第19話

 宰相のもとを辞して部屋に戻ると、エルが真剣な顔で俺に向き直った。


「本当に申し訳ありませんでした」

「……えっと、何が?」

「監視の事です」

「ああそっか、でもさっきも言ったけど本当に気にしてないよ。むしろエルに貧乏クジ引かせてごめんな。部屋も半分占領しているし」

「貴方のことを迷惑だなどと思っていません。けれど、もしコウキが望むなら部屋を移ることは可能です。もう団長やノイライト様もお許し下さるでしょう」


エルの瞳が悲しげに伏せられる。もしかして俺が謝るたびに真面目なエルは罪悪感を抱いていたのかもしれない。俺のお守りをさせて悪いな、と思ったがゆえの謝罪だったけれど、もしかしたら却ってエルを追い詰めていたのだろうか。これはまずい。


「なあエル。俺に、騎士団の厨房の手伝いをさせてくれたのは、エルが俺を信用してくれたからだろ? 俺が食事に毒を盛るような人間じゃないって信じてくれたんだ」

「貴方がそんなことをするはずがありません」

「うん、そうだね。だからさ、そりゃ最初は俺のこと疑ってたのかもしれないけど、今はそうじゃないってちゃんと伝わってるよ」


本当にエルには感謝しかしていない。右も左もわからない異世界でこんなにも親切にしてくれた人にどうして文句が言えようか。

 そして部屋は今更変えられるのはちょっと困る。だって王城はどこもかしこも広くて、日本の安アパートに住んでいた俺には落ち着かない。蛍光灯のような明るい光源も無いし、夜は薄暗くて正直怖い。闇の中にぼんやりと浮かぶ長い廊下とかもはやただのホラーだ。


「部屋なんだけど、いつもみたいに言葉を教えてもらいたいし、出来ればここに置いてもらいたいんだけど、ダメかな?」


なけなしのプライドが邪魔をして、さすがに「怖いから一緒にいて」とは言えない。当たり障りのない理由でお願いすると、エルは表情を緩めて頷いてくれた。良かったとりあえずは嫌がられてはいないみたいだ。


「いつも優しくしてくれてありがとな。改めてこれからもよろしく」


ごめん、の代わりに、これからは出来るだけ前向きな言葉を使おう。ここにも握手の文化があるそうなので、右手を差し出す。エルも握り返してくれた。

 エルがじっと俺の目を見る。森のような濃い緑の虹彩が綺麗だ。しばらく見つめ返していた、が、……長い。


「ちょ、エルなんか反応してよ。俺、すっげぇ恥ずかしいこと言った気がしてきた」


羞恥に顔に血が上る。もしかしてキモかったんだろうか? 優しくしてくれてありがとう、とか今までの人生で言ったこと無いし。


「え、ええ、もちろん、こちらこそよろしくお願いします」


 あわあわしていると、エルが弾かれた様に言った。エルの左手が俺の頬の近くまで伸びてきて思わず目で追う。そこで一瞬止まったその手が、ポンっと俺の頭に乗った。いつかのようにまた軽く髪がかき混ぜられる。やっぱりエルは俺のことを子供扱いしている。



 宰相との話し合いの結果、俺は午前中は食堂の手伝い、午後はスフェンを手伝いながら、時々話を聞きに来る宰相の相手をすることになった。また衛生や栄養のことについては、何か気付き次第スフェンに伝える事になった。とはいえもともと昼間はスフェンに相手をしてもらっていたので、今までとそれほど差は無い。

 ついでにユークも度々ここに来ている。魔法陣を刺しているスフェンの横で俺とリバーシやトランプをしたり、俺の言葉の勉強を手伝ってくれたり、わりと自由だ。今日もさっきまでここで遊んでいたが、これから用があると、少し前に帰っていった。


