4-8



 この学校に足を踏み入れてからどれだけ時間が経ったのだろうか。黒い空は時間感覚をも狂わせる。

 最初にこの場所――理事長室に来た時は外もまだ明るくて部活中の生徒の声も聞こえていたな、とザクロはまるで遠い昔のことのように思い出した。昼間は上品で落ち着いた印象を受けたこの部屋も、ほの暗さをたたえると途端に不気味さを増す。


 ザクロたちはそれぞれ情報を交換し合った。と言っても、主に話すのはザクロでときどきシエルが付け足す、というのがほとんど。彼はヒツガイのことをあえて他人事のように話し、そうすることで感情の整理をしているようだった。


「やっぱり、ヒツガイさんは……」


 マコから聞いた〝見えざる支配者〟の話でおおよそ予想はついていたが、それでもザクロが話すヒツガイの正体に総統は少なからずショックを受けたようだった。

 何と言っていいのかわからず言葉を詰まらせてしまう。マコはそっと彼女の背を撫で、気遣う様子を見せながらも話を進めた。


「ふぅん……だいたい事情はわかった。つまり、この状況をつくりだしたのがザクロの部下のヒツガイ――で、シエルちゃんたちは神様に願い事を叶えてもらうために割れた『灰天使の護石』を修復しようとここに来たってことであってる?」


「要約するとそうなるわね」とシエル。「ただ、護石を直す方法だけど――」


「や、それよりさ」マコがシエルの言葉を遮る。


「エルデを元に戻す方法を考えなくちゃ」


 ふと窓の外に目をやる。そこには黄昏時よりも一歩ぶん、夜に近づいたような薄闇の世界があった。空に浮かぶ黒い太陽は、光の面積を取り戻すことなくぼんやりと周囲を照らしている。


「そうか。を何とかしない限り、世界はずっとこのまま……」


 護石が割れると災厄が訪れるという話だったが、実際はザクロの気を引きつけるために灰天使が故意に護石を割り災厄を起こしていたのだ。

 もはや『友人の名を呼びたい』などと言っている段階ではなく、何とかして彼の暴走を止め、世界に平穏を取り戻さなくてはならない。


「話が通じる相手ではなさそうだったし、彼を説得するって方法は難しいでしょうね」


「どうかな」


 シエルの言葉に、マコが意味深な笑みとともに答えた。その言葉の意味が分からず彼女は説明が続くのを待つ。マコが再び口を開いた。


「護石の中にいたとき、そいつは『シエルちゃんは元の世界に帰してあげる』って言ったんだよね。つまりそいつの目的はザクロだけで、他はどうでもいいんだ。人も、世界も。つまり――」


「つまり、僕を灰天使に差し出せば世界を元に戻してくれるかもってことか」


 マコの言葉をつないだのはザクロだった。マコは満足げに「そういうこと~」と笑う。ザクロはそれにため息で答えた。


「合理的だけど人の心がないところ、ほんと君らしいよ」


「そりゃどーも。褒め言葉として受け取っておくよ」


「……でも悪くない案だ」


「え!?」


 驚きの声はザクロ以外の全員からあがった。マコでさえ声をあげたのだ。


「驚いた。半分冗談だったんだけど」


 総統はぽかんと口を開けてザクロの顔を注視していたが、彼に反応がないのを見ると、その襟首をつかんで引き寄せた。


「ちょっと、ザクロ! そんなこと許さないんだから!」


 ザクロはいつも通りの口調で答える。しかしそこには諦観があった。


「いいんだ総統。僕は別に」


「よくない! あんたの意思なんて関係ないの! あたしが嫌だって言ってんのよ! なんでそんなこと言うのよ!」


「そうね……私も理由には興味があるわ。せっかく元の世界に戻ってきたのに。それにあなたの〝願い〟だってまだ叶ってないでしょう」


 シエルは眉宇びうを寄せ、ザクロの横顔を見た。

 ザクロは数秒、答えずにいた。そのあと、シエルのほうでも総統のほうでもなく、ただ宙を見て独り言のように喋りはじめた。


「この厄災は、僕が引き起こしたみたいなものだからだ」


 太陽を隠したのも、怪物を生み出したのもすべて灰天使。

 でも彼の狙いは僕で、願いを叶えるためとはいえこの学校に来ることを選んだのも僕。

 僕が原因で起こった厄災。

 僕だけが解決できる厄災。

 シエルに協力するって言ったのに護石の直し方もわからないまま途中で投げ出すのは心苦しいけれど、副総統として、世界エルデの統治者のひとりとして、厄災の責任を取らければ。


