第23話

「待てぇい」


 浴室に入り、そのままスタスタと湯船に向かうユークを止める。俺は日本式に風呂に入ると決めた。ゆえに体を洗わないまま入るなど許さん。ユークに近づいて持参したお風呂セットを腹に押し付ける。く、引き締まった腹筋しやがって嫌味か。

 ちなみにお風呂セットの中身はシャンプー、リンス、ボディーソープ、洗顔フォーム、体を洗う用のボディタオルだ。海外旅行用の荷物を持っていたとはいえ、さすがに洗面器は無かったので騎士団宿舎の厨房からそろそろ捨てるようなベこべこのボールを貰ってきた。

 ユークがお風呂セットと俺の顔を交互に見比べて首を捻る。そうだよな、そもそも風呂に入る習慣が無いんだもんな。これが何か解んないよな。


「お体お流ししますぜ、旦那」


どこぞの小悪党の台詞を吐いて、ユークを背凭れのないタイル貼りの椅子に座らせた。

 困惑するユークを黙らせ、柔らかな金髪を洗い、今はタオルでボディーソープを泡立てている。そういえば人生で初めて人の頭を洗ったかもしれない。美容院の真似事をして「どこか流し足りないところはありませんか~」とか言ってみちゃったりして、ちょっと楽しい。いつもより入念に泡立てたタオルでユークの背中を洗った後、そのタオルをユークに差し出した。


「ほい、続きは自分でやって。俺これから自分の頭洗うから」


一度そのタオルを見てから、次に俺の顔を見てユークが品のない笑みを浮かべた。


「何、前は洗ってくれないの? せっかく気持ちイイのに」


出たなセクハラ発言。どーせそういうしょうもないことを言ってくると予想していたから今さら動揺はしない。来るのがわかっていて慌ててやるほど俺はお人よしではない。


「残念ですが当店ではそういうサービスは承っておりません」


美容院ごっこの延長で畏まって言うと、ユークがさらにニヤニヤと笑った。


「俺は『洗ってくれないの』って訊いただけなんだけどなー、『そういうサービス』って? コウキは何を想像したのかな~?」


は、嵌められた。わざとらしく語尾を伸ばすユークに言葉が詰まる。これは明らかに俺の方が分が悪い。


「ねえ、何~」


しつこく訊いてくるユークにイラッとしてタオルを投げつける。ユークは苦も無く左手で受け止めて、声を出して笑った。反射神経良いな、畜生。



 浴槽にユークと並んで浸かっている。水温は温めでいつまででも入っていられそうだ。温泉らしく、カポーンと、音がしないのが残念だ。


「なあ、こんな立派な風呂借りちゃってよかったの?」


今さらだがユークに尋ねる。そもそも本当にただの風呂なのかここは。


「ここは先代の王が使っていたんだ。先代の王、つまり俺の祖父だ。俺はわりと可愛がられていたからよく一緒にここに来ていた。祖父が亡くなってからは誰も使用していない。今は祖父への恩を持つ一族が管理を引き継いでくれている」

「ああ、さっき鍵を受け取ったときの人?」

「そうだ」


ユークが薄く微笑む。最近少しわかってきた。これは本当の笑みだ。ユークはその人と良い関係を築いているのだろう。

 ユークはいつも笑顔だ。けれど彼が華やかに笑う時は、たいてい嘘だ。嘘、というと言葉が悪いが、たぶん本心は何かを隠している。その笑顔の仮面が王宮で過ごすユークの処世術だったのだろう。

 なんせ俺も幼い時からの貧乏暮らしを中身のない笑顔だけで乗り切ってきた。今思えば高校生の時のファストフード店でのアルバイトが一番の難所だった。気難しいおばちゃん店員たちの機嫌を取るには若者らしく明るく素直にそして時にはしおらしく、が基本だ。

 それが本心とは違くともいつだって多少の演技をしていた。そんな風に過ごしてきたせいで、今では営業スマイルなど慣れたものだ。誰かと目があえば条件反射で笑みが浮かぶ。プライドなんぞ高くても飯は食えない。世の中形だけでも笑っていれば大抵のトラブルの被害は最小限で済む。

 一国の王子様とその辺の一庶民では抱えているモノがあまりにも違うけれど、おそらく俺とユークの本質は少し似ている。時折素の表情を見せてくれるようになった今となってはユークの作った笑顔などすぐにわかる。


