第18話

 こちらの世界に来てから百日以上が過ぎた。正確な日数はもう数えるのはやめた。数えたところで早く帰れるわけでもない。

 午前と午後に厨房の手伝い、数日に一度図書館。そこで借りた本を教材にスフェンのところで字を教わるか、気晴らしにイオリスとゲームをして、時々サナやシェールと遊びに教会へ行く。夜は腕輪を外して、エルに言葉を教わりながら雑談。休暇は不定期。エルに口を酸っぱくして言われたので体調を崩したら悪化する前にすぐに休む。他にはエルの休みに合わせて街を案内して貰ったり、時折外食したりもする。

 厨房の手伝いは少ないけれど給料が出るので、街へ出かけるときは自分で物を買えるようになった。必要なものは買って貰えるんだけれど、やっぱり自分で稼いだ金の方が遠慮なく使える。今の俺の生活はだいたいこんな感じだ。なんとなく習慣付いて「異世界」という違和感もだいぶ薄れた。

 他に、ちょくちょくユークも顔を出すようになった。イオリスからスフェン、そしてユークへと伝わったリバーシ(オ〇ロ)は、王宮内でプチブームが起きている。いつの間にか手触りのいい高級そうな木で作ったゲーム盤まで出来ていた。イオリスには全く勝てず、スフェンとは良い勝負、ユークには負け越している。ちなみにトランプは今王宮付きの職人が鋭意作成中らしい。なんというかさすが金持ちは享楽のためにお金を惜しまない。

 そんなある日、俺は騎士団の団長クローム・カーネリアンに呼ばれた。エルと一緒に彼の執務室へ行くと、クロームは俺を見てほんの少しばつの悪い笑みを浮かべた。彼は常に忙しいのであまり話したことはないが、時々遭遇すると困ったことはないか、とか不足はないか、とか気遣ってくれる大変に出来た人だ。たぶん部下からも慕われているだろう。

 そのクロームの隣に、見覚えのない男性が立っていた。隣でエルが少し身を固くして片膝をついたのに気付き、彼が偉い人なのを知る。どうしようか一瞬迷った末、エルと同じように膝をつこうとしたその時、声が掛かった。


「ああ、そんなに畏まらなくていい。エルファム殿も立ちなさい」


そう言われて軽く目礼するに止める。エルも少し緊張を解いて立ち上がった。許しが出たのでとりあえず男を観察する。

 耳より少し下くらいの長さの銀色の細い髪に、まるでシベリアンハスキーみたいな薄青の瞳は切れ長で、左右対称にバランスよく配置された目鼻は整い過ぎて冷たく感じる。雪の様と表現するのが大袈裟ではないようなシミひとつない白い肌で、エルやイオリスも美形だと思ったが、その二人が霞むくらいにこの人の美貌は群を抜いている。おまけに思わず平伏したくなるような凄みがある。その見た目から歳はよく分からないが少なくとも二十代ではなさそうだ。


「こちらは我が国の宰相殿だ」


クロームが手短に紹介する。


「セラフィス・ノイライトだ。以後よろしく」


 俺も自己紹介を返しながら記憶を探る。ノイライト家ってたしか血の繋がりがあっても力が無ければ養子に後を継がせることもあるっていう実力主義の宰相の一族。つまりこの人は遣り手の宰相様か。うう、怖え。そんな人が俺に何の用?


「スフェンに聴いたが、あなたは病気に詳しいそうだな?」

「え? いいええ、詳しいって程ではありません。俺は医者じゃ無いですし」


ものすごい過大評価に慌てて手を横に振る。栄養の学校を卒業していたり、自分自身が腹が弱いから少し詳しくなっただけで、医学的知識はほとんどない。


「そうか。でもあなたの知識は役に立つ。事実、水を煮沸するようになり城内の子供の腹痛が減った。体の弱った者も同様だ。そのまま水を与えるよりみな調子が良いようだ」

「それは良かったです」


海外へ行ったら生水は飲むな、これは日本人の常識です。まあここは異世界だけど。


「ビタミン不足や、アレルギー反応の件も聴いている。あなたの住む世界はこの国よりずいぶんと医術が進んでいるようだ。と、いうよりも根本的に学術の基礎が違うのだろうな。悔しいが私たちは病気になる前に、前もって防ぐ方法など考えもしなかった」

