第10話

 俺は今、ここ数日で嫌になるほどに見慣れた文字を、胸やけ気味に眺めている。目の前に置かれた本は、スフェンが教えてくれた子供向けの物語だ。何とか絵本を卒業した俺は、城下の図書館に来ている。

 王宮の中にも図書館はあるのだけれど、そこの蔵書は俺にはまだレベルが高い。毎夜、俺の読み書きの練習に付き合ってくれているエルに紹介されて、街の図書館に足を運んだ。一人で外を歩くのは危険だからと、エルから街を見回りする担当の騎士に送り迎えを頼んでくれた。

 騎士団宿舎で食事をとっている俺は、最近は騎士にチラホラと顔見知りが出来た。迷惑を掛けている自覚はあるが、でも図書館への往復の時間だけでも雑談できるのはちょっと嬉しい。さすがに話し相手がエル、スフェン、イオリスだけでは息が詰まる。

 騎士でもない俺が、騎士団宿舎のしかも副団長と同室となれば、何かしら言われるかと思ったが、俺の身柄が「イオリス預かり」だと知ると、誰も俺の詳しい事情を聞こうとはしなかった。

 なんなのイオリスは背後で王宮を牛耳ってる黒幕だったりするの、と突っ込みたくなるくらいには俺は自由だ。対してエルに向かう騎士たちの同情的な視線に彼の苦労がしのばれる。エルってばいつかイオリスのせいで禿げるんじゃないだろうか。

 眠気に耐え欠伸をかみ殺していると、通り掛かった人に見覚えがある気がして顔を上げた。その動作に相手も気づいたのか立ち止まる。


「コーキ様、偶然ですね」


ばっちりと目が合って、教会で出会った少女、サナが驚いた顔で言った。


「俺は別に偉くないから、様はいらないよ、サナさん」

「では、コーキさんでよろしいですか?」

「んー、呼び捨てでも構わないけど。なんでもいーよ」


 一般庶民の俺は、さすがに様付けされるのは落ち着かない。では、コーキさんで、と言ったサナに頷く。続けてサナが敬称はいらないと言うので、俺は遠慮なくサナと呼ぶことにした。


「私は時々ここへ来るのですけれど、コーキさんとお会いしたのは初めてですね」

「俺が来るようになったのは最近だから。俺、この国に来たのが少し前で、まだ読み書きが出来ないから数日に一度勉強しに通ってるんだ」


サナの目が驚いたように丸くなる。


「読み書き出来ないのですか? 話し方がすごく自然なので気付きませんでした」

「ああ、これは魔法の腕輪で話せるようにしているだけで、本当はこの国の言葉は解らないんだ」

「ええ、すごいです! 言葉を変換する魔術はすごく難しいと聞いています」


どことなくサナがキラキラした尊敬の眼差しを向けている。


「え、ああ違う違う。これは俺が作ったんじゃなくて、貰ったんだ。イオリス、じゃなくて、知り合いの魔術師に」

「もしかして王宮魔術師のイオリス様ですか?」

「あれ、知ってるの?」

「先日コーキさんがエルファム様と一緒にいらっしゃったので。この城下で暮らしていていれば誰でもエルファム様とイオリス様の噂は耳にします」

「え、あいつらそんなに有名人なの?」

「コーキさん、は本当に偉い方ではないのですか?」


サナが心配そうに眉を寄せる。そんな有名人の関係者に気安い口をきいていればサナが不安になるのも無理はない。


「いや、確かに二人に世話にはなっているけど俺自身はぜんっぜん偉くないから平気だよ。ほんとに『さん』も敬語も要らないレベル」


へらっと笑って答えればサナが安心したように微笑んだ。


「もし時間あったら、少し話さない? イオリスとエルファムの噂っていうの聞きたいな」

「はい、大丈夫です」


サナの返事を聞いて、テーブルに広げていた本を閉じる。隣に談話室があるので、そこでなら多少うるさくしても問題は無い。二人で連れ立って移動した。

 サナの話によると、イオリスはこの国一の魔術使いとして有名で、さらに生活便利グッズな魔法陣(湯を沸かす魔法陣とか)はイオリスの発明が多いということでお茶の間の発明王の称号を得ているらしい。イオリスお前ってやつは……。

