第9話

「エルって、モルガさんを助けてあげたんだろ? お礼したいって言ってたし、お茶くらいご馳走になってもよかったんじゃないの?」

「……お茶?」


 教会からの帰り道、隣を歩くエルに言うと、怪訝そうな声が返ってきた。


「あれ、奥の部屋でお茶でもどうぞ、って意味かと思ったけど違った?」


訊き返す俺に、納得したようにエルが小さく息をつく。


「違います。教会の奥にあるのは寝室です」

「しんしつ?」


あまりに場違いな言葉に俺が正しく理解していないのに気付いたのか、エルが言い直した。


「ベッドのある、寝る部屋、という意味の寝室です」

「は、なんでベッド?」

「教会の聖職者は、怪我や病気も見ますが、心や体も慰めるのですよ」

「ベッドで慰めるって……ただ添い寝するとかそういうことじゃないんだよな」

「そうですね、直截に言えば性行為をするということです」

「え、えええええ」


 顔を赤くして驚いた俺に、エルが苦笑する。


「あなたの世界では違うのですね」

「え、いや、そういう行為をする場所が無いわけではないけど、商売のお店でやるもので宗教施設ではない」

「教会のない小さな町などでは商売として行う娼館もありますが、ここでは教会が主にその役割を担います」

「え、教会ならタダでヤレるの?」


それすっごい得じゃない、とかろくでもない考えが頭をよぎったのは許してほしい。


「いえ、教会に寄進をするのです。性行為はその厚意に対する『お礼』です。あくまで『愛のある行為』以外許されませんから、寄進されても聖職者の方から断ることもできます。しかし権力者の寄進ともなれば教会の体面もありますから、どこまで聖職者個人の意思が反映されるかはわかりませんが」


ほんの少し不愉快そうに眉を寄せるエルに、おそらく実態はそんなに綺麗ではないのだろうことが伺える。

 それを踏まえて、先ほどのエルとモルガの会話を思い出す。そういえば「お連れの方もご一緒に」って言われたな。つまり奥の寝室で三人でって……それって3ピー(自主規制)ってこと!? それどこのAVなの? 俺そんな特殊な性癖持ってない! ああ、でもあれだけの美女は俺の生涯でもう出会わない気がするから気にならない訳じゃない……じゃなくて! 俺が赤い顔で脳内一人突っ込みを繰り返しているのを、エルは黙って見守っていた。ぎゃあ恥ずかしい。




「イオリス、たのもー!」


 エルと別れたその足で、イオリスの研究室を訪ねた。どんどんと扉を叩く。


「なんなの、うるさいよ」


少しして、イオリスが迷惑そうに部屋から顔を出す。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「僕忙しいんだけど」

「いーじゃん、少しくらい」

「君を送り返すための刺繍をしているんだけどね」

「仕事じゃないなら、なおさら別にいいよ。今、話しをする時間分遅れるくらい許容範囲」


一年二カ月が、今更一時間や二時間伸びたって大差ない。しぶしぶ俺を招き入れたイオリスに一応形ばかりの礼を言って、椅子に腰かける。

 それからイオリスに教会での出来事を話した。


「寄進なんて言ってるけど、あれ結局買春なんじゃないの?」

「君そんなこと外で言わない方がいいよ」

「うん、そんな気がしたからイオリスんとこ来た」


外では街の人の目もあるし、何となくエルには訊きづらくてここにきた。


「どうして教会なんて神聖な場所で、そんなことが公然と行われてるんだ? エルも見たところあんまりよく思ってないみたいだし」

「エルは貞淑だからね」

「……貞淑って女の人に使う言葉じゃないっけ?」

「それならエルは『生真面目で奥手』って言えば満足?」

「なんかそう言い換えた途端褒め言葉に聞こえないのはなんでだろうか?」

「君、そんなくだらない話をしに来たの?」

「いや、違くて。だからなんで教会なのかなって」


どことなく俺を見る目が冷たいイオリスには気付かないふりをして、話しの続きを促す。イオリスはほんの少し考えるそぶりを見せてから続けた。


「なんでって訊かれてもね。そういう文化だからとしか言えないんだけど。そもそも愛の神を信仰しているだけあって、ここでは性行為は神聖なこととされている。アエロス神自身が言っちゃ悪いけど節操が無いしね。他にあえて現実的な理由をつけるなら、昔は本当に戦で傷ついた兵士たちを慰める需要があった。今は平和になって久しいからその建前は形骸化した昔の名残だけれどね。それに性行為は推奨されるべきことだから、ここでは親のわからない子供も多い。そういう身寄りのない子供たちの受け皿が教会だ。子供を育てるためには金がいる。教会だって綺麗事だけでは食っていけないのさ」


 考えてみれば、この世界は乳幼児死亡率が非常に高いだろう。なんせまだ細菌の存在すら発見されていないんだ。子供が死んでいくならば、国の人口を保つためには多く産むしかない。そう考えれば「性行為を推奨」の意味も納得がいく。


