第6話

 結局俺の住む場所は、エルの部屋になった。騎士団宿舎の部屋は、すべて二間続きになっており、一間に一人ずつの二人部屋になっているらしい。幹部はその二間続きの部屋を一人で使っているということだ。

 王宮にも空き部屋があるらしいが、そちらはいろいろと申請が大変らしい。騎士団の一存で用意するには騎士団宿舎が一番簡単なのと、こちらの常識を知らない俺にいきなり一人部屋を与えるのは難しいのではないかと判断したそうだ。

 それは大変に助かる。ただ本当にエルには迷惑を掛け通しで心から申し訳ない。テーブルに頭を擦りつける勢いで謝り倒した俺に、エルは気にしないでほしいと爽やかな笑顔で言ってくれた。もともとそんなに使っていない部屋だから構わないということだが、エルが良い人過ぎて逆に心配になる。イオリスの尻ぬぐいで人生の半分くらい損しているんじゃないだろうか。

 準備に一日掛かるようで、今日はまた医務室のベッドを借りることになった。皆、自分の仕事に戻ってしまって、暇になった俺の相手はスフェンがしてくれている。彼は治癒師という仕事の性質上、患者がいない時は比較的ゆったりしているらしい。今はルーティン業務の魔法陣を刺繍しながらこの世界について話してくれている。

 このオルファニアム王国はこの辺りで一番大きな国で、優秀な宰相の一族がいるためここ百年あまりは周辺国と友好的な外交関係を保っている。なんでも百年と少し前に一度大陸全土を巻き込む大きな戦争と政治の混乱があって、それ以降この国の宰相の地位は、その血脈に与えられるものではなく、当主の頭脳と才覚に与えられるようになった。現行の当主に国の中枢を担うに相応しくないと判断されれば、実の子だろうが家を継ぐ資格を失い、その血筋に関係なく優秀な人物を養子に迎えて後を継がせるようになったそうだ。


「もちろん代々宰相を輩出するそのノイライト家以外の貴族はその血統を大事にします。エルファム様のオブリディアン家とイオリス様のハルナーク家は、王族の降嫁を受けることもある由緒あるお家ですよ」

「薄々感じてたけどエルとイオリスって結構偉いの?」

「ええ、エルファム様があの若さで騎士団副団長を任されているのは、ご本人が優秀なこともありますが家の格も関係があるでしょうね。イオリス様は家のこともありますが、それよりも彼自身が本当に魔術師として天才的なんですよ。この部屋の簡易キッチンやお手洗いにある転移の魔法陣ですが、あれを発明したのはイオリス様です。転移の術自体は以前からありましたが、もっと複雑で大きな魔法陣が必要でした。それを術式を最適化してあの小さな魔法陣で可能にしたのがイオリス様、しかも彼が十歳の時です」

「うぁ、イオリスのこの国で一、ニを争う魔術師って自称は本当だったんだな」

「一、 二を争う、どころか、間違いなく彼がこの国一の魔術師ですよ」


当然のように言うスフェンに、それが事実なんだと伝わってくる。


「あー、イオリスのあのイイ性格が周りに許されてるのはその辺りが原因なのかな」

「彼が快楽主義的な性質なのは否定はしませんが、真実悪い方ではないのですよ」


私がそう言ったのは内緒にしてくださいね、とスフェンがいたずらっぽく微笑む。たしかに見ている限りスフェンは時々呆れたりはしているがイオリスを嫌う様子はない。

 それになにより日本の水洗トイレを凌ぐあの超便利清掃機能付きトイレを発明したのがイオリスだというのなら少しは見直してもいいかもしれない。地球に戻れるときに輸入したいくらいだ。まあ地球人には魔力がないから動かないだろうが。


 スフェンと一緒に昼食をとり、地球の、というより日本の話をしながら午後をまったり過ごしていると、扉をノックする音が聞こえた。顔を向けたスフェンが立ち上がる。ちょっと失礼、と俺に断りを入れて、俺たちがいた簡易キッチンとテーブルを隠すように取り付けられたカーテンを引いた。

 来客からこのスペースを見えないようにしているようだ。俺は席を外さなくていいんだろうかと思ったが、外に出るように言われなかったから静かに待機することにした。


「どうしました?」


扉の開閉音とスフェンの声が聞こえる。


「リーオ様がお腹が痛いと仰いまして。先日一度治して頂いてから少し調子が良かったのですが、また下痢が続くんです」

「スフェン、お腹痛い」


心配そうな女の人の声と、可愛らしい子供の声だ。


「そうですか、お掛け下さい」


スフェンが椅子を進めた後、すぐに何事か小さく呟く声が聞こえた。囁くような音量で内容は聞き取れない。少ししてまたスフェンの話し声がした。


「いかがですか? リーオ様」

「大丈夫」

「それは良かった」


その会話のあと、目の前のカーテンからスフェンが顔を出した。カーテンの隙間から、ぷくぷくの頬に輝くような金髪の小さな子供が見える。何あの子、超可愛い。

 すぐにカーテンは閉じてしまったので、諦めてスフェンに視線を戻すと、彼は簡易キッチンの水瓶からコップに水を汲んでまた戻っていった。再び隙間から見えたちびっこはやはり天使のように愛らしい。なんかこの世界の美形率異常じゃない?

