第13話

「イオリス、たのもー」


 俺は再びイオリスの部屋の扉をだんだんと叩いた。出てこないので、しつこく叩く。


「なんなの、もー。近所迷惑だよ」


文句を言いながらイオリスが顔を出す。迷惑だ? 知るか。俺はもっと多大な迷惑をイオリスに掛けられている。そもそも近所というほど近くに他に部屋は無い。イオリスはそれなりにお偉いさんなだけあって部屋は広い。ここに住んでいるらしく仕事部屋の続きにはプライベートルームがある。王宮内ではメイドさんなんかもあちらこちらで見かけるが、イオリス付きって人はいないようだ。ゆえに、俺がいくら扉を叩いても、迷惑がかかるのはイオリスだけだ。


「君、エルに外出禁止くらってるんじゃなかったの?」

「それは昨日まで。今日は少し顔色良くなったから無理しない程度に活動していいって。ちゃんとイオリスとスフェンのところ行ってくるって許可も貰った」

「なんかほんと子供みたいだね、君」

「それは俺も思ったけど。まあ別にいーじゃん。それよりリバーシしようぜ」


勝手に部屋に入って、テーブルに自作したリバーシ(オ〇ロは登録商標の為)を広げる。盤は紙を二枚テープで繋げて升目を書き、石は紙を切り抜いて片面を黒く塗っただけの簡素なものだ。

 紙はノート、はさみとテープとペンはスーツケースに入っていた。以前海外旅行をした友人の、使い古した靴で行ったら底に穴が開いて、とりあえずビニールテープで塞いだもののテープを切るはさみがなくて困った、という思い出話を聞いていたので入れておいた。出来る限り万全に用意をしておいて良かった。


「リバーシ……ってなに?」

「ゲームだよ、ゲーム。今から教えるから一緒にやろーぜ」


首を傾げるイオリスに、早く席に着くようにと促した。

 ルールを説明して、さっそく始めた。頭の回転が速いのか、俺の雑な説明でもイオリスはすぐにどういうゲームか理解したようだ。


「はい、俺の勝ち~」

「ちょ、もう一回」


得意げに勝利宣言をしてみたものの、たった今ゲームの存在を知った相手に対して我ながら大人げない。当然イオリスの癇にさわったのか再戦を申し込まれた。それを何度か繰り返し結局四勝一敗でその日は終えた。

 イオリスが、勝ち逃げは許さない、とまんまとムキになってくれたおかげで、しばらく暇をしなくて済みそうだ。さすがにリバーシばっかじゃ飽きるから、今度はトランプでも作ってみようか。娯楽って大事だ。



 イオリスとの暇潰しを終えて、今度はスフェンの部屋でお茶をご馳走になっている。いつもは文字の勉強を手伝って貰っているんだけれど、病み上がりでまだ早いとエルにもスフェンにも止められたので、今日は本当にお茶だけだ。


「そういえば以前下痢が続くと訪ねてきた子供ですが、煮沸後の水に替えたらだいぶ落ち着いたそうですよ。それにここ最近他の子供の腹痛も減ったような気がします」


ありがとうございます、と丁寧に礼をされてしまってこちらの方が恐縮する。

 その時部屋の扉がノックされた。最近は俺が良くこの部屋にいるので、テーブルを隠すカーテンは閉めっぱなしになっている。俺に一言断って、スフェンがカーテンの向こうへ出て行った。


「最近、体が重いし、足に違和感がある気がするんです」


 男性の声が聞こえる。その声に聞き覚えがあり、俺は顔を上げた。普段はプライベートなことだからあまり聞かないようにしているんだけど、その症状に心当たりがある。悪いと思いつつ、カーテンを少しめくって隙間から覗いた。

 ああ、やっぱり。そこにいたのは騎士団宿舎の食堂で時々一緒になる騎士だ。スフェンと彼が一言二言会話したあと、呪文の詠唱が聞こえる。そっとカーテンを閉めた。

 彼と話したことはないが、声が大きく良く通るので食堂で話しているのが時々聞こえていた。肉が嫌いで、酒が大好き。酒があれば食事を抜くことも多い。「肉が嫌い」というのが珍しく、良く話題に上っていた。その話を聞いていて、そのうち脚気にでもなるのではないかと思っていた。全身のだるさと手足のしびれは脚気の典型的な症状だ。

 脚気はビタミンB1の欠乏により起こる。ビタミンB1は豚肉やうなぎのほかに、穀物の胚芽に多く含まれる。日本でいえば、胚芽を取り除いた精白米には少なく、玄米や胚芽米には多い。

 ビタミンB1は、体内で糖質がエネルギーに変わる時に必要で、不足するとエネルギーが上手く作れず疲れやすくなる。ほかに手足のしびれや反射の異常など、神経機能にも影響する。

 現代日本では脚気になる人は少ないが、インスタント食品ばかりの偏った食生活や、酒をたくさん飲む人はビタミンB1不足になりやすい。酒、つまりアルコールに多く含まれる糖質を分解するために、ビタミンB1の必要量が増える。また運動によるエネルギー消費量が多い場合も必要量が増える。彼は騎士の為、きつい訓練をしているはずだ。

 カーテンの向こうでは治療を終えた騎士が出て行ったようだ。戻ってきたスフェンに新しく淹れたお茶を進めながら話し掛けた。


「ねぇ、スフェン。さっきの騎士に、少しお酒を控えて、肉を食べるように、それが無理なら全粒粉か胚芽付きのパンを多く食べるように言ってくれないかな」


ヨーロッパに似たこの国ではまだ米には出会っていない。主食はパンだ。パンの主原料である小麦粉は胚芽部を取り除いているためビタミンB1は少ない。この世界の小麦と地球の小麦が同じかはわからないが、今までに食べた限りパンの味はさほど変わらない。とりあえず小麦胚芽を試してみる価値はあるだろう。


「どういうことですか?」


 首を傾げたスフェンに、俺が彼を知っていることと、ビタミンB1欠乏について説明する。そもそも『栄養素』という概念が無いようなので、まずはそこから話をしなければならない。興味深そうに俺の話を聞いていたスフェンは最後に頷いた。


「なるほど、大変参考になりました。こちらではそういった学術は有りませんから驚きました。あなたの世界ではみなそういった知識をお持ちなんですか?」

「栄養については学校で習うからみんな大雑把には知っているけれど、俺はさらに専門の学校で勉強したんだ。だから一般よりは少し詳しいかな」

「そうなのですね。先日の煮沸消毒の件といい、貴方には教えて頂ける事がたくさんありそうです」

「いやいや、俺は医学は専門外だから。食べ物が関係することは多少知っているけど、それ以外は役に立たないよ。今回だって、本当にビタミンB1欠乏かはわからないし」

「けれど食べるものに気を付けるだけで治るのならばそれに越したことはありません。私に出来ることはただ回復魔法を掛けるだけでしたから。病気の根本から消し去る、という解決法など考えもしませんでした」

「それはたぶん、この世界は魔法が便利すぎるからだよね。俺の世界には魔法みたいな不思議な力は無いから、それ以外の方法を考えなきゃいけなかっただけで」

「また何か気付いたことがあれば教えてくださいね」

「ん、わかった。でもあんまり期待しないでね」


俺が苦笑すると、スフェンが助かります、と笑顔を見せた。早速騎士に伝えに行ってくると席を立つ。手を振って見送って、治ると良いな、と思った。

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