あなたは今日死にます

沢田和早

あなたは今日死にます

 まただ。今も感じた。もうどれくらい前からだろう。何者かの粘りつくような視線が気になり始めたのは。監視カメラのような機械的な観察ではなく、明らかに生きた人間の意思を感じさせる眼差し。


「統括局の誰かに監視されているのかな。この都市の人権なんて紙切れみたいなものだし。あ~あ、今年の夏はサイテーね」


 研究所を出たあたしはうんざりした気分で灰色の空を見上げた。灰色はあたしたちの住む惑星アスの色。ミルウエ銀河の辺境に存在する恒星サン。その第3惑星であるアスは宇宙から見ると鉛のように青みがかった灰色をしているらしい。


「今年は灰色の惑星に相応ふさわしい憂うつな夏になりそう」


 アス暦2020年、世界は厄介な問題に直面していた。感染力の高い病原体、新型ヴィルスのまん延である。年初の世界健康局の楽観的予測は大きく外れ、初夏を迎える頃には全世界の死者数は30万人に膨れ上がっていた。


「他の惑星に人類を送り込めるほどの技術を持ちながら、ヴィルスの特効薬はおろか、半年経っても有効なワクチンすら開発できない。この星の科学って力の入れどころがおかしいんじゃない」


 あたしは少しイライラしていた。今、世界の非難があたしの住む研究都市ムウハに向けられているからだ。

 厄災を引き起こしている新型ヴィルス、それを最初に発見したのがこの都市だ。それだけなら大した非難もされないのだろうが、その後の対処の仕方がよくなかったらしい。詳しいことはあたしにもわからない。


「しばらくうんざりする日が続きそう。嫌になっちゃう。こんな時は美味しいものでも食べて、ふにゃ……」


 首筋がチクリとしたかと思うと目の前が真っ暗になった。力が抜けて崩れ落ちる体を誰かが支えてくれた……覚えているのはそこまでだ。


 * * *


「あれ、ここどこ」


 目を開けると鉛色の天井があった。あたしはベッドに寝かされているようだ。女の声が聞こえた。


「ちょっと助手君。起きちゃったわよ。また薬の量を間違えたんじゃない」

「あれ、おっかしいな。すみません、主任」


 寝たまま横を向くと白衣姿の男女が立っている。助手と主任? ならここは研究所? それにしても眠らせて連れて来るなんて穏やかじゃないわね。


「すみません。あなたたちは誰ですか。ここはどこに所属する研究施設ですか。何の目的であたしを連れて来たんですか」

「あら、目が覚めたばかりにしては口が回るわね。う~ん、どうしよう、話しちゃおうかなあ」

「主任、それはまずいんじゃないっすか」

「いいじゃない。どうせこの子の命は今日までなんだし。冥土の土産に教えてあげましょう」

「いつもこれなんだから。困ったもんだなあ」


 二人の口調は綿菓子みたいに軽いけれどその内容はアブリガ象みたいに重い。今日までの命ってどういうこと。あたし今から殺されるの?

 起き上がろうとしたが両手両足はベルトで固定されている。これはますますヤバい。神妙な面持ちで女主任の顔を見詰めていると、にこやかな笑顔を返してくれた。


「じゃあ最初の質問から答えてあげる。私たちは未来人、今からちょうど千年後の未来、3020年からやってきたの」

「はあ?」


 予想外の答えを聞かされて開いた口が塞がらない。ひょっとしてテレビのバラエティ番組か何か?


「で、ここは研究施設じゃなくてタイムマシンの内部。あなたを連れてきたのは体組織が欲しかったから。あなたの体内に残留している新型ヴィルスとその抗体の解析、それがあたしたちの目的」


 最後の回答だけはまともだ。未来人だなんてウソまでついて、よほど自分たちの正体を明かしたくないのだろう。


「新型ヴィルスについて調べたいのなら喜んで協力します。どうしてこんな乱暴なやり方をするんですか」

「言ったでしょう。私たちは未来人だって。歴史が変わらないように過去の人間とはできるだけ接触したくないのよ。だから人目を避けてコソコソやっているわけ」


 まだ未来人にこだわっている。面倒だからこの点については聞き流すことにするか。


「で、その未来人さんがどうして千年も前のヴィルスを調べに来たんですか」

「実はね、今、この時代にまん延している新型ヴィルスはあたしたちが未来から送り込んだものなのよ」

「ええっ!」


 さすがに驚いた。数十万の死者を出し世界経済に大損害を与えた張本人がこの女だって言うの。自分たちの正体を隠したがるのも無理はない。


「どうしてそんなことをしたんですか。故意、それとも事故」

「う~ん、故意でもあるし事故でもあるかな。まあ実験中には予期せぬことが起こるものだしね」

「実験って、何の実験ですか」

「言うまでもなくタイムマシンよ。あっ、言っておくけどあたしが実験したわけじゃないわよ。タイムマシンの開発は何百年もかけてようやく完成した。でも最初から人を送り込めたわけじゃない。最初は無機物、次は有機物、そして単純な生命体、高度な生物、最後は人類。時間旅行させる対象物を徐々に複雑にしていってようやくタイムマシンは完成した。この時代のヴィルスは開発初期に用いられた実験体ってわけ」