「なるほど」


うん、と俺が頷くと、イオリスが人の悪そうな笑みを浮かべた。


「奥に誘われたんなら、せっかくなら行ってくれば良かったじゃない」

「いやそもそも俺は『奥』の意味を知らなかったし、エルも断ってたからな」

「エルは、その手の誘いには乗らないよ」

「うん、真面目そうだもんな」

「それもあるけれど、エルは長男だからね。他に妹が一人いるだけだから、その辺で種を配る訳にはいかないのさ」

「種を配るって……言い方。そういえば、この世界の避妊ってどうなってんの?」

「中で出さないのが基本だけど、女性が綿を入れるのと、まあどうしてもってときは出したものを転移の魔法で女性の体内から取り除くのが主流だね」


そういえば昔は女性の膣に綿を入れて避妊をしていたとどっかで読んだ。


「それって、完璧に避妊できるの?」

「まさか。妊娠する確率を低くは出来るけど、ゼロにするなんて無理だよ」

「だよなぁ……」


となると子供が産まれる数も増えるけれど、当然性感染症の数も増える。クラミジア、梅毒、エイズ等々。

 地球上のすべての病気がこの世界にあるとは思えないけれど、病気による成人の死亡率も高そうだ。下水処理はそれなりに整っているが、俺が思っているよりもこの世界の衛生状況は悪そうだ。


「それで、どんな娘だったの?」

「何が?」

「誘ってきた相手」


名前は、何だっただろうか? 確か「モ」から始まる名前だった。とりあえずあの美女の特徴を話すと、イオリスが、ああ、と頷いた。


「モルガだね、それ」

「あ。そうそう、そんな名前。っていうか、イオリスなんで知ってるの? もしかしてお前も寄進してるの?」

「まさか。宗教にも教会にも興味無いし。でも、その興味のない僕が知っているくらいそのモルガは有名なんだよ。昼のアエロス神にそっくりだって噂で、彼女のために大金を注ぐ貴族や商人もいるって聞くよ」

「確かに教会の神様の像に似てたかも」


髪と瞳の色こそ違えど、波打つ長い髪に、豊満な胸、完璧なプロポーションは、あの白い像に似ている。


「エルも勿体ないね。受けとけば良かったのに。タダで貰えるなんて相当な幸運だよ」


呆れたようにイオリスが言う。エルは真面目過ぎるきらいがあるが、こいつは不真面目すぎないか。俺がジト目で睨んでいるのに気付いているだろうに、気にした様子もなく続けた。


「まぁ、予定外の子供が出来てお家騒動になるのを嫌う貴族の男は、普通夜に男と遊ぶものだけど、エルはそれもしている様子は無いし、良く出来た奴だよね。面白味は無いけど」


……ちょっと待て。男が夜に男と遊ぶってなんだ。エルがそれをしている様子が無いって、なに? エル以外の貴族の「普通」ならあるの?


「夜に、男と遊ぶって、なに?」

「あれ? 聞いてない? 教会で、寄進の『礼』をしてくれる聖職者は、昼は女性、夜は男性だよ。昼は女性、夜は男性のアエロス神になぞらえているんだ」


それはつまり男も買えるってことか? そんな話は聞いてない、し、そもそも聞きたいのはそこでもない。


「いや、そうじゃなくて、男が男と遊ぶのが普通なのか? 遊ぶって、その辺の店で夜遊びして楽しむとかそういう意味じゃないよな?」

「そりゃもちろん同衾するほうの意味だけれど、何、君んとこじゃ違うの?」

「違く……はないけど、同性では少ない」

「へぇ、そうなんだ。やっぱり別世界だね。ここでは同性なら子供ができることもないしそう珍しいことでもないよ。もちろん相手を異性に拘る人間もいるけどね」


 確かに、確実な避妊方法がない以上、ただ快楽を求めるには同性の方が楽なのかもしれない。それはわかる、が。なんだろうこれが文化の違いってやつか。


「君みたいなティーンと見間違うような薄っぺらい体の童顔は結構需要が有るからひとりで歩くときは気を付けてね。暗がりや人気のない路地裏にはいかないように」

「マジか。ていうか薄っぺらさはお前も負けてないだろ」

「そう。だから先人からの有難い忠告だよ。まあ暗がりに連れ込まれても僕は魔法で返り討ちだけどね。昔はよく刈り取ったよ」

「刈り取るって何を?」

「何ってそりゃ……」


イオリスの穏やかでない台詞に、恐ろしい事態を想像して、ごくり、と喉が鳴る。


「髪の毛を剃り上げて、服を切り刻んで全裸で放り出した」


酷ぇ。想像とは違ったけれど、それはそれで酷い。つまり社会的に抹殺したってことか。いやでも強姦魔に情けを掛ける必要はないのか。ううむ、と唸っていると、イオリスが言った。


「君は返り討ちなんて無理でしょ。だからちゃんと自衛してよね」

「……わかった」


解りたくはないけど解った。現代日本人の俺は荒事には向いていないし、気を付けるに限る。まさか自分がこんな女の子みたいな心配をする日が来るなんて。人生とは本当にわからない。

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