第3話 あの時も雨だった
「これで手続きは終ったよ。納骨まで僕もここにいるから、一緒に帰ろうね。
由希子さん」
僕は、にこやかに言ったのだけど、由希子さんはまだ、うつむいていた。
そんな由希子さんに手を差し伸べ、ゆっくり立たせる。
「とりあえず、部屋まで送るよ」
そうして二人連れだって廊下を歩く。由希子さんはずっと無言だ。
見ず知らずの、若い男の元で暮らさないといけなくなるんだ。警戒もするよね。
だから僕は言った。
「一応ね、血は繋がっているんだ。君の曾祖母と桜井の……ね。
あまりこの家では言えないんだけど、祝福された関係じゃ無かったから」
由希子さんは、初めて僕をちゃんと見た。
「あの……駆け落ちの?」
由希子さんは両手を自分の胸に押し当てるように、祈るような形にして訊いてくる。
「駆け落ち……し損なったんだよ。グズグズしている間に、父親に押しかけられてね」
「そうなんだ。でも、それだけ好きだったんでしょう?」
そう、目を輝かせて訊いてくる由希子さんに、僕は、曖昧に笑うだけにした。
「さぁね。本人達に訊かないとわからないよ」
こうしていると千代さんと話しているようで、胸が痛い。
由希子さんを部屋に送った後、僕は自分にあてがわれた部屋に入る。
古びた家屋は、照明が点いていてもどこか薄暗く感じる。
襖を隔てただけの部屋は、人の気配を感じさせて、いけない。
雨がひどく降っている。
本当に、あの夜の事など思い出したくも無いのに、思い出してしまう。
あの時も、大雨だった。
冬の……本当なら、雪になるはずの雨。
本当ならこの日、あの洋館を二人で出て行くはずだった。
冬の冷たい大雨の中、僕の子どもを身籠もっている千代さんを、外に出すわけには行かなかった。
「この雨がやんだら、ここを出よう。いいね、千代さん」
「もちろんよ。父が嗅ぎつけてくる前にサッサと逃げましょう」
千代さんは、にこやかに僕にそう言ってくれた。
そうして、洋館の三階に二人して籠もっていたら、雨音に紛れて下の方でエンジン音が聞えた気がした。
バンっと、車だろうか? ドアの閉まる音がする。
「千代さん。ここに居て。何があっても出て来てはダメだよ」
そう僕は千代さんに言い含めて、階下に降りた。
下に降りて見ると、扉を壊さんばかりに、ドンドンと叩いている。
「そんなにしなくても、すぐに開けますよ。
全く、ここをどこだと思っているのですか」
そう言いながら、扉を開けた。
複数人の男性が入ってくる。
僕は、入って来た男性から、何も言わずにいきなり殴られた。
「貴様。千代をどこにやった」
胸ぐらを掴まれて怒鳴られる。千代さんの父親のようだった。
苦しい、首が絞まる。
「くっ」
とても僕の力じゃ外すことができない。
使用人だろう男性が勝手に洋館内を探し始めた。
「や……やめて下さい」
僕が身体をよじり抵抗をすると、使用人達の方に突き飛ばされた。
使用人達に殴られ蹴られし続ける。
「貴様、千代に何をした。
貴様の所為で、千代の縁談が目茶苦茶だ。
千代を出せっ。連れて帰る」
僕は、千代さんの父親とその使用人達に、ぼこぼこに殴られ蹴られして、うずくまっていた。
それでも、千代さんは渡せない。渡したくないと思って……だって、千代さんは。
立つ気力もない僕の前髪を掴んで、僕の上半身を無理矢理起こさせて、訊いてくる。
「千代は、どこだ。若造」
「……知らない。
知っていても、絶対に教えない」
そう言った瞬間。思いっきりぶん殴られ、壁にぶち当たる。
遠くから、千代さんの悲鳴が聞えた。
「やめてっ! やめて下さい、お父様。伸也さんが死んでしまいます」
「千代さん。な……んで、出て……」
「わたくしが戻ればよろしいのでしょう?」
千代さんが、父親と何か言い合っている。
僕は、千代さんの元に行かないよう使用人の男に押さえ付けられた。
複数の人の気配、千代さんが着ている着物の衣擦れの音。
霞む目の中、千代さんが近付いてくるのが分かった。
「ごめんなさい」
それが千代さんの僕に向けた最後の言葉だった。それ以降、僕は千代さんを見ることは無かった。
最後に、千代さんが僕に笑いかけたのは、気のせいだったか。
思い出したくない思い出ほど、鮮明に記憶していて嫌になるよ、全く。
千代があの時、なぜ笑ったのか……わからずじまいで。
浅はかな僕は、邪推してしまうよ。
僕の死を本当に望んだのは、誰だったのだろうなんて……。
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