 なるほど。こじつけにしてはよくできた理由だ。


「でもどうしてこんな凶暴な病原体を選んだんですか。人畜無害なヴィルスならたくさんあるでしょう」

「そう、そこが重要な点なの。文献によると送り込む前は感染力も毒性もほとんどない無害なヴィルスだったらしいのよ。ところが数百年過去に飛ばした途端、変異して凶暴なヴィルスになったみたいなの」


 変異……そうかヴィルスのゲノム塩基配列は容易に組み換わる。タイムマシンの原理はさっぱりわからないが、時間旅行中に性質が変化することはありえそうだ。


「実はこの問題はまだ解決されていないのよ。見て、私のまぶた。一重になっているでしょう。本当は二重まぶたなのよ」

「ああ、それボクにも起きてるっす。これ見てください」


 男助手が白衣の右袖をまくった。前腕に硬貨ほどのほくろがある。


「このほくろ、本当は小指の先ほどの大きさしかないんす。千年さかのぼったせいでこんなに大きくなったっす」

「長く時間旅行するほど性質変化の割合も大きくなるの。現在、百万年、千万年単位の時間旅行が計画されているんだけど、そのためには時間旅行による性質変化は絶対に解決しておかなくちゃならない。千年ならほくろが大きくなる程度でも百万年旅行したら猿に変化しちゃうかもしれないでしょ。そこで開発初期の時間旅行実験で使われたヴィルスや細菌なんかを見つけ出して解析し、性質変化のデータを集めているわけ。どう、これで納得できたでしょう」


 ウソや作り話を喋っているようには見えなかった。そもそもあたし一人のためにこんな大きな仕掛けを用意し、空想話を創作し、役者を雇って演技をさせる理由が見当たらない。本当に未来人なのかもしれない、そう思い始めていた。


「でもどうしてその対象者があたしなんですか。あの新型ヴィルスに感染している人なら他にもたくさんいるでしょう。どうしてあたしを選んだんですか」

「理由は二つ。あなたがこの時代で最初に感染した一人だからよ。ヴィルスの塩基配列は感染拡大するにつれて変化する。この時代に来たヴィルスもすでに様々な型に変化してしまった。でもあたしたちが欲しいのは時間旅行のみに影響された変化のデータ。あなたはそのデータを保持している一人なのよ」

「了解。それでもうひとつは?」

「最初に言ったでしょ。あなたの寿命が今日までだからよ」

「うっ……」


 鉛を飲み込んだように胸が重くなった。そうだ、確かにそう言われた。今日までの命だって。


「時間旅行者が過去に与える影響は最小限に留める、これは鉄則。そのためにはあたしたちと接触した後、短時間でその時代から消滅してくれる人間が一番都合がいいのよ。私たちは未来人。この時代の誰がいつ死ぬか全てわかっている。あなたを選別するために1カ月ほど前からこの都市をスパイさせてもらったわ。10日ほど前からあなたを監視させてもらい、命日の今日、作戦を決行したってわけ」


 ああ、時々気になっていた視線はこの人たちだったのか。これで全ての謎が解けた。ようやく胸のつかえが取れたのはいいけれど同時に死刑宣告されるなんて。やっぱり今年の夏はサイテー!


「あのう、助かる方法はないんですか。外に出たりせずここで明日まで過ごすとか」

「運命の力は強大なの。もし明日までここにいたとしても別の形であなたの死はやってくるはず。この時代からあなたを排除しようとする力に抗うことはできないわ」

「そう、ですか……」

「もし望むなら私たちの手でその運命を代行してあげてもいいわよ。言いたくないけれど結構ツライ死に方なのよ。でも私たちなら安らかにあなたをあの世へ送ってあげられるわ」

「主任、データ解析完了しました。これでいつでも帰還できます」

「OK!」


 二人は装置の前で作業に取り掛かった。あたしはもう用済みなんだ。この人たちも、2020年の夏も、もうあたしを必要としていない。この時代にとってあたしは不要な存在……


「あの、ひとつ相談があります」

「何? 殺され方の相談?」

「あたしも一緒に未来へ連れて行ってくれませんか。あなたは言いましたよね。運命はこの時代にあたしが存在することを許してくれないって。それならこの時代から消えてしまえば運命はもうあたしを追いかけて来ないんじゃないですか」


 女主任がにっこりと笑った。男助手は渋い顔をしている。


「よく言ってくれたわ。その言葉が聞きたかったの」

「やれやれ。またこのオチっすか。どうせこの人を対象者に選んだのも命を助けたかったからなんでしょ」

「いいじゃない。救える命は救ってあげるものよ。さあ一緒に行きましょう。あたしたちの未来へ。3020年の夏へ」


 両手両足を縛っていたベルトが外れた。あたしは立ち上がる。さようなら2020年の夏。千年後の未来で待っているわ。きっちりヴィルスを退治して会いに来てね。

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