第21話

 王宮に戻って、騎士団宿舎の近くでラディオに会った。幸い彼はここ最近蕁麻疹でスフェンのもとを訪れることはない。あれはマナス豆のアレルギーで正解だったようだ。


「ラディオ、髪の毛伸びたなー」


初めに会ったときは肩ぐらいだった髪がもう背中まで届いている。


「切ろう切ろうとは思ってるんだけどねー」

「わかる。髪切るのって結構面倒だよな」

「コーキはいつもすっきりしてるねー」

「俺、髪長いの似合わないし」

「オレ、もともと壁外の出身だから床屋で髪を切る習慣が無くてさ。今は床屋に行く金が無いって訳じゃないんだけどどうしても金が勿体ない気がしちゃって~」

「なあ、『へきがい』ってなに?」

「そっか。コーキは遠くから来たから知らないか。この王城の有る場所を一区、それを囲うように広がる貴族のエリアを二区、さらにその外側が庶民の住むエリアで三区って呼ばれているんだー。そのまわりにはぐるっと壁が作られている。昔はここまでが城下街だったんだー。

 百年前の戦争後、その壁の周りに外から流れて来た者たちが住むようになった。だから街の壁の外だから『壁外』。以前は結構治安が悪かったんだけど、十年ぐらい前に『壁外』から『第三外区』って名前になって、だんだんと行政の助けが入るようになってきた。壁の中と外の賃金格差も少しずつ縮まってきて今では多少治安も良くなったよ。でも昔からそこに住んでいる人は今でも『壁外』って呼ぶことが多いんだよねー」

「そうなんだ」


 つまりラディオは治安の悪いスラムみたいなところから、王城の騎士団まで登り詰めたのか。実はラディオってすっごい優秀なのかな。こんどエルに聞いてみよう。


「なあ、じゃあラディオもイオリスに髪切って貰おうよ。そしたら金掛からないよ」

「は、イオリス様?」

「俺、イオリスに髪切って貰ってるんだ。魔法で一瞬で終わる」


 ここに来て最初に髪を切りたいと思った時に、たまたま近くにいたイオリスに床屋か美容院は無いのか聞いたら、イオリスが僕が切ってあげる、と言い出したのだ。本当に大丈夫なのかと初めは疑ったが、イオリスが自分の髪は自分で整えていると言ったので信じてみることにした。

 そうしたらびっくり。椅子に座って目を瞑るように言われて、イオリスの呪文の詠唱が聞こえたと思ったら一瞬強い風が吹いて、そして次の瞬間には終わっていた。おまけに切り落とした髪の毛は床に広げた小さな布の上にキレイに纏まっていた。なんでも風の魔法で鎌鼬みたいなものを発生させているそうだ。間違って首でも切られんじゃないかとその時はぞっとしたが次に切って貰った時も無事だった。


「イ、イオリス様はちょっと……」


ラディオの腰が引いている。ああ、そういえばイオリスはラディオの天敵だった。


「大丈夫大丈夫。俺も一緒に行くし。イオリスがお前に悪戯しようとしたら俺が締め上げるから、へーきだよ」


エルに面倒を掛けるのはとても心苦しいけれど、イオリスには率先して面倒を掛けていく所存だ。それにあの一瞬で終わる魔法を渋るほどイオリスもケチじゃないだろう、たぶん。



 ラディオを宥めすかしてイオリスの元へ連れてきた。イオリスの前の椅子にちょこんと座るラディオはいつもより小さく見える。イオリスが彼の後ろへ回ると、それだけでラディオの肩がびくっとした。そんなにイオリスが苦手か。おっかなびっくりした態度は小動物みたいだ。


「それにしてもラディ、本当に髪切るの? 綺麗な髪なのに勿体ない」


 長く伸びた髪を一房掬ってイオリスが言う。確かにラディオのまっすぐで赤い髪は綺麗だ。長いわりには痛みも少ない。

 イオリスが両手をラディオの肩に乗せる。少し屈んでラディオの耳元に口を近づけた。


「好きなんだけどなー、僕。君の髪」


おい、なんだその艶っぽい声。ラディオが膝に乗せていた掌をぐっと握る。耐えるようにわずかに俯いたのに、イオリスが気を良くしたのかふふと小さく笑った。その息が耳にかかるのかラディオの頬に赤みが増す。

……そうか、イオリスの悪戯には、こういう遊びも有りなのか。初めてラディオと話した時に妙に赤くなっていたのを思い出す。一体何をやってんだ、イオリス。


「おい、イオリス。遊ぶな」


可哀想になって口を挟む。イオリスの悪戯は止めてやるって約束したしな。


「心外だな、僕は遊んでなんていないよ」


 イオリスが視線だけこちらへ向けた。ご丁寧に先ほどの艶っぽい声はそのままだ。耳元でそれを訊くラディオが哀れだ。ふむ、色気ってこういうのか。なるほど俺にはこれは出せない。「君は色気が無いね」のイオリスの声が脳内で再生される。だが、こんなしょうもない色気なら欲しくない。


「人の気持ちを弄ぶのは性格が悪いぞ」

「残念だけど、生まれてこのかた良い性格になったことはないね」


……駄目だこいつ。少しも反省していない。早くなんとかしないと。


「あー、もういいからさっさと切ってやれよ」


面倒くさくなってきた俺が投げやりに言うと、ようやくイオリスがその気になったらしい。ハイハイ、といい加減な返事をして、ラディオから離れた。


「じゃ、目を瞑っててね」


 ラディオが返事をすると、イオリスが小さな声で呪文を唱え始めた。ラディオの赤い髪が風に煽られたように舞い上がった次の瞬間、そのまま途中からばさりと切れた。切り離された髪は空中で一回転した後、床に広がった布に集まる。そうか俺の髪はいつもこんな風に切られているのか。


「はい、もーいーよ」


 イオリスの合図にラディオがこちらを向く。俺が日本から持って来ていた鏡を向けると、ラディオが驚いた顔をした。


「本当に切れてる」


 首筋に掛かるくらいの、俺よりは少し長めのカットだ。イオリスの趣味かな。


「似合ってるよ、ラディオ」

「ありがと、コーキ。それにしてもその鏡ものすごく表面がキレイだねー」

「え、ああうん。ちょっとね」


ははは、と笑って誤魔化す。ラディオには俺が異世界人だと話していない。この世界の鏡はよく映るけれどまだ少し表面に歪みが残っているのだ。俺が髪を切って貰う時にはいつもこの鏡を使っていたからうっかりしていた。イオリスが呆れたように俺を見ている。


「ほら、ラディ、そろそろ午後の休憩終わりじゃないの?」

「え、あ、そうですね」


 イオリスが言うと、ラディオが慌てて立ち上がった。どうやらイオリスはフォローしてくれたらしい。助かった。


「オレは戻るけど、コーキはどうする?」

「あ、俺まだイオリスと話してく」

「ん、わかったー。では、イオリス様。ありがとうございました」

「ラディならいつでも切ってあげるよ」


イオリスがひらひらと手を振る。ラディオはもう一度礼を言うと部屋から出て行った。

 勝手知ったるなんとやら、イオリスの部屋でお茶を淹れる。テーブルにカップを置くと、どーも、と簡単な返事があった。


「んで、イオリス。ラディオにはどの程度本気なの? お前が本気なら別に止めないけど、揶揄ってるだけなら、苛め、カッコワルイ」


俺が片言に言うと、イオリスが吹き出した。


「さぁてね?」


色気たっぷりの流し目なんぞくれやがったが、イオリスは結局答えてはくれなかった。ごめんラディオ、俺にはこの性悪の矯正は難しい。

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