第14話

 異世界に来てから二十九日が経過した。二十九日はこちらの世界での日数なので、地球の時間に換算すると約三十四日、つまりもう一か月以上ここにいる。さすがに一日の時間の長さにも慣れたのか、はじめの頃よりは体調が良い。しばらく続いていた微熱も収まったように思う。腹の調子が思わしくないのは相変わらずだが、多少は食欲も戻ってきた。

 でも帰れるまでまだ先は長い。ため息をついて中空を見つめていると、扉が叩かれた。ここは医務室だ。留守のスフェンの代わりに出迎えると、イオリスが顔を出した。


「あ、やっぱりここにいたね」

「スフェンなら留守だけど」

「用があるのは君だから問題ない」


 中へ入ってきたイオリスの後ろに、もう一人見知らぬ男がいる。


「ああ、君が噂の子? 確かにきれいな黒髪と瞳だな」


 俺を見るなりそう言った男は俺の顔を覗き込む。緩いウェーブの掛かった柔らかな金の髪に、アメジストのような紫色の瞳が印象的な人だ。ほんの少し目尻が下がったたれ目の、甘ったるい感じの美形だ。イオリスやエルと並んでも遜色がない。俺と同じ人類とは思えない長い脚にはもう嫉妬する気さえ起きない。


「あなたも、綺麗な目の色ですね。俺、紫色の瞳なんて初めて見ました」


覗きこまれているので、思いのほか近くにある瞳をしげしげと眺める。地球では紫色の目を持つ人はすごく少数だと聞いた。これは思いがけず良いものを見た。


「そう、ありがとう。嬉しいよ」


男がパチッとウインクをする。すっげぇ、やっぱり美形は気障な仕草も様になる。


「嬉しいついでに、今夜一緒にどう?」

「どう、とは?」


急激な話題の転換に訊き返すと、黙って見ていたイオリスが吹き出した。


「君、ほんと色気無いね。知ってたけど」

「は?」


俺がさらに頭にはてなマークを浮かべているとイオリスがニヤニヤしながら言った。


「君、今ベッドに誘われたんだけどね」

「はあ? ベッドに誘うって、……は、はああああああ?」


言葉を復唱しながら、ようやくその意味に気づいた俺が悲鳴混じりの声を上げると、男が笑い出した。


「あはは、ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだけど、でも本気だよ」


え、いや、そこは冗談であってくれよ。


「俺、そもそも男なんですけど」

「うん。君は女の子には見えない」

「ですよね~」


うああ、そうだった。この世界は性愛に性別を気にする人間は少ないんだった。今更ながらにイオリスの話を思い出す。


「えっと、そもそもあなたくらい美形なら俺なんか誘わなくてもいくらでももっと綺麗な相手がいるでしょう?」

「んーでも黒い髪と瞳は珍しいし。それに異世界人にも初めて会ったし」


つまり珍獣扱いってことですねそうですね。何気に俺が異世界人だって知っているし。まあイオリスと一緒に来た時点で知っていても可笑しくはない。

 話は逸れるが俺は世話になっている社長家族の息子と娘を年の離れた兄ちゃんと姉ちゃんだと思っている。社長の奥さんに二人の部屋に入って本を読んでいいと言われていた俺は、小学生のころその二人の部屋で本を読んでいた。

 そんな俺は兄ちゃんの部屋でエロ漫画を発見し、姉ちゃんの部屋で男同士の薄い本を発見した。よくわからないままとりあえず漫画だから読んでいた。そのせいで小学生なのに「女体盛り」だとか「四十八手」だとかきわどい言葉を知っていたし、男同士で行為に及ぶのも特に何も思わなかった。

 今思えば、兄ちゃん姉ちゃんは普段はその手の本は隠していたように思う。自分が部屋に居ないときに俺が入り込んでいるのを知らなかったんだろう。さすがに中学になってその手の分別がつくようになった俺は二人が留守の間に部屋に入ることはなくなった。

 そんなわけで俺は下ネタは気にならないし、男同士の恋愛にも嫌悪感は無いが、それが自分が対象となると話しは別だ。ボーイズラブにも面白い本があるのは知っているが、女の子みたいな顔した男が、女の子みたいな台詞で、女の子みたいにアンアン言うなら、最初から女子でいいじゃん、と思う程度には俺は女の子が好きだし、以前興味本位で男同士の性行為のやり方を調べたことがあるんだが、なんかもう恐怖しか感じなかった。ボーイズラブはファンタジーって本当だった。


「俺はどっちかというと上が好きだけど、君の好きな方でいいよ」


 これつまり出来れば俺に入れられる方をして欲しいってことだよな。いやごめん無理。だって、ちょっとネットで検索掛けただけで広がった穴の写真が出てきたぞ。最悪穴が閉じなくなることもあるらしい。ただでさえ胃腸が弱く緩い俺の尻がこれ以上緩くなったらどうする。


