第16話
本を閉じて俺はコリを解すために伸びをした。
「お疲れ様です」
文字を教えてくれていたエルが微笑んだ。相変わらずエルやスフェンに教えを乞う日々だけれど、また体調を悪くして面倒を掛けないように最近は少し加減している。その代わりにエルにその日にあったことを話す時間が増えた。
「そういえば、昼に第三王子に会ったよ」
「ユークリート様に?」
「うん。ユークって呼んでいいって言われた。偉い人なのにずいぶんフレンドリーだよね。この国の王族の人はみんなそうなの?」
「いえ、ユークリート様は特別です。他の方たちは王族らしい、と言ってしまってはユークリート様に失礼ですが、とにかくあまり私たちの気安い態度は好まれません」
「へえ、ユークが変人なのは筋金入りなんだな」
思わず出た俺のつぶやきにエルの眉が寄る。ヤバ、さすがに自国の王子に向かって「変人」は言いすぎか。
「あ、ごめん。馬鹿にしてるとかそういうつもりじゃなかったんだけど。言い過ぎた」
「いえ、違います。あの、コウキは大丈夫でしたか?」
「大丈夫って?」
「ええと、あの方は手が早いと評判ですので」
エルが少し言い辛そうに声を潜める。
「ああ、うん。出会って数分で夜のお誘いがあったけど断ったよ」
「そうですか。それならば良いのですが。もし何か困ったことがあれば言ってくださいね」
「うん。ありがとう」
とは言ったものの、王族っていうのは騎士であるエルの上司みたいなものではないのだろうか。俺よりエルの方がユークに意見し辛いだろう。
「でもユークは変人だけど、悪人ではなさそうだったから平気だよ」
「そうですね、あの方の人格は私も信頼しております」
つまりシモの方の信用は無いってことか。王子がそんなんで大丈夫なのかこの国。
「あ、話変わるけどさ、俺に何かできる仕事とかないかな?」
「仕事、ですか?」
「うん。給料は貰えなくてもいいんだけどさ、毎日タダ飯食らってるのが辛くて。あと、暇すぎる。さすがにこれ以上スフェンに迷惑かけるのも気が引けるし」
エルが居ない昼間はスフェンに文字を教えて貰うか、イオリスのところに押しかけてゲームをするかだ。リバーシは三日でイオリスに勝てなくなった。なので今は紙のペラペラな手作りトランプで七並べ他をやっている。近いうちに厚紙でもっとクオリティの高いトランプを作ってポーカーでもしようかと画策中だ。
「食費についてはこちらの所為なのであなたが気にすることはありませんが、確かに余暇が多すぎるのは辛いですね」
「だろー。俺に出来ることそんな無いけど、でも料理ならわりと得意だよ。もし厨房に人手が足りなかったら野菜の仕込みぐらいなら手伝える」
学生時代に病院やレストランの厨房でアルバイトをしていたので野菜を切ったり食材の下拵えをしたりは得意だ。ちなみに熟練の調理師さんはハンバーグのひき肉を手に持っただけで重さが何グラムかぴたりと当てるんだぜ。すごいよな。俺はせいぜいオレンジの大まかな重さを当てるので限界だった。プロの積み重ねた時間を感じたよ。
「そうですね、騎士団宿舎の厨房なら空きがあるかもしれません、確認してみますね」
「ありがと、よろしくー。面倒掛けてごめん」
「何度も言いますが、あなたが謝る必要はありません。もう少し我儘でも良いくらいです」
ぺこりと下げた俺の頭に、エルの手が乗った。さらりと一度髪を梳かれる。なんだかやっぱりエルは俺を子ども扱いしている。でも頭を撫でられるなんてずいぶんと久しぶりで少しだけ嬉しかった。
エルに話をしてから数日後、俺は騎士団宿舎の厨房で手伝いをすることになった。昼食と夕食の野菜を切る係りだ。日本であれば冷蔵庫や業務用のスライサーがあるので時間に余裕があるが、ここにはそんな便利な機械は存在しないので野菜の皮を剥くのも刻むのも人海戦術だ。そのため俺の手伝いは歓迎された。厨房の人達に逆に是非にとお願いされてしまった。単純に役立てるのは嬉しい。
仕事にはすぐに慣れた。厨房のおばちゃんたちは、この世界の食材を全然知らない俺に何かと親切に教えてくれた。それに若かりし頃のバイトの日々を思い出してなんだか楽しい。
ただし一つだけ不満がある。とにかく包丁の切れ味が悪い。日本の刃物は世界に誇れるって本当だった。そこだけが若干のストレスだ。今俺は猛烈に砥石が欲しい。
厨房の手伝いを終えてスフェンの部屋へ向かっていると、廊下の角で誰かにぶつかった。
「あ、すみません」
幸い俺も相手も転んだりはしなかった。十代中頃ぐらいのメイドの女の子だ。メイドは良く見かけるが、この子のように首の上の方まで覆う付け襟のメイド服は珍しい。
「ご、ごめんなさい。最近働き出したばかりで慣れてなくて」
慌てる女の子に、こちらのほうが申し訳なくなる。これは単純な事故だ。俺も前方不注意だったしどちらが悪いわけでもない。
「怪我は無い?」