「俺の世界には、魔法がありませんから。その代わりに科学っていう色々なことが出来る技術が発達しました」

「そう。それだ」


宰相が少し嬉しそうに言った。なんのことか解らず首を捻る。


「その、あなたの国の『技術』について教えを乞いたい。『かがく』というのか? 私たちにはあまり聞き慣れない言葉だが」

「そうは言っても俺はあんまり詳しくないです」

「構わないよ。あなたの世界の技術のすべてがこの国で役に立つとも思ってはいない。ただ知識と情報は宝だ。それを持つ者が目の前にいるのだから協力を求めない手はないだろう?」


宰相の言いたいことは理解できるがその役は俺では明らかに力不足だ。現代の科学技術の説明なんて俺に出来るとは思えない。なんせ電卓の仕組み一つ説明できない俺だ。


「もちろん報酬は出す。こちらの通貨で支給することになるから、残念ながらあなたにとってどれだけの価値があるかはわからないが、この件、受けてくれると助かる」


宰相の真剣なまなざしに押されて、とりあえず頷く。


「わかりました。協力はします。でも俺、たぶんたいした話は出来ないので、報酬はいりません」

「それはだめだ。知恵と知識はあなたの武器だ。それを無償で提供してもらうわけにはいかない」


そして宰相が口の端を上げて悪戯っぽく笑う。


「何よりボランティアだと思うとこちらも遠慮しないといけなくなるだろう?」


つまり雇用関係がある方が遠慮なく俺をこき使えるということか。なるほどこの人は遣り手だ。なんとなく綺麗に纏めずに、最後にこんな意地の悪い言い分を付け加えたのもわざとだろう。現に俺は、今の言葉でこの美しい宰相様への信頼感が増した。

 そっちがその気なら俺も悩む必要はない。俺の知識と情報が役立たずだと判断すれば、向こうから雇用契約の終了を申し出るだろう。そこに感情を介在させる必要はない。これはビジネスだ。


「そういうことなら、有難くお受けします」


俺の返事に宰相が頷く。それから宰相は隣で様子を窺っていたクロームに向き直った。


「それにしてもコウキ殿についていつ報告が上がるのかと待っていたが、いつまでも来ないのでつい自分から来てしまったぞ」

「報告するほどの内容でもないと思っていたのですよ。エルファムと同室にして様子を見ていましたが何か企んでいる様でも、諜報活動をしている様子も見られませんでしたし。ですから本当にイオリス殿の悪戯に巻き込まれた被害者かと」

「騎士団内の人事については君に一任しているから、本来は私がとやかく言う権利は無いのだが、こういう稀なケースは報告してくれると有難い」

「承知致しました。次回同様のことがあれば報告いたしましょう。まあ異世界人が来るなんてそうそう無いとは思いますが」

「違いない」


ははっと宰相が笑う。存外に気安い二人に安心する。クロームが俺のせいで怒られるのでは申し訳ない。そして宰相様よ、報告をしていないはずの俺の存在をどこで知ったんだ。怖い。


「コウキも、悪かったな」


急に、クロームの話の矛先が俺に向いた。


「何がですか?」


謝罪の理由に思い当らずまばたきをすると、クロームが苦笑した。


「エルファムを監視につけたことだ」

「あ、ああ。いや全然気にしてません。エルはとても親切ですし。そもそも俺のことを投獄したり、最悪殺したって構わないだろうにこうして世話をしてくれるのは本当に感謝しています」

「殺したって構わないとは物騒だな。お前の国ではそれが普通なのか?」


クロームが興味深そうに訊く。


「まさか。俺のところでも、犯罪者に人権は有りますし、殺人は重罪ですよ」


 剣と攻撃魔法なんてものが存在するくらいだから、何となくこの世界は人の命の価値は軽いのかと思っていたけれど、この反応を見る限りそうでも無さそうだ。それだけ長い平和と良い政治だということだろう。ちょっと失礼だったな。


「それに俺みたいな身元不明の不審者に監視の一つもつけない様では、王宮のセキュリティが心配になりますよ」


冗談っぽく付け加えると、宰相が目を細めて笑った。怖いけどこの宰相様とは案外解りあえそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る