第12話 イオリスとエルファム

 トントントン、と小刻みに叩かれた扉にイオリスは立ち上がった。この音はエルファムだろうと当たりを付けて扉を開ける。


「やあエル。どうしたの?」

「昨日の書類に一部変更が入った」

「ふーん」


イオリスはエルファムの手にする書類を受け取る。


「悪いけど、お前のサインが必要だからすぐ見てくれるか?」

「いーけど、わざわざエルが持ってきたってことは今そんなに忙しくないんでしょ? ちょうどいいからお茶淹れてよ」


 返事も聞かずにイオリスは部屋の中へ戻る。ふあ、と欠伸をするイオリスにため息をついて、エルファムは部屋の端の簡易キッチンに向かった。

 しばらくして茶を持って戻ったエルファムに、イオリスがテーブルの上の書類を指さす。


「確認してサインしたよ。この案でいいと思う」

「助かる。それにしても相変わらず遅くまで仕事してるんだろ。ちゃんと寝ろよ」

「仕方ないでしょ。通常業務に加え、コウキを送り返す魔法陣作んなきゃいけないんだから。呼び出した時の魔法陣は別に急いでなかったからのんびり作れたけど、さすがにあんまりダラダラ作る訳にはいかないし」

「さすがのお前も、少しは反省してるのか?」


意外だ、という顔をしたエルファムにイオリスは口をへの字に曲げた。


「あの古代の転移魔法陣、まさか一回で使い物にならなくなるとは思わなかったんだよ。僕が想定していたより異世界との壁を破るのに魔力が必要みたいで。一年以上も掛けて作ったのにコスパ悪すぎるよね。でも、そもそも本当に異世界が存在するとは思っていなかったし、もし万が一呼び出すのに成功したとしてもすぐに送り返すつもりだったんだ」

「で、その万が一が成功してしまったものの、魔法陣は使い物にならなくなった、と」


呆れたように呟いたエルファムに、イオリスが薄く笑みを浮かべる。


「そー、だから一応悪いとは思ってるから多少は急いで作ってんの。まーでも呼び出したのがコウキで良かったよ。ちょっとうるさいのが偶に傷だけど、それ以外は害が無いし」


茶を啜るイオリスにエルファムが苦笑する。


「そういえばコウキ、今日はどうしてんの?」

「まだ顔色が良くないから、部屋で休むように言った。本人は大した事無いっていうけど」


ふぅ、と息を吐くエルファムに、イオリスがにやにや笑う。


「エルってば珍しく深入りしてんじゃない?」

「何が言いたい?」

「『エルファム様は皆にお優しい』って世間では評判だけど、でも誰にでも平等に興味ないだけでしょ?」


エルファムが少し眉を寄せる。


「人聞きの悪い言い方だな」

「否定はしないでしょ?」

「まあな」


エルファムの素直な返事に笑ったイオリスはカップを両手に持って首を傾げた。


「コウキは特別?」

「特別もなにも、右も左もわからない人間をほっとくわけにもいかないだろう? 勝手に連れて来られてもっと責めてもいいのに文句も言わない。この世界に馴染むために言葉まで勉強しているんだから、こちらとしても親切にしたくなるだろう。……それに、昔のお前を思いだす」


ふっと目元を緩めたエルファムに、今度はイオリスの眉が寄る。


「どういう意味?」

「コウキは体調が悪くてもいつもの事だから大丈夫だと言う。お前も昔は度々熱を出しては『いつもだから平気』って動き回ってたろ。お前たちは体調不良が常態化しているから気付かないのかもしれないが、今にも倒れそうな顔色で見ているこちらが辛い」

「あー。まあそれは解らなくもないけど。たぶんいつも体調悪いから慣れてるんだろうね。思考がままならないほど脳が働かないとか、無意識に声が出るほど痛みがあるとかすれば休もうって気になるけど。何かに集中すれば忘れる程度の不調でいちいち休んでたら何にも出来ないもん」

「体調悪いのに動き回るから治らないんだろうが」

「仕方ないでしょ。安静にしてたって治らないんだから。特に僕の場合は自分の魔力の多さに体の成長が追い付いてなかったんだから。大人になってからは熱出してないでしょ」

「昔よりは強くなったけど、体力が無いのは一緒だろ。それなのにすぐ無理するからいつも顔色悪いんだろうが。心配するこっちの身にもなれ」


エルファムにじろりと睨みつけられて、イオリスの目が泳ぐ。


「ほら今はコウキの話でしょ?」

「お前たち二人の話をしてる」

「あー失敗。余計な話振るんじゃなかったよ」


カップを置いてテーブルに突っ伏したイオリスに、エルファムはその頭を軽く小突く。


「心配と言えば、お前またマーラカント様の誘いを断ったって噂になってたぞ」

「知らないよあんな馬鹿王子」

「お前、仮にも自国の第二王子に向かって口が過ぎる」

「別にエルが黙ってれば問題ない」


心底うんざりした口調のイオリスに、エルが苦笑する。


「だいたい、何度も断ってんのにしつっこいんだよ。僕の何が気に入ったんだか知らないけど、いい加減諦めればいいのに。一応あんなんでも王子様だから友好的に対応してるけど、最近作り笑いも剥がれそうなんだけど」

「お前のあの心中を感じさせない徹底した笑顔は傍から見てても感心するよ」

「僕、あの人の『自分はなんでも手に入る』って思ってるとこほんと大嫌いなんだよね」

「事実なんでも手に入る立場だ。お前が手に入らないから向こうも執着するんだと思うぞ」


イオリスが嫌そうに顔を歪める。


「じゃあ何、馬鹿王子に飽きられるために、馬鹿王子のモノになれって?」

「そうは言ってないが」

「でもそういう事でしょ? 絶対嫌だからね」

「わかってるから、そう怒るな。俺は純粋にお前の心配をしてるんだ」


ふんっと鼻息荒くそっぽを向いたイオリスに、エルファムは困ったように笑う。


「俺もどうにかしてやりたいが、こればかりはな」


 あまり気の長い方ではない第二王子が実力行使に出ないかエルファムは少しばかり心配をしている。仮にもイオリスは国一番の魔術師で、本人の実力的にも権力的にもそうそう危険が及ぶことはないが、なにかあれば王宮内での火種になるに決まっている。そうなれば騎士団も無関係ではいられない。


「俺は立場上お前の擁護に回れない場合もある。俺も気に掛けるが、上手く立ち回れよ」

「誰にもの言ってんの。僕がそんな下手打つ訳ないでしょ」


自信有り気なイオリスに、エルファムはひとつ息を付いて、イオリスの髪をくしゃりとかき混ぜた。

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