第11話

 サナと別れて王宮に戻った後、しばらく自室で一人で本を読んでみたが、やはり参考書もない状態では思うように進まずスフェンにお世話になることにした。彼の仕事場に向かっていると、廊下でエルを見かけた。珍しくイオリスも一緒にいる。彼らは仕事中は業務が重ならないらしく、あまり一緒にいるのは見かけない。


「ああ、コウキ」


 エルが先に俺に気付き、声を掛けてきた。イオリスは何やら書類と睨めっこをしているようで、俺に背を向けたままだ。エルの様子からしてそんなに深刻な事態ではなさそうなのに、無視とはいい度胸だ。先ほどのサナとの会話を思い出し、ちょっと悪戯をしてやることにした。

 エルに手をひらひらと振りながら近づく。と、同時にイオリスに後ろから抱きついた。そのまま服越しに胸と股間をまさぐる。


「ふぎゃあっ」


イオリスが猫が尻尾を踏まれたような悲鳴を上げる。すぐに離れて俺がケラケラ笑っていると、エルが驚いた顔でこちらを見ていた。いやーびっくりさせてごめんね、エル。


「な、なんなのさ、急に」


イオリスが危ないものを見るような目で問いかけてくる。


「いや、街でイオリスが本当は女じゃないかって噂が流れてるって聞いたから、どっちか確かめてみようと思って」


ちなみに胸はぺったんこ、股間は俺と同じものが付いていました。正真正銘彼は男です。


「どっから拾って来たのそんな噂? もし僕が本当に女だったらどうするのさ。君、ふつうに痴漢だよ」

「男だと思ってたから、その可能性は考えてなかったな。そしたらえーとごめん、とりあえず土下座して謝る」

「謝ればいいってもんじゃないよ」

「そしたら許してもらえるまで、罰を受けます。……って、いーじゃん、お前男だろ」


そういえば以前ラディオがイオリスを女に間違えたって話も聞いている。あの話は、エルがしていたんだからイオリスは男で間違いないだろう。

 ぶーたれる俺に、イオリスが首を捻る。


「君、ちょっと変じゃない? そんなに子供っぽかったっけ?」

「えー?」


そんな会話をしていると、横から手が伸びてきた。エルの手のひらが俺の額に触れる。


「少し、熱いみたいですね。顔も赤いですし」


エルが俺の顔を覗き込んでくる。


「熱出してテンション上がるなんて、本当に子供みたいだね」

「えー子供だって熱が出た時、元気なくなる子と、ハイテンションになる子、両方いるし」

「ハイハイ、御託はいいからさっさとスフェンのところに行くよ」


言いながら歩き出したイオリスに、エルも俺の肩を抱いてその後を追った。


「一人で歩けるし」


大丈夫だよ、と言ってもエルは聞いてはくれなかった。



 結果、俺は今自室のベッドで横になっている。隣では仕事を終えたエルが見張っている。

 あの後、スフェンのところで回復魔法を掛けてもらい(歌うみたいな綺麗な呪文の詠唱にふわっと体が温かくなったのが解った。このところずっと調子の悪かった胃腸が何となく軽くなった気がして、魔法をこの身に体験した俺のテンションがさらに上がったのは言うまでもない)、後は部屋で安静にするように言われた。

 この世界の医療は進んでいないため、基本病気でも外傷でも、体を回復魔法で治した後は自己治癒力に任せるのが一般的らしい。つまり怪我は治すことが出来るけど、それによって体内に入った細菌を殺すことは出来ないし、風邪を引いたとしてそれが原因で傷んだ喉や胃腸の粘膜を正常に戻すことは出来るけれど、ウイルス自体を退治することは出来ないってことだ。

 熱があると自覚して怠さが増したものの眠気は訪れず、ベッドに入って暇潰しに文字の勉強をしていたら、仕事を終えて様子を見に来たエルに見つかってしまった。ゆえに今こうして俺のベッドの隣にエルが待機する、という状況が出来上がってしまった。ちょっと過保護すぎじゃない?


