第2話 始まりは雨の日に
小高い丘の上にその洋館は建っていた。
随分と古い洋館なのに、年月の傷みを感じさせないような、たたずまいだ。
車中から見ただけでも分かる。門のすぐ横まで、花が咲き乱れ庭の奥までそのような感じが続いているのだろう。
今は春だというのに、向日葵やリンドウ、キンモクセイの良い香りまでする。
その中に菜の花やバラのような花まで咲き乱れているのだ、もうこれは奇異と言うしか無い。
こんな大雨の中で、散りもせず咲き続けるとは……。
そんな感想を抱いているのは、この洋館の住人から呼ばれたタクシー運転手だった。
タクシーが来た気配がした。こんな大雨の中外に出たくはないけど、仕方無いかな? 約束だものねぇ。
「それにしても、変わらないな」
鏡の中の僕を見て思わず呟く。
僕の容姿はあの時のままだ。薄い色素の肌、長身だけどひょろっとしてるやせ形の体型。
葬儀も初七日も終ったと思うけど、一応黒のスーツを着ていこう。
納骨までは、向こうに居ないといけないだろうから……と、ボストンバッグに、着替えや大事な書類等も入れていく。
しかし、どういう仕組みなんだろうね、千代さん。
つい、僕は懐かしい名前を頭に浮かべてしまっていた。
僕はタクシーに乗り込み、目的地の住所が書かれている紙を運転手に見せた。
運転手は一瞬怪訝そうな顔をしたけれど、ああっとばかりに車を発進させてくれた。多分、地名が変わっていたのだろう。古いメモだったから。
ほどなく目的地に着く。多分、着いたはずだ。
「お客さん。ここで良かったですかね」
「ああ。ありがとう。
それにしても酷い雨だな」
「ですねぇ、お客さん。六千九百七十円になります」
それではと、七千円渡して三十円の釣り銭をもらった。
傘を差して、タクシーを降りると、すぐにズボンの裾が濡れてしまう。
日本家屋の古びた建物が目の前にあった。
漆喰の塀に木の門構え、その奥に平屋建てのお屋敷が見える。
門を開け敷地内に入ると玄関まで石畳が延びていた。
全盛期はさぞかし、と思える庭も今は寂しい限りのたたずまいだ。
僕は玄関の引き戸を開ける前に、自分の水気を払った。
カラカラと引き戸を開ける。
「ごめんください」
そう奥に向かって声をかけると、和装の喪服を着た年配の女性が出て来た。
「はい。何かご用でしょうか?」
「電話でお話した桜井伸也と申します」
「あらあら、まぁ、桜井さん。お待ちしてましたのよ。
さぁ、どうぞお上がりください」
僕を見て一瞬間が開いたが、にこやかに対応してくれる。
もう一人、若い女性もタオルを持ってやって来た。
「お足元悪い中、わざわざすみません。こちらのタオルで……って、濡れてませんのね」
こちらの女性も、にこやかだ。とても不幸があったお家だとは思えない。
「タクシーを使ったものですから」
僕だけが、神妙にしているのも変なのでにこやかに応じた。
「まずはお焼香をしたいのですが……」
そういう僕を若い女性の方が先導して奥の広間に連れて行ってくれた。
広間の奥に、立派な祭壇がある。もう初七日はとうの昔に終っているはずなので、四十九日まで、そのままにしておくつもりなのかも知れない。
祭壇の横にぽつんと一人の少女が座っていた。
制服なのだろうか、紺色のワンピースを着ている。うつむいている所為か、長い髪が顔を隠している。
僕は、彼女の前に座り軽くお辞儀をして、祭壇の方に向く。
祭壇に飾られている遺影の二人は、知らない顔ではあった。
だけど、交通事故に巻き込まれて亡くなったこの二人は、一人娘を
僕の眠りを覚ましてしまうほどに……。
お焼香を済ませ、また少女に向き合う。
「松平由希子さん、ですね。
僕は、君を引き取ることになった、桜井伸也と言います」
そう僕が言ったら、少女……由希子さんはおもむろに顔を上げた。
その顔を見て僕は思わず
『千代さん』
そう、言ってしまうところだった。それほどに、由希子さんは千代さんにそっくりだった。
でも、顔を良く見ると目が虚ろだ。なにか諦めてしまっているような……そんな感じがした。
大人の嫌な部分を沢山見てしまったのだろう、由希子さんは小学6年生。ちょうど思春期になりかけの頃だ。
ここの親族は、相続人の由希子さんそっちのけで、財産の奪い合いをしている。
だから胡散臭い、僕の話にも乗ってきた。
『松平由希子に遺産相続を放棄させる』という事を条件に、僕に由希子さんを渡すことを承諾した。
今後一切、何かあっても由希子さんに関わらないという約束も、問題なく了承された。そんな約束が無くても、無一文で追い出される娘に関わる気は毛頭ないだろうが。
弁護士を交え、由希子さんを養育していくための書類を整えた後、僕は由希子さんのところに戻って行った。
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