第25話
「さて、今日はコウキ殿の知恵を借りたくて来た」
スフェンがお茶を淹れたところで、宰相が切り出した。それを機にユークが立ち上がる。
「じゃあ、コウキ。お仕事頑張ってな」
ひらりと手を振って、部屋から出て行こうとするユークを宰相が引き留めた。
「ユークリート王子にも聞いて頂いてかまいません」
ほんの少し目を瞠り、ユークがもう一度席に着く。宰相は口元だけ微笑んでそれを迎えた。
「東の大陸と貿易をしている船の乗組員に流行っている病があります。最初は足の痛みや胸の痛み、歯茎の腫れ、倦怠感などの症状から始まり、やがて歯が抜け全身から出血するようになり最後には死に至ります。精神に変調を起こす者もいます。原因はわかりません。漁師などの近海の船乗りでは症状は見られません。貿易船だけなのです。回復魔法を掛ければ一時的には改善しますがまた繰り返します。コウキ殿、この病に何か心当たりは?」
一通り説明を終え、宰相が俺を見る。病気は専門外だけどこれは心当たりがあるような。
「それは、長い間船に乗っているのですか?」
「ええ、少なくとも百日は掛かります」
「もしかしたら壊血病かもしれません。ビタミンという体に必要な物質があることは先日話しましたよね。壊血病はビタミンCの不足で起こります。ビタミンCは体を結合する組織や骨などの形成に関わります。そのためビタミンCが不足すると血管や骨、皮膚など全身が弱くなります。通常の食事をしていればまずビタミンC不足にはなりません。けれど、遠洋貿易の船乗りなど長期間極端に食事の質が偏ると発症します」
「どのような食事なら発症しないのです?」
「新鮮な果物、野菜、イモ類を食べることです。ビタミンCは調理時に水に溶け出しやすく熱や酸に不安定です。船に乗る間に食べるような保存食はビタミンCが大幅に失われています。その貿易船の食事内容はわかりますか?」
「詳しくは調べてみないとわかりませんが、その病の多く出る航路は港を出発してから貿易国につくまで他には寄港しません。新鮮な食材を途中で仕入れることは困難でしょうね」
「それなら、可能性はありますね。でも俺は医者では無いので、あくまで参考程度にしてください」
「そうですか。それでも助かりました。解決の糸口が見つけられたのは有り難い」
宰相が微笑む。冷たい印象のこの人も笑うとずいぶんと柔らかくなる。もし俺の知識が少しでも苦しむ人を減らすのに役立つなら嬉しい。
「しかし東への航路は新鮮な食料を仕入れるために陸沿いに進むとなると、海流に逆らう場所が出ますね。風の魔術を使えば海流は超えられるが、だいぶコストが掛かる」
宰相は少し眉を寄せて考えてからユークへ顔を向けた。
「ユークリート様、あなたはどう思いますか?」
「何で俺に聞く?」
「この中で私の次に地理に明るいのはあなたでしょう」
「……そうだな。東の航路だったら、それなりの食料を確保できる規模の港は、隣国ジニアのグラーニア港か、東の大陸の端のアジール共和国のアジェ港だろ。最近、ジニアに海を挟んで隣接するマスカディア王国で新しい宝石の鉱脈が見つかったらしいんだよな。マスカディアは小国だけど、優れた職人による超一級の宝飾品で外貨を稼いでいる。そこで新しい鉱脈が見つかったことで、少しグレードを落とした品を作るようになったらしい。それがジニアのグラーニア港で取引きされているから食料のついでに仕入れてくればそれなりに商売になる気がするな。マスカディア製の宝飾っていえば欲しがる人間は多いだろ」
「そうですね。それとアジール共和国で最近造られるようになった酒が非常に美味だそうです。東の大陸ではそれなりに話題になっているそうですが、数が少なくこちらではまだ流通していません。アジェ港を使ってうちが初めに商流を作りたいですね」
おそらく今忙しなく脳が動いているんだろう。宰相が難しい顔をして目を伏せる。
「それなら、陸沿いに航路を変えてもコストを上回る儲けが出るんじゃないか? なにより人死にが減るならそれだけでも損はしないだろう」
「一考の価値はありそうですね。出港の時点で新鮮な食料を多く積む方法も含めて、検討しましょう。コウキ殿もユークリート様も有難うございました。スフェン殿はまたこの件に関して別途相談しましょう」
スフェンが頷くのを確認した宰相は、改めてユークを見た。そしてにっこりと笑う。
「さて、ユークリート様。マスカディアの宝飾がグラーニア港で取引されている、なんて情報をどこから仕入れて来たんでしょうね? その話、私もごくごく最近聞いたばかりです。まだこの王宮には広まっていないはず」
ユークの肩がピクリと動く。なんだろう宰相の笑顔が怖い。
「俺のところに届く、地方行政の資料に書いてあったんだ」
「それは可笑しいですね。あなたのところに届く資料は、中央の役人が作っています。彼らが我が国に直接利益を出していない、そんな細かい情報を書くはずがありません」
宰相がさらに笑みを深くする。怖い。
「ユークリート様、そろそろ愚かな振りはおやめなさい。あなたが護衛も付けずに街へ出てふらふらしているのは知っていますよ。マスカディアの新鉱脈は少し前に貿易商の集まる酒場で話題になっていましたね。ねえ、トーリさん?」
ユークの凍った表情を見て、宰相は笑いを噛み殺している。あれ、トーリって……。
「あ、街で聞いた正体不明の美形!」
思い出した。サナに聞いたのは、たしか気さくで金色の髪をしたイケメンって話だ。なるほどユークがその正体なら頷ける。
「あれ、でもトーリさんは空の様な青い目、って言ってたような?」
ユークの瞳はどう見ても明るい紫だ。
「ユークリート様、そろそろ観念なさい」
いまだ笑いを堪えている宰相に、ユークが肩を落とした。
「瞳は魔法で色を変えてたんだ」
「え、ああ、なるほど。魔法ってそんなこともできるんだ。すごい」
コスプレし放題だな。したことないけど。
「なんでセラフィスが知ってるんだよ」
ユークが不機嫌に言う。セラフィスは宰相の名前だっけか。そういえば宰相を名前で呼ぶ人は初めてだな。
「秘密です」
宰相が人差し指を口元にあてて人を食った笑みを浮かべる。怖い。
「しかし瞳の色を変えて、トーリなんてほぼ本名みたいな名前で変装とか舐めてるとしか思えませんね。隠す気があるならもっと本気で変装なさい。あなたは自分がどれだけ目立つか自覚が足りません」
宰相の説教にユークが項垂れている。でも普通王族が護衛も付けずに街をうろつくのを怒るところじゃないの?
「さて、ユークリート様。先ほども言いましたが、そろそろ愚かな振りは止めなさい。ずっと何もかも諦めたような倦んだ目をしていましたが、最近はマシになりましたね」
そこで宰相が俺を見る。な、何、俺なんかした? すぐにユークに戻された視線に、ほっと胸を撫でおろす。こんなに笑顔が怖い人は人生で初めてだ。
「いくら街に出て遊んだってあなたの心は晴れなかったでしょう? どうせ遊ぶなら、これからは私と一緒に遊びませんか?」
「何を、言っている?」
ユークの声が固い。
「元老の決めた、あなたへのしょうもない決まりなど破ればいいんですよ。今この国に必要なのは従順な家畜ではありません。飢えた獣です」
「ノイライト様、少々表現が過激ですよ」
スフェンが苦笑する。それに「内輪の話でお願いしますよ」と宰相が茶目っ気たっぷりに言った。
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