第22話

 イオリスの性質の悪さを改めて知った夜、昼間彼に貰った酒を持参してエルの部屋を訪れた。この麦の酒は、イオリスが誰かに貰ったらしいが、あまり好きではないそうだ。エルが飲むからあげる、と持たされた。

 胃腸が弱いせいか俺は酒に強くない。むしろすっごく弱い。酒の味は好きなんだ、味は。だけどアルコールに弱いんだよ。短大に入って初めてまともに酒を飲んで、薄いカクテル二杯で悪酔いしたのは苦い思い出だ。吐きはしなかったけれど女の子たちの前でフラフラになったのは今思い出しても凹む。

 その後、悔し紛れに何度か挑戦したが、日本酒をおちょこ半分くらいで動悸がして血の気が引いて顔が青くなって白くなる。お酒が飲めない人は本当に無理しちゃだめだぞ。あと、嫌がる人にも絶対勧めちゃだめだぞ。下手したら死ぬからな。

 エルが美味そうに麦の酒を飲んでいる。俺はほろ酔いさえしたことないから羨ましい。


「なあ、エル。今日ラディオに壁外の話を聞いたんだけど、エルは知ってる?」

「壁外……第三外区のことですね」

「あ、そうそう。それ」

「十年程前、今のノイライト様が政治の中枢に関わりだしてから最初に手を付けた仕事がその壁外の整備です。壁外、という便宜上使われていた名称から、第三外区という正式な名称に改め、定期的に街の治安を守る警備兵の巡回をはじめました。五年程前からは郵便も届くようになっています。私がはじめて壁外に行ったのは二十歳の時です。すでに整備が始まって数年立っていましたからそれほど危険は無かったのですが、ラディオの子供の頃はだいぶ治安が悪かったと聞いています」


 酒の肴に麦の酒と一緒に持ってきたピーナツに似た豆を口に放りながら訊く。


「治安が悪いってどのくらい?」

「私もラディオに聞いた話ですが。昼間でも一人で歩いていると暗がりに連れ込まれたり、道端で血を流している人間をよく見かけたそうです。遺体も何度か見たと言っていました」


エルがほんの少し眉を顰める。なんかそれ、俺が思っていたよりもさらに治安が悪いのかもしれない。酒のつまみに話すような内容ではなかっただろうか。


「ラディオってさ、その壁外から王城の騎士団に入ったなんてもしかして相当優秀なの?」

「以前私たちの通っていた王立学校の、貴族以外の人間の入学者の第一期生がラディオだと話しましたよね?」


そう聴いたのは覚えているので頷く。


「その第一期生の貴族以外の入学者は二十八人。第三区の学者や商人の息子が主で、壁外から選ばれたのはラディオ一人です。それだけでも彼は特殊な立場でしたが、おまけに私やイオと行動を共にすることが多かったので、ラディオは有ること無いことを言われていました。それについては今でも少し申し訳なく思っています」


周囲からやっかまれたってことか。自分より下の立場だと思っていた人間が高位貴族とつるんでいるのが気に食わなかった奴らがいるんだろうな。


「そんな周りの声を黙らせるくらいにラディオは優秀でした。魔力は貴族ほど多くは有りませんが、身のこなしが軽く頭も切れます。単純に、剣だけで試合をすれば私が勝ちますが、殺し合いをすれば私はラディオに負けるでしょうね」

「でもエルって王宮主催の剣術大会の優勝者なんだろ?」

「私、その話しましたっけ?」

「いや、他の人に聞いた」

「そうですか。ラディオ曰く、私の剣は『お行儀が良すぎる』そうです。卑怯だろうがなんだろうが生き残った者が勝ちなんだよ、と彼は以前言っていました。私たちはそんなラディオの鮮烈さに惹かれたんです。周りはラディオが私たちに付いて回っていると言っていましたが、本当は私とイオがラディオにくっついて回っていたんですよ」


 その頃のことを思い出したのか、エルがくすりと笑う。なるほど、エルのイオリスの他にはラディオだけに向ける砕けた口調と、イオリスのラディオに対する執着の理由が少しだけわかった気がした。




「風呂に、風呂に入りたい……」


 俺はテーブルに突っ伏して呟いた。こちらに来てからかれこれ二百日近く過ぎた。

 その間、一度も風呂に入ってないんだぜ、信じられるか? 魔法で体を綺麗にしているので、垢がたまったり臭くなったりはしない。そのため我慢に我慢を重ねてここまで来たが、もう限界だ。風呂に入らないと心が死ぬ。