「そういえばユークの仕事って何なの? やっぱり王族だから日々のこまごまとした作業とかないのかな?」


ふと疑問に思ってスフェンに訊く。早い話がユークはいつも暇そうだ。

 スフェンは何事か考えていたようだったが、やがて唇の前に人さし指を立てた。


「これはあまり話したくないことなのですが、王城内では公然の秘密ですのでお伝えしておきますね。ユークリート様が誤解されるのも本意ではないですし」


 俺が何気なく口にしたことは意外と深刻な話らしい。思わず緊張で喉が鳴る。


「ユークリート様は現王の四番目のお子様ですが、ほかに腹ちがいの御兄弟が四人います。国王と正妃様との間のお姉様とお兄様、側妃様との間に、もう一人のお兄様と弟君がいらっしゃいます」

「正妃の産んだ男子が第一王子、側妃の産んだ男子が第二王子、その次のユークが第三王子ってこと? で、さらに側妃の産んだ二番目の男子が第四王子ってことだよな。 あれ、でもユークの母親は?」

「ユークリート様のお母様は教会の聖職者です。早くに亡くなっているので私はお会いしたことがありませんが銀色の長い髪に青い瞳のとても聡明で美しい方だったそうですよ」

「教会って、アエロス神のだよな? その人も『寄進』を受けてたの?」

「ええ、そのためユークリート様のお母様は王室に入られていません。ユークリート様も、国王とお母様が関係を持った時期から、王の子だと推定されているだけで確実に王室の血を継ぐと証明されたわけではないのです」

「じゃあ、なんでユークは第三王子と認められているんだ?」

「それは、あの方の瞳です。紫色の目は非常に珍しく、そして王家の血筋に出やすい色なのですよ。最近では亡くなった先々代の王が美しい紫色をしていて、現在では現王の従兄弟君に一人、紫掛かった瞳の方がいらっしゃいます。その中でユークリート様の瞳はその先々代の王に生き写しだと言われているのです」


なるほど、ユークが本当に王の血を継いでいるかはわからないが、その血を継ぐ有力な形質が現れてしまったから、王室としては関係ないとも言い切れなくなったわけか。となると、ユークの周囲からの扱いも想像がつく。腫れ物扱いか、担ぎ上げられるか、どちらにせよ、あまり良い思いはしなさそうだ。


「また、ユークリート様は瞳だけでなく、そのお姿もご兄弟の中で一番見目麗しいと言われています。そのため権力者の中で取り入ろうとする者も多いのです。王家の血筋を色濃く出す瞳に、民衆の心を掴む美しい容姿、そこに己の権力を合わせれば国を動かせる、とね」


スフェンが不愉快そうに眉を寄せる。いつも穏やかな表情を崩さない彼にしては珍しい。少しだけ間を置いて続けた。


「そうしてその事態を重く見た元老院はユークリート様が十二の歳に決めました。政治の混乱を避けるため、彼を国の中枢から遠ざけ、その血を継ぐことを禁じました」

「血を継ぐことを禁止って?」

「女性と関係を持つなということです」

「はぁ、それすっごい非人道的じゃない?」

「ええ。ですが貴族はみなその血筋に拘ります。王家となればなおさら。他の御兄弟に男児が産まれなければまた別でしょうが、すでに第一王子には男子のお子様が二人いらっしゃいます。ですからユークリート様の戒めが解かれることはないでしょう」


 話を終えてスフェンが小さく息をつく。どこか怒りを抑えるようなそれはユークを思ってのことだろう。


「与えられた仕事も『地方統治』とは名ばかりの、閑職です。地方の統治と言いながら、目の届かない場所で子供を作られるのは困るので王都からも出さない。彼がすることと言えば、王都の役人が地方について纏めた簡単な書類に目を通すことくらいですよ」


 つまりユークは仕事をしていないわけではなく、仕事をさせてもらえないってことか。女性を禁じられたから男遊びが派手になった、のかどうかはともかく、瞳の色だけでユークは長年国に飼殺しにされているってことだ。

 想像よりも随分と重いユークの身の上に、声も出ない。一般庶民の俺にはわからない様々な思惑があるんだろうが、いつも明るいユークの笑顔の裏に隠されたものを垣間見た気がして、胸が痛んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る