 ほどなくして子供と付き添いの女性は出て行ったのか、スフェンがカーテンを開けた。


「お待たせしました」

「お疲れ様でした。あれは、魔法で治してたの?」


気になっていた事を問いかける。


「ええ、そうです。よく子供が下痢で来るのですよ。治せば一時的には収まるのですが、またすぐに同じような症状が出てしまって」


心配そうに眉を寄せたスフェンを見ながら、少し考える。


「ねぇ、子供ってあの子だけでなく、ほかにも来るの?」

「そうですね、子供の下痢は多いですよ」

「じゃあ、さっきコップで水を持って行ったけど、この世界って水を消毒とか殺菌とかしてる?」

「しょうどくと、さっきん?」


心当たりの無さそうなスフェンに、やっぱり、と納得する。この世界は魔法が便利すぎるせいか、おそらく地球より科学がだいぶ遅れている。


「もしかしたら水の中に病原菌がいるかもしれない」

「びょうげんきん、とは?」

「井戸水や河川の水には目に見えないすごく小さい生物がいて、それが体の中に入ると病気の原因になったりするんだ」


穏やかでない発言にスフェンが険しい顔をする。俺は専門家ではないから詳しくは無いけれど、わかる範囲で説明をすることにした。

 井戸水などには食中毒の原因となる細菌が含まれていることがある。水は一見綺麗でも細菌は小さすぎて目に見えないため気付かない。大人も食中毒にはなるが、体が未完成で抵抗力の弱い子供は大人よりもさらに食中毒になりやすい。子供たちが下痢を何度も繰り返すのは、体内にまだ病原菌が残っていたり、汚染された水を飲むことによって病原菌を追加しているのだと思う。

 大腸菌などの食中毒の原因となる細菌の大半は熱に弱い。これらの細菌は水や土の中など身近な場所のどこにでもいるので、食中毒を防ぐためには、基本的に高温に加熱して菌を殺すか、菌が増殖しやすい温度(10℃~60℃)に食品を長く置かないことが重要になる。

 一部、熱を加えても毒性が消えないウエルシュ菌(作り置きしたカレーやシチューで食中毒を起こす原因になる菌。作り置きするときは、調理後なるべく早く冷まして冷蔵庫にいれよう)や、ボツリヌス菌(重症の場合は死に至る事もある強い食中毒を起こす。一歳未満の赤ちゃんに蜂蜜を与えると乳児ボツリヌス症という病気になることがあるので、乳児に蜂蜜や、蜂蜜入りの飲料・食品を与えないように気を付けよう)がある。


「つまり、水を一度高温に加熱すると、その水の中の病原菌が死ぬ、ということですか?」


俺の話を聞いたスフェンが言った。


「そう、子供や病人には一度沸騰させてから冷ました水を飲ませた方がいい」


 実は俺はこの世界へ来てから一度も生水を飲んでいない。あの瞬間湯沸かし器みたいな魔法陣で湯冷ましにした水をペットボトルに移して飲んでいる。清潔第一な日本人の上、その中でもさらに腹が弱い俺が生水を飲んで平気なはずがない。腹を壊すかもしれないとハラハラしながら水を飲むなんて精神的にも到底無理だ。日本にいるとあまり意識しないが、そのまま飲んでも腹を下す心配のない日本の水道水素晴らしい。

 ちなみにスーツケースの中にはペットボトルのお茶と水が何本か入っていて、それはもしもの時のために温存している。この世界に呼ばれたのが海外旅行の荷造り後だったのはまさに不幸中の幸いだった。


「この世界の病原菌が、俺の世界と全く同じ細菌かはわからないけど、でも水を沸かすだけなら特に害はないだろ? 試してみてもいいと思うんだけど」

「そうですね、先ほど見せていただいた計算をする道具も、ここには無い驚くべきものでしたし、あなたの助言を信じてみても良いと思います」


少し考えるように沈黙したあと、スフェンが頷く。早速手配します、とすぐに部屋から出ていった。

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