第6話・にがてなあのこ

 キタキツネには、ギンギツネという姉がいる。二人はそもそも違う種の生物だが、生まれた地域や種族的な近さから、長い間姉妹として暮らしていた。

 二人はフレンズの中では知能の高い方であり、よくヒトの文化や道具に触れてはそれについて研究していた。その中でも特にキタキツネはゲーム、ギンギツネは科学技術の才能に恵まれていた。

 ある日、まだキタキツネがフレンズとして成熟せずヒトの飼育下にあったころ、ギンギツネはサーバルや多くのフレンズと冒険をすることになる。これが後に言う女王事件に発展するのだが、彼女はその中でもかなり中心的な活躍をして見せた。その功績から彼女の存在はパーク中に知れ渡ることとなり、彼女はライオンやヒグマなど実力派ぞろいのフレンズたちによる自警団「警備隊」に入隊した。

 キタキツネには他をはるかにしのぐゲームの才能があるが、それはギンギツネのように周囲に広く認められるようなものではなかった。多くの仲間と多くの活躍の機会に恵まれた姉に対して彼女が負い目を感じることは、そう難しいことではなかった。

 そんなある日、彼女の前にイナは現れた。

 この時、キタキツネとナナの目的はイナをセントラルに連れて行くことで完全に一致していた。しかし、その意味はわずかにずれていた。

 ナナはイナの身の安全と調査のため。一方キタキツネは少しでも姉を見返すため、なるべく他者の手を借りずに二人を守るためだった。

 つまり、キタキツネにとってこの状況は思いもよらぬ好機であった。

 だが、その目的のために最も遭遇してはいけない相手は、いともたやすく彼女の前に現れた。

「キタキツネ、何か私に隠し事をしてるでしょ?」

 濃霧に囲まれて周囲の様子はよく見えないが、至近距離に見えるその姿と声は間違いなくギンギツネのものだった。

「お姉ちゃんには関係ないでしょ。これはボクの役目なんだ」


 時間は少し前にさかのぼる。ナナはイナについて外見などできる限りの情報を集めてからスタッフカーに荷物を載せ終えると、キタキツネとイナを乗せてセントラルへ向かった。当初はただ引っ越すだけの予定だったが、イナが現れたことで、彼女をセントラルの研究施設に連れて行くこと、それまで彼女をなるべく無傷な状態に保っておくという仕事が増えた。

 本来であればこれはそこまで気を張るような仕事ではない。しかし巨大セルリアンが現れてからは、それが生み出した多くのセルリアンが活動を続けている。たとえ親玉が討伐されても、その勢いが激しく衰えることはなく、いまだに多くのフレンズたちが恐怖の中で生活していた。

 一行はホッカイチホーの雪原を抜け、岩山地帯であるホートクチホーにやって来た。この地域は高低差が激しい地形の性質上、天候が他の地域に比べて変動しやすい。ナナは細心の注意を払ってスタッフカーを進めた。

 しかし、彼女たちは瞬く間に濃霧に阻まれた。

 セントラルまでのルートはスタッフカー用の広い道を通るため、道に迷うことは考えにくい。それでも霧の先に他のフレンズやセルリアンがいないとも言い切れないので、ナナは一旦車を止めた。

「ボク、先に行って様子を見てくる」

 言い出すが先か足が動くが先か、キタキツネはすぐに車を降りて走り出した。

「ナナはイナを見てて」

 ゲーム以外のことには怠け性なキタキツネが、いつになく率先して動いていた。ナナはそのことに驚いて何も言えなかったが、どの道彼女を止める気はなかった。

「お姉ちゃん、大丈夫かな……」

 後部座席に取り残されたイナが、誰に言うでもなくつぶやく。その不安を振り払うように、ナナは運転席から笑顔で振り向いた。

「大丈夫。あの子、けっこう強いから」

 しかし、イナは不安そうな目でキタキツネの消えた方向を見続けていた。


 キタキツネの感覚は、例え濃霧の中であっても損なわれることはない。もともと雪山のキツネである彼女は、分厚い雪に隠れた見えない獲物を探し当て餌としていた。つまり彼女にとって濃霧などたいした障害ではないということだ。彼女は方向感覚を失うことなく、真っすぐに道を進んでいた。

 だが、彼女の目の前に突然現れた気配にだけは、なぜか気づくことができなかった。

「やっぱり、ここに来てたのね」

 紺色のブレザーに黒と灰色の長い髪。大きく特徴的な耳と尻尾を付けたその姿は間違えようもない、キタキツネの姉、ギンギツネだった。

「お姉ちゃん! どうしてここに……」

 キタキツネは慌てて足を止める。

「ホッカイチホーから来た子たちに聞いたのよ。それでナナと一緒に来るなら、きっとこの辺りで立ち往生してるんじゃないかって思ってね。心配しなくてもこの霧はもうすぐ晴れるわ。キタキツネ、あなたは先に私と行きましょ?」

