第17話

 スフェンが記録しているラディオの訪問履歴と、騎士団宿舎の献立表と食材の発注記録を照合した結果、ラディオのアレルギーの原因として有力なのは「マナス豆」という大豆に似た味と形の豆だった。ラディオが医務室を訪れた日の昼食に必ず使われている。それほど頻繁に使われる食材ではないようで、特定するのは意外と簡単だった。

 一晩過ぎて、すっかり蕁麻疹が引いたラディオに「マナス豆」を避けるように伝えると、嬉しそうに試してみると頷いてくれた。蕁麻疹の辛さは俺も良く知っているし、アレルギー反応にはアナフィラキシーショックという命に関わる重篤な症状を起こす場合もあるので、これで解決するように心から願う。ちなみにアレルギーは水を飲ませたりしても症状が軽くなったりしないから、呼吸困難などの重い症状の場合は、病院に行くなり救急車を呼ぶなりしよう。



 この世界に来てから六十日が過ぎた。地球時間で何日かはもう無意味だから計算するのはやめた。相変わらず時々腹は痛いけれどだいぶここの生活にも馴染んだ。

 俺は今、サナに会いに教会へ来ている。入り口は色とりどりの花で飾られ今日も華やかだ。最近やっと図書館の周辺ならば一人で出歩いても良いというお許しが出た。図書館から教会へは歩いて数分だ。

 初めにサナと図書館で話をしてから、二度ほど図書館でサナに会った。サナは結構な頻度で通っているらしい。その時に教会には中庭を囲む等間隔の白い柱が美しい回廊があると聞いて、今度見に行くと約束していた。いつ行くとは伝えていないけれど、教会は自由に見学出来るらしいので、もしサナが忙しそうだったら出直すつもりだ。


「こんにちは。貴方は先日オブリディアン家のエルファム様と一緒にいらした方では?」


 サナを探してきょろきょろしていると、年配の女性に話しかけられた。淡い茶色の髪には白髪が混じっているけれど、きっと若い頃は素晴らしい美女だったんだろうな、と思わせるくらいには今もその名残を残している美人だ。柔らかい笑みが温かさを感じさせる。


「そうですけど、あなたは?」

「この教会の管理を任されております、リアナと申します。何かお困りですか?」


 俺も自己紹介をして事情を伝えると、リアナさんがサナのところまで案内してくれることになった。サナは今、教会の外の聖職者たちの居住区にいるらしい。それならば日を改めようと思ったけれど、リアナさんが気にするなというので甘えることにした。

 道すがら、世間話もかねて口を開く。


「フードを被っているのによく俺がエルと一緒にいた人だってわかりましたね」

「聖職者という立場上、人の顔を覚えるのは得意なのです。何よりコウキさんの場合はフードからのぞく髪が黒い色をしていますからすぐ解りました」

「やっぱり目立つんですね」

「ええ、私も今までにたくさんの方にお会いしましたが、そんなに濃い黒い髪の方は初めてです。遠くからいらしたのですか?」

「まあ、そんなところです」


異世界です、なんて言えないから適当に濁すと、リアナさんも心得ているのかそれ以上は追及してこなかった。

 それからすぐに、聖職者の暮らす建物にたどり着いた。騎士団宿舎より少し装飾が地味だが立派な建物だ。中に入らず壁沿いに回り込んで庭に出るとそこにサナが居た。木陰のベンチに座っている。一人分のすき間を空けて隣に男性がいた。


「サナ、お客様ですよ」


顔をあげたサナが驚いて立ちあがった。こんなところまで押しかけて悪かっただろうか。


「コーキさん。どうしたんですか?」

「いや、前教えてもらった回廊を見学に来たんだけど、取り込み中だったかな? 邪魔してごめん」

「いえ、そんなことは……」


言いかけてサナの視線が隣に落ちる。座ったままこちらを凝視していた男性にリアナさんが話しかけた。


「シェール、ご挨拶なさい」


パチパチと瞬いたあと、その男性は立ち上がっておずおずと言った。


「シェールです、はじめまして」


俺よりほんの少し高い背丈に、ふわふわの薄い茶色の髪。ペリドットみたいな薄緑の瞳が綺麗だ。そして驚くほど整った顔している。歳は二十歳前後だろうか。あれ、でもどっかで見たことあるような……。


「モルガの弟です」


記憶を辿っているとリアナさんが追加した。ああ、なるほど。モルガさんに似ているんだ。言われてみれば一目で血が繋がっているのがわかる。


「姉さんのお友達ですか?」

「お友達って程ではないけど、顔見知り、かな?」


俺みたいな影の薄い奴をモルガさんの方が覚えているかは謎だが、少なくとも俺は知っている。それにしても何だかさっきから違和感があるんだけれど。

 その時俺の耳もとでリアナさんが声を潜めて言った。


「シェールは知恵遅れです」


知恵遅れ、つまり精神遅滞か。一般的に言うと知的障害。見た目のわりに言動が幼く感じるのはそのせいか。問題なく会話ができるから、そこまで重度ではなさそうだ。感覚的には小学校の高学年くらいだろうか。知的障害の原因は様々だ。遺伝性の病気だったり、先天性の疾患、外傷が原因の場合もある。


