第4話
目が覚めたらそこは、見慣れた俺の部屋でした、なんて幸せな予想はやっぱり外れていた。ふぁ、とあくびを零してもぞもぞと体を起こす。枕元に置いていた腕時計を見ると朝の五時だった。まだ早い。そういえば昨夜は混乱しすぎて何時に寝たのか確認しなかったが、今現在眠くないのでそれなりに長時間寝たと思う。
これからどうしようか、とあたりを見回すがまだ暗い。部屋の上の方にある明り取りの窓からもまだ日は差していない。朝食はエルが案内してくれる予定なので、とりあえず待機だ。
迎えが来るまでもう少しゴロゴロしていよう、と思ってからが長かった。なんと窓から日が差してきたのはそれから三時間半後、エルが迎えに来たのは俺の腕時計で午前十一時だった。起きてからエルが来るまで我慢できずにお菓子を食べてしまったぜ。
これは後でこの世界の時間感覚を確認する必要がある。たぶん、日本と、というか地球と違う。今更ながらにマジもんの異世界なんだと自覚させられてちょっとだけ凹んだ。
エルが迎えに来て、この世界で初めて屋外に出た。外から眺めた王宮は中世ヨーロッパ風の石造りの城だった。まったくもって期待を裏切らない。そんな王宮のほど近く、こちらもわかりやすく貴族のデカい家みたいな騎士団宿舎の食堂の中で、俺は今長いテーブルの前に座っている。
正面にはエル。目の前にはトレーに並べられた朝食。内容は鶏の卵よりも明らかに黄身の大きい卵の目玉焼きと、何肉か分からないウィンナーと、黄色いブロッコリーに似た野菜と白い根菜の茹でたものの盛り合わせだ。味付けは赤いソース。少し舐めてみたらトマトみたいな味がした。あとは果肉がピンク色のオレンジっぽい果物。パンは少なくとも外観は見慣れたパンだ。
見たことのない食材ばかりだが、幸いやばそうな臭いや味はしないし、それなりに美味しい。日本から持ってきたスーツケースにいくらか食料をいれてあるけれど、それらは温存しても問題なさそうだ。
エルに食材の名前をひとつひとつ尋ねながら食事をしていると、隣に朝食のトレーを持った男が現れた。
「見かけない顔と一緒だねー。なになに、新入り? オレも一緒していい?」
人好きのする笑みでエルに声を掛けたのは、普通のイケメンだ。いや、普通のイケメンってなんだって話だけれど、イオリスとエルファムが美形すぎるので、一般的なイケメンが普通に見える。俺の日本基準ではこの人も充分イケメンなんだけどね、いや本当に。
エルより身長は低い。俺より少し高いくらいか。まっすぐな赤毛を後ろでひとつに括っている。奥二重気味の釣り目で笑うと少し目が細くなる。アジア系に近い顔立ちをしていて何となく親近感がある。ガタイが良いわけではないがこの人もそれなりに筋肉は付いていそうだ。羨ましい。
返事をする前にすでにエルの隣に腰掛けている。うん、なんというか、チャラい。
「コウキ、こちらは騎士団所属のラディオです」
「ラディオ・エメラルダ。エルとは学生時代からの同期なんだー。オレのことはラディオって呼んでね~」
……うん、やっぱりチャラい。
「城崎亘希です。亘希の方が名前なんで、それで呼んでください」
「コーキね、よろしくー」
なんとなく「こうき」の「う」が伸ばす音で発音されている気がするが、まあ別に拘るほどの事でもないからいいか。
「それにしても黒い髪に黒い瞳なんて珍しいね。まるで夜のアエロス様みたい」
「よるのあえろす、さま?」
ラディオの言葉がさっぱり理解できない。困ってしまってエルに視線を向けると、エルが説明してくれた。アエロス様とはこの世界の神様で、昼は金髪青目、夜は黒髪黒目になる愛を司る神様だそうだ。詳しくは今度教会に連れて行ってくれるって。
「アエロス様を知らないってコーキってそんなに遠くから来たの? この大陸ではほとんどの国が信仰しているはずだけど」
目を丸くしているラディオに、これまた困ってしまってエルを見る。異世界から来ました、なんて気軽に話していいのか?
