて。まあいいや。いくつになったの?」

「二十六です」

「あ、じゃあ、やっぱり俺の一個上なんだ。俺は今年二十五になったから。エルもイオリスも二十六ってことは、学校が同じだったラディオも?」


 今までに確認した事がなかったのを思い出して尋ねるとエルが頷いた。そういえば地球の一年はこの世界より短い。生きている時間で考えると本当は皆もう少し歳上だ。……まあ細かいことはいいか。今更イオリスを年上だと敬う気にはならない。 


「イオ、この魔法陣は何に使うんだ?」


 エルに訊かれたイオリスは俺たちから少し離れた。同じような魔法陣を取り出して口を近づける。


「どう、聞こえる?」


イオリスが話した言葉が、すぐ近くからも聞こえる。エルが自分の手元を見る。これはもしかして。


「この前、コウキに聞いた『電話』っていうのを再現してみたんだ。この魔法陣からそっちの魔法陣へ声を転送している。正確に言うと、声の振動をそっちの魔法陣に伝えて同じ音を出している」


イオリスが話した内容が同じようにエルの手元から聞こえてくる。すげぇ。エルも目を丸くしている。

 俺たちが驚いたのを見て、イオリスが機嫌良さそうに戻って来た。


「いやー本当にコウキの世界の科学っていうのは面白いね。他にも何かあったら教えてね」


 さすが国一番の魔術師。応用力がすごい。けど、それを作っている間、俺を送り返す魔法陣は進んでないってことだよな。そこを突っ込むべきか迷ったがイオリスがあんまりにも楽しそうなのでやめた。

 それに、正直、すぐに帰らなくてもいいか、と思ってしまうくらいにはこの場所に馴染んでしまった。これは、良くない。でも今更みんなと距離を取るなんて出来ない。来るべき日が訪れた時、俺はすんなりと帰ることが出来るだろうか。一度別れたらもう二度と会えない。その日を思うと、すでにほんの少し腹が痛い。

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