「あまり驚いていらっしゃらないようですね」


リアナさんの言葉に頷く。


「似た人たちを知っていますから」


 日本で仲の良い友人の妹にも障害がある。それに家の近所に特別支援学校があるので何となく身近に感じていた。もともと心理学や精神医学にも興味があり、素人ながら少しだけ齧ったこともある。


「ねぇ、さっきから気になってたんだけど、これきみが描いたの?」


 ベンチに置いてある数枚の紙を指さしてシェールに尋ねる。その紙にはサナの顔が描かれている。それほど時間を掛けたスケッチには見えないのにびっくりするほど上手い。


「そうです」

「よかったら見せてもらえないかな」


一番上の絵しか見えないので他の紙が見たい。基本綺麗なものが好きな俺は絵を見るのも好きだ。そこに上手な絵があれば見てみたい。頷いてくれたシェールに礼を言って紙を取る。数枚の紙には様々な角度から描かれたサナの顔があった。超上手い。


「すっげーー、上手すぎる。俺、絵心が無いから、絵が描ける人ほんと尊敬する。なあなあ、他にもないの?」

「え、うん。あります……けど」


興奮して尋ねた俺に、驚いた顔をしたシェールは、それから照れたように笑った。おっと、年甲斐もなくはしゃいでしまった。でも彼の絵は絶対に名画だ。見たいものは見たい。

 その時リアナさんがふふっと声に出して笑った。


「その様子では、コウキさんにサナとシェールの相手を頼んでも大丈夫そうですね。私は一度教会に戻ります」

「あ、はい。すみません。案内ありがとうございました。帰る時にまた声をかけます」

「ええ、そうしていただければ助かりますが、でもそのまま帰って下さってもかまいませんよ。ぜひ楽しんでらしてください」

「はい、ありがとうございます」


それからリアナさんは、サナに、後は頼みます、と言って教会へ戻っていった。


「ほかの絵を見にシェールの部屋に行ってもいい?」


 サナがシェールに尋ねる。彼は嬉しそうに頷いて、俺とサナを先導して歩き出した。




 その日、俺はユークに王城の庭を案内して貰っていた。広い王城には大小さまざまな庭園があるが、ここはこじんまりとした小さな庭だ。

 普段の俺の王城での行動範囲は騎士団宿舎、イオリスの部屋、スフェンの部屋くらいなので見かねたユークが人の少ない裏庭に連れてきてくれたのだ。小さいながらも手入れは行き届いていて気持ちが良い。

 ユークは気まぐれに城内を案内してくれる。初めて会った時のような残念発言をちょいちょい挟んでくるがどれも明らかに本気ではないのが見て取れるので、今のところ気の良い兄ちゃんだ。

 庭からスフェンの部屋へ向かう途中の廊下で、見慣れない男性に会った。恰幅の良い中年だ。お供の人を二人引きつれて身なりも豪華なのでおそらくそれなりに地位の高い人間だろう。


「おや、ユークリート王子。今回はまた毛色の違う者を連れていますな」


頭の先から足の先までじろりと俺を一瞥してユークに話し掛ける。その視線はあまり好意的とは言えない。王城にとって俺は明らかに身元不明の不審人物なので気持ちは解るがせめてもう少し隠してほしい。


「綺麗な黒だろう? 他では見かけない一点ものだ」


 隣のユークが指先で俺の前髪をゆるく掻きあげる。自然ユークの方に向いた視線は、彼の完璧な笑顔を捉えた。華やかに微笑むその様は、まさに王族と呼ぶに相応しい優雅さを備えている。

 俺の視線に気付いたユークが、今度は俺に向かって笑いかけた。なんとも返事が出来なくて視線を逸らす。一庶民ごときの俺が今までに残念だの変人だのと散々な評価をしたのが申し訳ない。


「ほどほどになさいませ」


 軽い息をついて、中年の男は通り過ぎていく。お供の二人もちらりと俺たちに視線を向けて無言で去っていった。

 ユークが歩き出したので俺もついていく。少ししてユークが立ち止まった。


「悪かったな」


苦笑するユークにゆるりと瞬く。

 この謝罪は何に対する謝罪だろうか。あの失礼なおっさんが俺に不躾な視線を向けたことか、俺がユークの遊び相手だと思われたことに対するものか。

 どちらにせよ異世界人だと明かせない以上、俺にはおっさんの納得のいく説明は出来ない。今回、ユークの機転で助けられたのは俺の方だ。むしろユークの遊び相手に俺の様な凡人が含まれると思われたことがマイナスにならないかの方が心配だ。

 でも謝罪を受け入れると俺が被害を受けたことになってしまう。俺はおっさんに何もされていないし、ただ隣で会話を聞いていただけだ。どこにもユークが罪悪感を持つことなど存在しない。


「何のこと?」


笑顔ですっとぼけると、ユークが女の子が羨みそうなバサバサの睫毛を震わせた後ゆっくりと目元を緩ませた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る