 ギンギツネが手を差し伸べる。しかし、キタキツネはそれに応えることなく、しばらく考えてから静かに一歩後ずさった。

「……嫌だ」

「どうして?」

「ボクは、ナナたちと行く。お姉ちゃんの力は、借りない」

 キタキツネが口を滑らせたことに気づき、両手で口を覆った時にはもう遅かった。

「ナナ、たち、ね。おかしいわね、ホッカイチホーから来るのはあなたとナナだけだと思ったのだけど、途中でフレンズを拾ったのかしら。もしかして怪我をしている子?」

 キタキツネの顔がわずかに青ざめる。

「ち、違うよ。何でもない。とにかくボクはナナのところに戻るから……」

「待ちなさい」

 恐る恐る背中を向けようとするキタキツネを、ギンギツネは強く呼び止めた。

「キタキツネ、何か私に隠し事をしてるでしょ?」

 キタキツネは一瞬だけ動きを止めたが、振り返ることはなかった。

「お姉ちゃんには関係ないでしょ。これはボクの役目なんだ」

「何よ、いくら何でもそんな言い方……」

「それよりも!」

 ひときわ強い声が、ギンギツネの言葉を遮る。

「キミ、お姉ちゃんじゃないでしょ」

「えっ」

 驚きのあまり、今度はギンギツネが一歩引いた。

 気配を感じず突然目の前に現れた時から、キタキツネは疑っていた。そして、話している間にそれは確信に変わった。

「キミからはお姉ちゃんの匂いも気配もしない」

 フレンズの誰かのいたずらか、セルリアンの能力か、そこまではわからない。だが、相手がギンギツネではないと気付いた時、彼女は少し安心した。

「とにかく、ボクはナナと一緒にセントラルに行くから、あまり邪魔しないでね」

 背中越しに伝えるキタキツネの声は、先ほどまでとは明らかに違う他人行儀なものだった。


 キタキツネがスタッフカーに戻るころには、霧は通行の妨げにならない程度まで散っていた。

 先ほどのギンギツネ(のような誰か)の言うとおりだったと少し驚いたキタキツネだったが、直後、彼女の目に飛び込んだのは思いもよらぬ光景だった。

「キタキツネ!」

 スタッフカーの中からこちらに気づいて叫ぶナナの膝の上で、イナがうずくまるように体を丸め、横になっていた。

「イナ! どうしたの!?」

 キタキツネが慌ててそばに駆け寄る。イナは体を小刻みに震わせ、顔色もあまりよくなかった。

「わからない。霧が晴れるちょっと前に急に苦しみ始めたの」

「とにかく、セントラルまで急ごう」

「うん!」

 ナナは返事をすると同時に運転席に移動し、エンジンを再始動させた。

「イナは、ボクが守るんだ……」

 自分がいない間に、妹につらい思いをさせてしまった。ナナに代わってイナを膝枕しながら、キタキツネは心の中で自分の頬を叩いた。


 警備隊本部。ギンギツネ(本物)はまた一段とそわそわしていた。オイナリサマの不在に加えて、キタキツネがセントラルに来ると聞いてしまったので、それはもう落ち着いてなどいられなかった。

 ハシビロコウは彼女のもとに書類を持って来たのだが、その様子を見てまずため息をついた。

「そんなに妹のことが心配か?」

 聞こえやすいように少し強めに話しかけると、ギンギツネは驚いたように少しだけ跳ねてから我に返った。

「え、ええ。まあ……」

 オイナリサマがいないことについてどう説明すればいいか、そもそも何も言わなければ気づかれないか、いや、勘のいい妹のことだから聞かれるかもしれない。彼女はその考えが整理しきれず、気のない返事をしてしまった。

「身内が気になるのはわかるが、お前にはお前の仕事がある」

 そう言って、ハシビロコウは手に持った書類を見せた。

「以前から話していたセルリアン探索装置の件だが、いよいよ出番が来そうだ」

 ギンギツネが受け取ったその書類には、セルリアンの目撃情報とその討伐依頼が記されていた。

「今回は大型セルリアン一体を中心に少数の小型セルリアンの群れ。目撃情報ではリーダー格はかなりの大型とされているが、それに対して目撃件数が異常に少ない。おそらくは逃げ隠れに特化した相手だ。そこで……」

「私の出番ってことね」

 ギンギツネの目にようやく光が宿る。それを見てハシビロコウはゆっくりとうなずいた。

「ああ。この任務が終わったら、お前をセントラルに連れて行くようライオンにも伝えてある。しっかり頼んだぞ」

「わかったわ」

「……いい目だ」

 普段は無表情なハシビロコウが、その時はわずかに笑っているように見えた。


 キタキツネが去った後、霧の中でギンギツネの姿がぐにゃりと歪んだ。それは一瞬だけ霧に紛れて消えたが、直後に先ほどまでよりはるかに背の高いフレンズが姿を現した。

 毛先を七色に変化させた白い長髪に、九本の大きな尻尾。体の各所に赤と青の線を走らせたその異様な姿は、かえって謎の魅力を発していた。

 その名は、キュウビギツネ。

「なかなか、面白いことになったじゃない」

 誰に言うでもなくそうこぼすと、彼女はホートクチホーの岩山に、文字通り霧のように姿を消した。

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