「いやいや、俺名前も知らない人とベッドインするほど奔放な生活してない」

「ああ、そっか。名乗ってなかったな、俺はユークリート。ユークでいいよ。よろしく」

「俺は城崎亘希。亘希、が名前です。って、名乗って貰っても遠慮するから」

「それは残念。でもその気になったらいつでも言って」


さして残念そうでもなくユークが言う。せっかく美形なのに残念なのはお前の頭だ。あまりにもセクハラが過ぎる。


「ところでさ、男同士って腸をキレイにしなきゃいけないから大変なんだろ? そんな簡単に出来んの?」


 なんか身軽に誘われたけれど、男同士で行為に及ぶのはそれなりに苦労するって以前調べた時に読んだ。出すところに入れるんだから当然だ。単純に好奇心でイオリスに尋ねる。


「君は本当に色気が無いよね」

「お前相手に色気出してどうすんだよ」

「無いものは出そうとしても出ないよ」


売り言葉に買い言葉で反抗してみたけれど確かに色気なんてどうやって出すのかわからない。図星をつかれたけど悔しいので黙っておく。


「転移の魔法陣を使えばすぐだよ。基本的にはトイレの仕組みと一緒」


 つまりあのトイレの汚物を消すのと同じように腸から便を外に転移させるのか。なにそれ超便利。便秘が治りそう。……じゃなくて。さすが愛の神を信仰しているだけある。呆れていると横からユークが口を挟んだ。


「魔法陣のおかげで事後に片づけるのも簡単だ」


ああなるほど、べたべたも一瞬で転移させられるね! って、んなこと聞いてねぇよ。


「君、意外と詳しいね。もしかして経験あるの?」


イオリスが相変わらずニヤニヤ訊いてくる。これは明らかに揶揄っている。


「ねぇよ。入れるのも入れられるのもご免だわ。絶対に尻が裂ける」

「スフェンの回復の魔法陣で治せるから大丈夫だよ。小型で携帯できるから便利だよ」


ああなるほど! ……て、ならねぇよ。


「スフェンに謝れ!」


 スフェンがチクチクと日々細かい刺繍をしているのを見ている俺としては、そんな理由でお手軽に消費して欲しくない。本当に愛し合っている人たちが使うっていうならともかく、今回のは単に「珍獣の味見」的なしょうもない理由だろ。


「私が、どうかしましたか?」


急に聞きなれた声が響き、思わず肩が跳ねる。


「ス、スフェン」

「ノックをしても返事が無かったので、何かあったのかと思いましたが、特に問題はなさそうですね」


にこやかなスフェンに、俺が悪いわけでもないのに土下座したい気分になる。


「ああ、スフェン。邪魔してるぞ」


ユークが鷹揚に言って、イオリスは軽く手を上げた。ユークとスフェンも知り合いらしい。


「こんにちは、ユークリート王子。お構いもしませんで」

「いや、約束もせず来た俺が悪いんだし、気にしないで」


……今、スフェンはなんと仰った。


「王子様、だと?」


聞き間違いを願いながら恐る恐るイオリスに視線を向ける。


「うん。ここにおはしますは、我がオルファニアム王国第三王子、ユークリートサマだよ」

「相変わらずお前の『様』からは少しも敬意が感じられないな」


ユークが肩を竦める。


「なに、いまさら僕に嘘っぽい笑顔で慇懃無礼な敬語使って欲しいの? 君が望むならそうするけど」

「まさか」


テンポよく進む二人の会話に王子様は大変フレンドリーな方だと再確認する。良かった、これなら許してもらえるかも。


「ユークリート様、先ほどは知らぬこととはいえ、大変失礼な態度をとってしまい本当に申し訳ありま、」

「畏まったってもう手遅れだと思うよ」


俺の出来る限りの敬語を心掛けた台詞は、すべてを言い切る前にイオリスにあっけなく邪魔された。


「そもそもお前わざと王子様だって黙ってただろ!」

「だって面白そうだったから」


 悪どい笑みを浮かべるイオリスは楽しそうだ。この愉快犯の快楽主義者め。久々に殴りたい。そんな俺たちのやり取りがツボに入ったのか王子様が噴き出した。


「コウキはこの国どころか、この世界の住人ですらないんだから俺に敬意を払う必要はない。さっきみたいに話してくれるとうれしいな。呼び方もユークでいいよ」


気安い笑みを浮かべて王子様が言う。この感じだと、本当に俺の無礼な態度など気にしていなさそうだ。良かった。こんなところで不敬罪で投獄とか笑えない。


「ありがとうございます、ユーク様」

「だから敬語も様付けもいらないって」


俺が胸をなで下ろすと、ユークが人差し指で俺の額をぐりぐりと押した。地味に痛い。

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