 エルは毎年行われる王城主催の剣術大会で、ここ二年連続で優勝しているとのことだ。大会は剣の腕の高いものをスカウトするのが目的で、城下の競技場で行われる。誰でも参加出来るため庶民も見学できる。エルの見た目もあり、男女問わずファンが多いそうだ。


「エルはイケメンだもんなぁ」

「イオリス様は見たことが無いのですが、とてもお綺麗な方だと聞いています」

「ああ、うん。ちょっと女性っぽい感じの美形っていうより美人って感じのやつだよ。性格は綺麗じゃないけど」


半ば本気で言ったんだけれど冗談として受け取られたのかサナがクスクスと笑う。


「イオリス様はほとんど人前に出ないので、城下で顔を知っている人は少ないのです。お綺麗な方だという噂だけはあるので本当は女性で深窓のご令嬢ではないか、なんて言われているんですよ」

「あー、ないない。確かに女顔だけど男だよ。……たぶん」

「たぶん?」

「あ、いや、本当に男かどうかは確かめてないな、と思って。今度確かめてくるな」


サナがパチパチと瞬いた後、楽しそうに笑う。俺は別にウケを狙ったつもりはないんだけれど、まあ楽しそうだからいいか。


「美形と言えば、街ではもう一人噂の方がいるんですよ」

「へえ、どんな?」

「トーリさんと仰って、薄い金色の髪に空のような青い瞳の男性で、誰もその方の正体を知らないんです。ご本人もご自分のことを話しません。ただ、貴族街に行くのを見かけた方がいるようで、貴族のお忍びだとか、愛人だとか、いろいろ噂されています」

「サナは会ったことあるの?」

「はい。何度か教会にもいらっしゃっていますから。気さくで話しやすい方ですよ」

「へーそれは見てみたいな」


 何を隠そう俺は面食いだ。人に限らず綺麗なものは、有機物、無機物関わらずたいてい好きだ。絵や宝石も美術館博物館に見に行っちゃう程度には好きだし、イオリスがあんなでもなんだかんだ許しちゃったのはアイツの顔の造形の影響も無いとは言えない。


「それにしても、この国美形が多いよな。モルガさん、だっけ? あの人もすっごい美人だし」

「モルガさんも本当にお綺麗ですよね。それにとても素敵な方なんですよ」


自分の事を褒められたように目を輝かせるサナに、俺も自然と笑顔になる。サナはモルガのことが大好きなんだな。


「サナも可愛いよ」


なんとなく口にしたら、サナが真っ赤になってしまった。あれ、ちょっと気障すぎたかな。日本人に向かって可愛いとか言い辛いけど、外国人にはすらすらと誉め言葉が出るのはなぜだろうな。


「あ、あの、コーキさん。あのさっきから気になっていたのですけれど、その本」


 サナの視線が俺の膝元に落ちる。そこにはさっきまで読んでいた子供向けの本が置いてある。


「そのお話、私も小さい頃に読んでから大好きなんです」

「へぇ、そうなんだ。まだほとんど読んでないんだけど、これどんな話なの?」

「言ってしまって、良いのですか?」

「俺、文字があんまり読めないからね。ストーリーが解っている方が読みやすいから教えてほしいな」

「それは、閉じ込められた女の子のところに、王子様が助けにやってくるお話です。私にもいつか王子様が来ると良いなぁ、って思ってたんですよ」


なるほど、わりとありがちな物語らしい。やっぱり王道ってどこでも人気なんだな。


「可笑しいですよね」


ふふ、と笑うサラがどこかさみしそうに見えるけれど、気のせいだろうか。


「そんなことないよ。それにこれから来るかもしれないし。ほら俺とか、と言いたいところだけど俺じゃあきらか力不足だからなぁ。あ、そうそうエルとかどう?」


なんにも考えていない俺の軽口に、サナは楽しそうに笑ってくれた。

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