第7話 レクイエム

 「どれくらい腹を締め付けるつもりなの?」

 葵に上腹から下腹をコルセットで締められながらゆらが呻くようにたしなめた。

 「天体には重力が作用しています。

  お身体を維持するためにはこうしてコルセットで

  矯正するのがいいのですよ。」

 葵は囁くように答えた。


 風が御簾を揺らした。御簾からほんのり覗く外界では歳を重ねた古い木の枝が見える。枝の上で影色柄の蝉がビビ…と弱弱しく鳴き、雨垂れのようにシュッと引力に引かれて落ちていった。


 「わたしの仲間が幾人か死んだ…。」

 ゆらの言葉を聞き、葵は一瞬ぎょっとなった。

 「…!ねぇ、そうでしょ?!」

 ゆらは更に語気を強めた。

ギロっと睨みつけたゆらの目は人の身体を借りていても化け物のよう。

空気は一瞬にして緊迫し葵はゆらの気によって身体中を締め付けられ痛みが走った。


 辺りは見えない闇に吸い込まれ凍り付いた。

 「あなたが人型となり裸体をわたしたちの前に晒したあの日、

  盟主(殺戮集団の諸侯のこと)があなたの皮膚を一枚一枚はがし、

  手足をもぎとり、内臓を抉り《えぐり》出した。

  あの日のあなたの身を捩って苦しむあの顔、あの叫び声、

  今でも耳の奥でこだましてるわ!」

 ゆらは、眉をひそめ顔を歪め、口は裂けんばかりに大きく開かれた。

葵は鳥肌が立ち身震いをするのを感じた。あの拷問された恐怖の日々が脳裏をよぎる…。しかし、葵は震えを押し殺し右手でコルセットの紐をつまみ、左手はゆらの腰に回した。そしてゆらの内腑を探った。葵の指がゆらの体の表面に触れるたびに、とっくとくとゆらの身体が怯えているのを感じた、確かに感じ取った。

ゆらの発した闇に覆われてから、十数分後、ゆらの方が耐えきれなくなったのか、空気は元に戻った。

ゆらの額からは汗があふれていた。

 「わたしも、殺すの?」

 ゆらは、少し縋るように艶めかしく言った。

 「さあ、お召し物を羽織りましょう。

  そして朝餉あさげにしましょう。」

 葵は落ち着きを取り戻してできる限り優しい声音で言った。

そしてゆらの服装を整えてから朝餉を用意しに部屋を出ようとした。

「…ぁなたの…お父さん…の悲痛な声…また…この上なく愉快だったゎ…。」

 葵は瞬時に振り向きゆらを凝視した。

ゆらはこちらには向かずに風がたなびく御簾を眺めていた。


 

 わたし―今日きょうの目の前に深海が広がっていた。

太陽の光も届かぬ海の奥、濃紺の生命の源がゆらゆらとたたずむ。

すると光が差したように、明るいものが近づいてきてどんどん大きくなっていった。

それは銀色の鱗をした大きな美しい魚で自ら輝きを放っていた。透き通った目はわたしを見つけると、更にまばゆい光に包まれそれが人型に変わっていく…。

凛々しい小顔の青年、グレーの瞳、ナツ様…。

ナツ様の顔はどんどんとわたしに近づき、顔と顔が触れそうになった。


 「今日きょう今日きょう…。」

 自分を呼ぶ声が聞こえて、わたしは、はっと我に返った。


目の前にいたのは、ナツ様ではない、“葵”様だ。

 「葵様?ここは…。」

 辺りを見回すと鉄格子に囲まれていた。

葵様は鉄格子の部屋に直に入ってきてお盆を持っていた。

覗き込むと、コーンの団子と深いお椀にはシチューがあった。

 「食事を持ってきた。不便をかけてすまない。」

 「ありがとうございます。」

 わたしは盆を受け取った。

 「影が、いくつか亡くなりましたね。」

 わたしは続けて質問した。

 「ああ、クリノアイで戦争があった。

  そしていくらか処刑された。」

 葵の目からは感情が消え遠くを眺めているようだった。

敵の死。わたしたちが捧げた細胞の一部とともに葬られた。

何度も殺戮集団との戦争で拷問に遭い、消滅の恐怖を味わって生きてきた。また大事な仲間が苦しみ悶える姿も見てきた。死という言葉を思い出す度、その数々の苦しみや悲しみを悲痛なまでに思い起こされる…。

だけれど、戦争で勝たなければ、殺戮集団をすべて絶滅させなければ未来などない。

 「ゆらは?」


 「明くる朝にでも…すぐにでもしたいと思うよ。

  でもそれには、が必要だ。」

 葵の濃紺の瞳は電灯の光の加減で透き通った海…もしくはを思わせた。

 「?」

 今日は意味深に尋ねた。

 「ああ、水芙蓉前帝に謀っていただこう。」

殺戮集団によって奴隷支配された何も生み出せない混沌の宇宙から、天体を作り出し、身体を整え世界を築いてきた。わたしたち。

それを重厚な責任感をもって肩にしょって生きているような葵様の、遠回しだけれど力のある言葉だった。

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大牙抄録 夏の陽炎 @midukikaede

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