頷く女の子に、良かった、と一息つく。こちらこそごめんね、と謝って歩き出した。
少しして目の前に見慣れた赤毛が見えた。ラディオだ。彼は最初に食堂で話してから、ちょくちょく一緒にご飯を食べるようになった。騎士団の詰所から少し離れたこのあたりで見かけるのは珍しい。
「ラディオ、どったの?」
気安さに雑に呼び掛けると、ラディオが振り向いた。
「コーキィィ」
あまりにも覇気のない声に驚いて、まじまじとラディオを見る。何だか顔が赤い。奥二重も今は腫れぼったく一重になっている。
「もしかして具合悪い?」
「そー、だからスフェン様のところに向かってる」
「マジか、大丈夫? 肩貸そうか?」
「いや、歩けないほどではないから平気ー」
そのままラディオの横について、スフェンの部屋まで一緒に歩く。見たところ歩調は安定している。今すぐ倒れる心配はなさそうだ。
スフェンと顔を合わせるなり、ラディオはすまなそうに頭を下げた。
「またベッドを貸してください」
「ええ、もちろんです。体調はいかがですか?」
「いつもよりは少し軽い気がします」
「そうですか、それは良かった。すぐに回復しますね」
呪文を唱え始めたスフェンに、ラディオが少し落ち着いたのかふっと息を吐く。スフェンの慣れた様子からしてこれが初めてではないらしい。
回復魔法を終えて、簡易キッチンへ向かったスフェンを横目に、ラディオに話し掛ける。
「なあ、ラディオ。もしかして何度も来てるの?」
「そー。時々同じように具合が悪くなるんだよー」
もともと間延びした話し方をする奴だが、今日はさらに弱々しい。
「なあ、さっきから腕擦ってるけどもしかして痒かったりする?」
「え、うん。そう。気持ち悪いよ、見る?」
俺が頷くと、ラディオが袖を捲り上げる。そこには赤いぶつぶつが全体的に広がっていた。服から覗く首筋にも同じようにぶつぶつが見えていたから予想はしていた。
「ラディオ、腹とか膝の裏とかも同じようになってない?」
「えっ、なんでわかるの?」
ラディオが目を見開いたようだが、まぶたが腫れているのであまりわからない。ああ可哀そうに。これどう見ても蕁麻疹だ。たぶんすっごい痒いのを我慢している。
「俺もおんなじ様になることあるからわかるよ」
「ほんとに! 今までこんな風になってる人見たことない」
パチパチと瞬いているラディオはどこか嬉しそうだ。わかる、わかるぞ、同じ症状で辛いのを解ってくれる人がいると嬉しいよな。
「もしかしてコウキは原因がわかるのですか?」
水を持ってスフェンが戻ってきた。
「魔法を掛けてもあまり効果がないのです。少しは良くなるのですが、対処のしようもなく休んで貰って、たいてい数時間で何事も無かったかのように収まるのですよ」
うんうんと隣でラディオが頷いている。
「なあ、ラディオ。昼飯食べて少ししたくらいから、耳の中が痒くなったり、腹痛くなったりもしてない? あとは喉が痛くなったりとか」
「うーん、言われてみれば耳の中痒い気がするなー。今日は大丈夫だけど、腹痛くなることもあるよ」
ああ、やっぱり。たぶんそれアレルギーだ。何故わかるかというと、何を隠そう俺も子供のころからそばアレルギーだからだ。今のラディオの症状は俺がそばを食べた時とそっくりだ。全身の蕁麻疹はほんと地獄だぞ。痒くて眠れないんだよマジで。なので発作が収まるまで苦しむことになる。
「それ食物アレルギーだ」
「「しょくもつあれるぎー?」」
聞き慣れないだろう言葉にラディオとスフェンの声が重なる。
「特定の食べ物を食べると、今のラディオみたいな症状が出る人がいるんだ。他の人には問題なくても、その人には体に不快な症状が出る。その体の反応のことをアレルギーって呼ぶんだ。症状は軽いものから命に関わるものまで色々だから判断は難しいけど」
「つまり、ラディオのこの症状は昼食が原因だと?」
「そう。正確には昼食の中の何かの食材が原因。だからもし本当に食物アレルギーならその食材を特定して食べないようにすれば再発しないと思うよ」
「ほんとに!? それは助かるー」
「ここではアレルギーの検査は出来ないし、絶対とは言えないけど、とりあえず試してみたらいいと思う。もし間違ってたらごめんな」
「それでも今までのように解決策が全く分からないよりは心強いです」
スフェンが嬉しそうに頷く。
「うん。原因らしきものが解っただけでも安心~! オレ、知らないうちに呪いでも受けたのかと思ってたんだー。ありがと、コーキ」
「どういたしまして。とりあえず俺が原因の食材探してみるから、ラディオは休んでなよ」
「そうですね、まずは安静にしましょう」
スフェンがベッドのある個室に向かう。ラディオも軽く手を振ってそのあとに続いた。
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