第5話
朝食を終え、スフェンの仕事場(兼今の俺の寝床)に戻ると、十時過ぎにまた迎えに来ると言ってエルが去っていった。わざわざ俺を送ってくれたらしい。有難い。手を振って見送って、さてあとどのくらい空き時間があるのかと腕時計を確認する。時刻は午後十二時半を回ったところだ。あれ、約束の十時っていつ? そういえば時間の感覚が違うんだった。
幸いなことにそれからすぐスフェンが出勤してきてくれた。スフェンにこの世界の時計を教えてもらった。定規を縦にしたような板に目盛りが30付いている。上から順に目盛りに沿って目印が移動していき、30を過ぎると自動的に1に戻るそうだ。一目盛りはほぼ地球の一時間と同じ60分。つまりこの世界は一日が30時間。
あまりにも地球から遠くへ来てしまったらしい自分にめまいがする。その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
今、俺の前には四人の男が座っている。イオリス、エル、スフェン、それからもう一人、騎士団の団長、クローム・カーネリアンだ。この人は、なんというかまあイケてるおじ様だ。いかにも騎士団の団長という体格の良さで、 おっさんと呼ぶのが申し訳ない感じ。人徳が顔に出ている。
「この度は、大変申し訳ないことをした。あなたがここにいる間の生活は私共で補償しよう。あなたの身柄はイオリス殿預かり、生活についてはこのエルファムが面倒を見る。スフェン殿も助力をして頂けるとのことだ。異世界の人間だということは余計な混乱を避けるためにも出来る限り伏せる。そのほうがあなたの身にとっても安全だ。今後の詳細は後でエルファムに聞いてくれ。ここまでで何か質問が?」
「いいえ、ありません」
むしろこんなに手厚く保護してもらっていいんだろうか。世の中のラノベよりずいぶんとイージーモードな気がする。
「そうか、では申し訳ないが私はこれで失礼する。なにぶん仕事が立て込んでいるもので。何かあったらエルファムに言いなさい。できる限りあなたの要望には答えるようにする」
「そこまでしなくても良いんじゃないですか?」
俺と同じ疑問を持ったのか、イオリスが口を挟む。まったくもって同感だが、でもお前にだけは言われたくはない。そもそもの元凶はお前だ。
「イオリス殿、成人もしていないような少年を一年間も親元から離すことになったのは貴殿の責任なんですからね。今度ばかりは少しは反省していただきたい」
団長ステキーいいぞやったれ、と言いたいところだが、聞き捨てならないセリフがあった。成人をしていない少年とは誰のことだ。
「あの、この世界では二十五歳は成人前の少年ですか?」
自他共に認める童顔なので、日本にいても若く見られることには慣れているが、さすがに子供扱いはちょっと傷つく。笑みを作り損ねた顔で申し立てると、団長とイオリスに集まっていた全員分の視線がこちらに向いた。
「二十五、歳、ですか?」
スフェンの質問に、頷く。
「え、ほんとに? 君、僕の一個下なの?」
信じられないというようにイオリスが呟く。つまりイオリスは二十六歳か。エル、ラディオはイオリスと同期らしいからこの二人も同じくらいだろう。というか二十六で暇潰しに悪戯って人として大丈夫なのか、イオリス。
「むしろいくつだと思ってたんだ?」
一番正直に答えてくれそうなエルに向かって尋ねる。
「それは……十七、八歳くらいかと」
「私は十六くらいかと思った」
エルの後に、さらに団長が続けた。さすがに日本で高校生に間違えられることはないぞ、俺。せいぜい大学生だ。
「これは重ね重ね申し訳ないことをした。だが基本的な対応は先ほど話した通りだ。悪いが今日は本当に時間がない。後は頼んだぞ、エルファム」
すまなそうに眉を下げて、カーネリアン団長は去っていった。逃げたな、なんてイオリスが愉快そうに呟いているけれど、そもそもその忙しい団長にご足労願う原因になったのはどこの誰かと小一時間問い詰めたい。でも今はぐっと我慢する。
まったくの余談だがこの世界の成人は十八歳だそうだ。
「それよりも俺は早急に確認しないとならないことがある」
さっき時計の使い方を教えてもらっているときに気が付いたんだけど。
「この世界、一年は何日?」
「えっ、340日ですが」
急に深刻な顔をした俺に戸惑ったのか、スフェンがやや焦り気味に答えてくれた。
ああ、やっぱりか。一日が30時間な時点で嫌な予感はしていた。地味に落ち込みながら、スーツケースから電卓を引っ張り出してきた。
「俺の世界は一日24時間で一年365日なんだ、だから、」
言いながら、電卓を叩く。地球は365日×24時間で8760時間。ここは340日×30時間で10200時間だ。単純に時間の差で計算すると、この世界は地球より一年間が1.16倍長い。つまりこの世界の一年間は地球の時間で換算すると約一年とニか月だ。まあ音信不通の行方不明に一年も、一年二か月も大差ない気もするが。
「ねぇ、面白いね、それ。何?」
ここで空気を読まないイオリスが乱入してきた。若干イラっとしたが、周りを見渡せばエルもスフェンも興味深そうに俺の手元を見ている。
「これ、計算の出来る道具。この文字、俺の世界の数字なんだけど、このボタンで入力すると自動的に計算結果が出てくる」
適当な数字を電卓に打ち込みながら皆に見せる。ちなみになぜ今時電卓なんて持っているのかというと、海外旅行中の値段交渉に使おうと思ったからだ。スマホの電卓を使って盗られたら嫌だから念のため用意しておいた。
「すごいすごい、どういう仕組みなの、それ?」
目をキラキラさせてイオリスが訊いてくる。なんだちょっとは可愛いところあるじゃんか。
「あー、中に基盤が入っててそれで動いてるんだけど、でも詳しくは知らない」
残念ながら俺は本気の理系ではない。栄養士はなんちゃって理系なので、機械類には強くない。そう答えると、イオリスの顔がわかりやすく歪んだ。……ちょ、お前今舌打ちしたろ。俺が不機嫌に口を曲げると、エルがイオリスの頭を小突いてくれた。仕方ない今回はエルに免じて流してやろう。
「ねえ、じゃあこっちは?」
が、目敏いイオリスは俺の手首を指さして言った。めげないな、こいつ。
「これは腕時計。俺の世界は一日24時間だってさっき言ったろ? この短い針が24時間で一周するようになってるんだ。で、一時間はさらに60に区切られてて、この長い方の針が今が何分か示すんだ」
「へえ、時計が持ち運べるなんて便利だね。これはどういう仕組みで動いてるの?」
「電池と水晶だけど……でも詳しくは知らない」
「ええ? じゃあ何なら知ってるの? 君、本当に役に立たないねぇ」
呆れたように言い放ったイオリスに今度こそキレそうになっていると、俺が声を発するより早くエルがイオリスの口を塞いでくれた。掌で口を抑えられてイオリスがもごもごやっている。すみません、と目で訴えているエルに俺はゆっくりと頷いた。海のように寛大な俺はエルに免じて許してやろう。
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