「なあ、じいちゃん好きだった?」

「じいちゃんって、前王に向かって」

「ダメだった?」

「……いや、そうだな」


ユークがふっと息をつく。


「じいさんは俺の瞳がじいさんの父親にそっくりだ、と言って可愛がってくれてたんだ。小さいころだからそんなに記憶はないけど好きだったよ」


じいちゃんの父親ということは、以前スフェンに聴いた「先々代の紫の瞳の王様」か。


「あーっと、ユーク。あの、言いづらいんだけど、俺この前ユークの話聞いちゃったんだ」

「俺の話?」

「えっと、瞳の色のこととか王宮での立場とか」

「ああ、別にいいよ。みんな知ってるし」


 ユークからは、怒るとか、傷ついたとか、そういった感情は一切読み取れない。でもなんだかそれが余計に悲しい。ユークはたぶんいろんなものを諦めてしまった。

 浴槽の縁に両手を組んで顎を乗せる。そのまましばらく考えてから横目でユークを見ると、その澄ました横顔になんだか無性に腹が立ってきた。


「ああああ、やっぱりなんかムカつく」


突然の大声に驚いたユークがこちらを見る。


「王宮の事情は知らないけど、ユークが難しい立場なのは想像がつく。けどさ、たぶん俺が言わなきゃ誰も言わないだろうから、言うな」


ユークが目を丸くする。そりゃそうだ、いきなりこんなこと言われたら驚くよな。でももう耐えられない。


「ユークはそんなに我慢する事ないんじゃない? 王家の血筋だかなんだか知らないけど、お前が大切にされてないと感じるなら背負う必要なんてないよ。だってその責を負うべき兄弟は他にもいるんだろ? なら、お前はもっと自由でいいんじゃないの」

「コウキ」


静かに名を呼ばれて黙る。本当は解っている。捨てていいって言われて捨てられる立場ならたぶんユークはこんな風に笑顔を張り付けてなんていない。


「ごめん、無責任なのは解ってる」


部外者がわかった振りで語るべきではない。でもユークが華やかに笑う度に自分を重ねて苦しい。


「俺、父親を知らないんだ。父親は母さんの腹に俺が出来たのを知ってすぐに逃げた。そのせいで小さい頃から色々言われたよ。でもそんなのいちいち気にしてたらキリがないから、気にしてないふりして笑うことにした。そのうちに本当に気にならなくなったんだ」


 俺のことをたいして知らない奴から何を言われてもどうでも良くなった。知らない奴なら、人の家庭の事情を笑う下世話な人間だって見下せば良かったから。


「でも友達が家族で楽しく過ごしている話を聞くと、うちはなんでこうなんだろう、と思ってしまう。何よりその話を聞いて羨んでいる自分が一番嫌だった。父親も居なくておまけに貧乏だけど、別に不幸だなんて思っていないはずなのに」


自分を不幸だと思っては育ててくれた社長家族に失礼だと思った。それにみんな俺に優しくしてくれたから本当に不幸ではないんだ。でもどうしても思ってしまう。俺がまともな親を持っていたら俺もこんな風に誰かに家族の話が出来るんだろうかと。なにより友人の幸せな話を素直に喜べない自分に落ち込んだ。


「コウキ」


もう一度名を呼ばれ、はっと我に返る。


「……ごめん」


 いつの間にか俯いていた顔が上げられず、揺れる水面を見つめる。本当は他者からの理不尽な扱いにユークがおもねる必要はない、って言いたかっただけだ。なのに、どうしてか俺の弱さを晒しただけだ。気付いたら止まらなかった。


「顔を上げて、コウキ」


ユークに言われて渋々顔を上げる。目を合わせづらくて視線を彷徨わせているとふっと笑う息遣いが聞こえた。そのまま肩を引き寄せられる。されるがままの俺はユークの首筋に顔を埋めた。ぽんぽんと背中を叩かれる。


「そんな事言って貰うのは初めてだ。コウキの話もして貰えて嬉しかった。今まで誰も俺に自分の身の内を明かしてくれた人はいなかったから。ありがとな」


 こんな時でも優しいユークに泣きそうになる。気にならない振りをしていても笑っていても諦めてしまっても、その心が傷ついていないわけではないのに。ずっと鼻を啜った俺に、ユークがまた少し笑った気配がする。そうして俺の濡れた頭を撫でた。

 あれ? 俺はただ風呂で癒されに来ただけのはずなのに、なんでこうなったんだっけ? いつの間にか流れていた涙はお湯に紛れてユークには解らなかったと思いたい。そして長湯の上に泣いたことで、体内の水分とナトリウムを損失した俺はなんと湯あたりした。

 フラフラで風呂から上がり、隣室のソファへ寝そべって、一国の王子様に甲斐甲斐しく世話をされてしまった。あああ、俺ってば本当に何してんの。穴があったら入りたい。

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