「風呂なら、街にあるぞ」


降ってきた声に、がばっと顔を上げる。ユークだ。


「マジで! 行く、すぐ行く、今行く!」


 腕に縋りついた俺の勢いに、ユークの顔が引きつったが気にするもんか。連れて行ってくれるまで放さない、という気概でギリギリ腕を締め付けると空いている方の手でスパンと頭をはたかれた。


「痛い、放せ。連れて行ってもいいけど、街の風呂は出会いの場だぞ」

「出会いの場って?」

「そのまんまだ。新しい出会いを探す場だな。人々が好みの相手を探して愛を育む」

「……やらしいことする相手を探す場ってこと?」

「まあだいたい最終的にはそうなるな」


つまりハッテン場ってことじゃないですか、ヤダー。あ、男女の場合は使わないのかなこの言葉? 俺そんなに詳しくない……って、違くて。そんなとこで落ち着いて風呂に入れるか馬鹿野郎。俺は、俺は、癒しを求めてるんだよ! グルルル、と獣であれば威嚇の声が出そうな目付きで睨み上げると、ユークが苦笑した。


「そんなに風呂に入りたいのか?」

「俺の住んでたところは毎日風呂に入る習慣があるんだよ。一人でゆっくり浸かって日々の疲れを癒すんだ」

「へぇ、そうなのか」


感心したように呟いて、そのあとユークは何か考えるように黙った。俺が大人しく待っていると、ポンッと頭を叩かれる。


「わかった。連れて行ってやる」

「街の風呂は、落ち着かなそうだから無理」

「いや、違くて。ちゃんと他にゆっくり入れるところがあるから安心しろ。ただし、馬で行かなきゃいけないから明日な」

「ほんとに? ユーク愛してる!」


俺が腰に縋りつくと、呆れたようにため息をついてユークが俺の頭をぽんぽんと叩いた。



 翌日、風呂セットを用意してウキウキ出発したのも束の間、若干馬に酔って気持ちが悪いのは気のせいだと思いたい。馬なんて初めて乗ったので新鮮な空気と綺麗な風景と高いテンションで乗り切ったが、馬を降りてもまだちょっとふらついている。

 大丈夫、大丈夫、俺には風呂が待っている。ちなみに乗馬なんて当然できない俺はユークに一緒に乗せてもらいました。

 ユークに連れられ辿り着いたそこは、外観は地味な円形の建物だった。サイズも今までに見た王城の施設の中では小さい(だが決して、一般的に見て小さくはない)。外にある小屋をユークが訪ねると、中年くらいの男性が顔を出した。何事か少し話したあと、ユークが布の袋を持って戻ってくる。


「お待たせ。鍵貰ってきたから入ろうか」


待っている間にだいぶ気分も良くなった。頷くとユークが立派な扉の鍵を開けた。

 豪華なソファが備え付けられた室内を抜けた次の部屋に、目当てのものはあった。白いタイルの床に心が躍る。備え付けの棚にユークがさっき受け取った荷物を広げた。バスローブと頭を拭く布だ。他にもう一つガウンのような薄い服があるのを見て気付いた。


「なあ、ユーク。もしかしてここでは風呂って裸で入らない?」

「裸で? は、入らないな。これを着る」

「ああ、やっぱり」


薄い布の服は水に濡れたら透けそうだ。女の人もこれを着るんだろうか。水に濡れて体に張り付いた服とか余計にエロくない? 街にあるという公衆浴場を思い出して考える。なにそれちょっと見たい、とか思ってない、思ってないぞ。


「俺の国では、風呂は裸で入るんだ」

「何も着ないで? それは大胆だな。別に俺たちしかいないから、それでもいいぞ」


俺がこんな会話を振ったことで察したのだろう。ユークが手に持っていた服を置いた。話が早くて助かる。


「なあユーク。浴室見てもいい?」


 そわそわする俺に少し笑ってユークが頷く。浴室の扉を少し開けて隙間から覗いた俺は、無言になった。風呂だー風呂風呂、と叫ぶ予定だった俺のテンションを返せ。

 白とクリーム色の複雑な模様のモザイクタイルの広い床に、中心に六畳くらいありそうな水面が見える。端にある女神の像の持つ壺からはお湯が滔々と溢れ、反対側から流れ去っていく。なにこれ源泉掛け流し? 極めつけは壁だ。白い石造りにギリシャ神殿のような立派な石柱が建物に沿って円形に並んでいる。

 なあこれ本当に、裸で入ってゆったりまったりの~んびりしていいような施設なの? 神殿とかじゃないの? パタンと一度扉を閉じて考える。いや、初志貫徹。俺は日本式に風呂に入るったら、入る。目の眩むような風呂の豪華さは見なかった事にして俺は服を脱ぎ始めた。

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