「すこし疲れが出ただけだってー、大したことないから大丈夫だよ」

「大したことがないなら、なおさらちゃんと休んで早く治してください」


うぐ、正論。俺がエルの立場なら同じことを言うだろうことがわかるだけに反論できない。


「先日も言いましたが、あなたは少し頑張り過ぎです。私の立場で言って良いことではありませんが、あなたが頑張っても頑張らなくても元の世界に帰れる日は早まりません。ですから無理はしないでください」

「いや本当にエルには迷惑掛けて申し訳ないと思ってる」

「今は迷惑、迷惑ではないという話しをしているわけではありません」


エルの語調が強くなる。眉間に皺も寄ってしまった。イケメンの真顔怖い。


「あ、いや解ってる、心配してくれてるんだよな、ごめん」


俺に親切にしたってエルには何のメリットもないし、純粋に心配してくれているんだろう。でも、だからこそただ甘やかされるのはなんだか居心地が悪い。

 それに風邪のような、くしゃみ鼻水鼻づまりは全くないし、これはおそらく「心因性発熱」ってやつだ。強い心理的負担が掛かると発熱するストレス反応の一種だ。

 実は俺は中学、高校のころは度々数日続く原因不明の微熱を出していた。平熱が低いために多少体温があがった方が却ってテンションが高いくらいだったが、それで自覚が遅れて騒ぐと後からぐったりとしわ寄せが来るのだ。今思えば貧乏だったことが原因だと思う。就職してそれなりの収入が毎月入るようになってからは落ち着いた。

 でもこんなことをエルには話せない。熱を出すほどのストレスの原因が何かって、どう考えても異世界に来てしまったことだ。言ってしまえば最後、真面目なエルは絶対に責任を感じるに違いない。


「最近、食欲も落ちているでしょう。こちらに来たばかりの時より痩せました」


 エルの右手が伸ばされ、俺の頬に触れる。エルって意外とスキンシップ多いよな。まるで俺が熱を出した時の母さんみたいだ。


「ああ、うん。腹はもともと弱いから慣れてるから大丈夫」


過敏性腸症候群な俺はちょっと環境が変わるだけで胃腸に変調をきたす。食欲が落ちるなんて今に始まったことじゃない。その程度の症状気にしてたら生きていけない。腹がしょっちゅうごろごろ鳴るとか、おならがいっぱい出るとか通常営業だ。恥ずかしいからなるべく隠しているけれど。


「それは『大丈夫』ではないです」

「……ソーデスネ」


正論が痛いよママン。もー許してください。


「解った、わかったよ。本当にもう大人しくしてるから許してください」

「許すとは?」


不思議そうにエルが首を捻る。


「あ、ごめんこっちの話。気にしないで」


エルは納得がいかないような顔を見せたが、俺が病人なので引いてくれたのだろう。それ以上深くは訊かなかった。


「とにかく、本当に安静にしてくださいね」


 念を押してようやくエルは自室に戻っていった。イオリスだけでなく俺の面倒まで見なくてはいけなくなったエルの方がストレスで胃潰瘍にでもならないか心配だ。




「まだ顔色が悪いですね」


 翌朝、エルが俺を見るなりベッドへ逆戻りを命じた。確かにまだ怠い気がするので今日はおとなしくしていることにした。朝も昼もエルが部屋まで食事を運んでくれた。至れり尽くせりで申し訳ないやら心苦しいやら。

 この世界は、一日が30時間で、日が昇るのが朝の5時頃、日が暮れるのが23時頃。これは季節によって変動があるようだ。エルやスフェンは9時から仕事が始まって、13時から二時間昼食兼休憩、15時から22時まで仕事(途中に軽食の休憩が入る)の実働11時間。

 職種によって当然違いはあるが、これが一般的な勤務体系だそうだ。つまり仕事以外の自由時間が一日17時間、そのうちの大半が夜だ。その夜の長さに、この世界の貞操観念が低いのはこのせいもあるのかと納得した。

 つまり何が言いたいのかというと、暇すぎるのだ。テレビも無ければスマホも無い、ゲームも無ければ、ラジオさえ無いのだ。それをこの現代人の俺にどう暇を潰せと言うんだ。酷だ、酷すぎる。暇だから勉強しようと思うくらい暇なんだよマジで。この世界の人も夜なんてやらしいことでもしなきゃ暇を潰せないんだよたぶんきっと。

 昼食までは大人しくベッドでゴロゴロしていたが、いくら微熱があるといってもそこまで具合は悪くない。さすがに飽きてきた。もう少ししたらエルが軽食を持ってきてくれるので、その時だけ大人しくしていればいいだろう。要は騒がなきゃいいんだ、うん。のそのそと起き上がり、部屋の隅に置いたままのスーツケースを久しぶりに開けた。

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