「ラディオ、コウキはイオの関係者で遠くの国から来たんだ」
エルの言葉を聞くやいやな、ラディオがガタっと椅子を鳴らした。そのまま椅子ごと遠ざかりそうな勢いで身を引いている。
「……イオリス様の、関係者?」
ひきつった顔で俺を見るラディオに、エルが困ったように息をついた。
「安心しろ、ラディオ。コウキはイオの関係者だが、どちらかといえばお前と同じ被害者だ」
被害者、ってイオリス、お前はこの人に何をしたんだ。ぱああっと顔を明るくしたラディオが俺の両手を取る。友よ! とでも言いだしそうな輝いた目で俺を見つめるラディオに、一体何事かとエルに三度目のヘルプを出した。
「私とイオとラディオは王立学校時代の同期なんです。私とラディオは騎士学科、イオは魔術学科ですが。初めてラディオがイオに会ったとき、イオのことを女性だと勘違いしたのですが、それを機になぜかイオがラディオを気にいって」
「そう、それ以来オレはイオリス様の暇潰しという名の悪戯の被害者なんだよ~。だってしょーがないよね、あの時のイオリス様はまだ髪も長かったし、魔術学科のやつらはローブだからとにかく冗談みたいに細いことしかわからなかったしー」
拗ねたように話すラディオに、昨日初めて見たイオリスを思い出す。たしかに女性と見紛う美人だった。今より身体が出来上がっていない学生時代ならもっと女の子みたいだったのは想像がつく。
「たしかにイオは女性のような見た目でしたが、貴族の中でハルナーク家を知らない人間はいませんからね。イオを女性と間違えるなんて当時ラディオくらいだったのですよ」
「イオリス様のハルナーク家とお前のオブリディアン家が高位貴族なことくらいはさすがに知ってたけど、庶民のオレがその息子たちの顔まで知ってるわけないー」
「私たちの代で王立学校の入学規則が変わったのです。それまでは貴族のみが学ぶ学校でしたが、その年から国の中から広く能力が高いものを身分に関わらず受け入れるようになりました。その貴族以外の入学者の第一期生がラディオです。学校に入学するまで、イオも私も、貴族以外の人間と触れあうのが珍しかったのですよ」
エルの説明に、何となくエル、イオリス、ラディオの三人の関係の想像が付いた。漫画でありがちなやつだ。
「イオリスの悪戯ってどんななんですか?」
俺の質問にようやく両手を放してくれたラディオが眉を寄せる。
「飲みかけの酒を酢に変えたりだとか、髪の毛が朝起きたらくるっくるの巻き毛になってたりだとかー、あと自室のドアを開けたらその先がイオリス様の研究室だったりとかー」
「……くっだらねぇ!」
子供か! 思わず本心が漏れた俺に、ラディオがうんうんと頷く。
「ほかにも、」
言いかけて、ラディオの声が止まった。気のせいか顔が赤くて目も泳いでいる。聞きたい、ような聞かない方がいいような微妙な間に迷っていると、ラディオが続けた。
「とにかく、あの人の性質の悪いところは、絶対シャレにならない悪戯はしないところなんだよー。あくまでくだらない悪戯しかしないし、困ってると時々親切にしてくれるからなんだかんだ許しちゃうっていうか」
ラディオの弱り切った顔を見ながら、脳裏にイオリスのにやり顔が浮かぶ。まだ出会って一日だが、イオリスの性格の悪さは俺も充分実感している。これはたぶん飴と鞭られているやつだ。いわゆる「手のひらで踊らされて」いる。同情の眼差しをラディオに向けると、偶然目があったエルが困ったように笑った。
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