「この世界の平穏は、一個人の願いや感情より優先しなきゃならない。それが上に立つ者としての義務」


「それは……そうかもしれないけど、でも」


「っていうのがエルデ政府副総統としての建前。でも僕は魔法も信じるくらい、まだまだ全然オコサマなんだ。だから本音はもっと単純」


「本音?」


 彼女の手に触れる。顔を見ることはかなわなかったが、彼女がたしかにそこにいるということを実感できた。


「――守りたいんだ、君がいる世界だから」


 正直に言えば少し怖い。灰天使のもとを訪れれば、彼は今度こそ逃がしてくれないだろう。

 でもこのままだときっと、エルデはずっと薄闇の中。それどころか灰天使はまた新しい生命をつくりだして彼女を襲うかもしれない。

 君が怪物に襲われそうになっていたとき、どうしようもなく怖かったんだ。

 君に会えなくなることよりも、君の名をこの先ずっと呼べなくなることよりも、君が傷つくことのほうが怖い。


 名前も知らないけど、僕にとって君は、いてもいなくても変わらない脇役エキストラなんかじゃなくて、何物にも代えがたい大切な人だから。


「だから僕は、彼のところにもう一度行ってくる。行ってエルデを元に戻してもらわないと」


 君の顔がわからないことも、君の名を呼べないことも、やっぱりもどかしくて仕方がない。





 いつか、君の名を呼びたかったな。






 ザクロの意思は固いようで、彼女はこれ以上引き留めることができなかった。


「そんな顔しないで、総統。別に死ぬわけじゃないし、帰ってこれる保証はないけど帰ってこれないって決まったわけでもないから」


「僕としては大歓迎だけどね~。せっかく彼女を総統にしたってのに、ザクロがいたんじゃ咲良組うちが政府にほとんど介入できなくて邪魔なことこの上ない」


「マコ! そんな言い方……!」


 空気を読まないマコの発言に総統が噛みつく。

 対してザクロは複雑な顔で笑った。


「はは、やっぱりそういうとこ、君らしいや。………もし、」


 言葉を戸惑い、一度口をつぐむ。

 呑み込んだ言葉は彼にとって不本意なもので、それを口にするのはかなりの勇気を要した。

 やがて意を決してふたたび口を開く。


「もし僕が帰ってこられなかったら………政府や総統のこと、君に任せていい?」


「ハッ、やだね。誰に指図してんのさ。この僕がお前の頼み事なんて聞くわけないだろ」


 マコは彼の願いを悪役じみた笑いで一蹴する。


「お前の大切なものを僕に壊されたくないなら、早く行って帰ってきなよ」


「……それ、僕のこと心配してくれてるって思っていい?」


「バーカ」


 マコはそれに答えるつもりはないようで、カラカラと笑った。





「今回は、手助け必要?」


 昨日出会ったばかりだというのに、その声はザクロにとって聞き慣れたものとなっていた。

 声の主――シエルはナイフを軽く宙に投げ、キャッチする。ザクロは緩やかに首を横に振った。


「大丈夫、自分のことは自分で何とかする」


「ふふ、頼もしいわね。じゃあザクロに一つお願い。私のナイフ、護石の中に一本置いてきちゃったからついでに取ってきてくれる?」


「もう、シエルってば。帰ってこれないかもしれないのに」


「言ったでしょ? 強く願ったことはなんだって叶う。私はザクロが帰ってくるって信じてる。だからあなたは絶対帰ってくるわ」


「簡単に言うなぁ」


「神の子が言うんだから間違いないわ!」


「はは、たしかにそれは心強いな」


「それにあなたが帰ってくるって信じてるのは私だけじゃない。そうでしょう?」


 そう言ったシエルの視線は総統に向けられていた。

 ザクロはもう一度彼女を見る。彼女も彼を見ていた。


「え、っと」


 気恥ずかしさに目をそらしそうになる。いけない、何か気の利いたセリフを……って、これ今朝も言ってたっけ。うーん。

 そんな場にそぐわない彼の心中を知ってか知らずか、彼女は一度目をそらし、また見つめ、そして彼女らしからぬ小さな声で喋りはじめた。


「……さっき怪物に襲われたときもそうだったけどさ。あたし、こんな時に祈ることしかできない自分がほんっとうに嫌なんだ」


「総統……」


「でも、強く願うことが魔法になって、それがザクロの力になれるなら。あたしはいくらでもあんたの無事を祈るし、帰ってくるって信じてるから。だから絶対、帰ってきて」


 その声は微かに震えていて。しかし、彼が必ず帰ってくるということを信じて疑わない凛とした響きがあった。


「……わかった。絶対帰るって約束する」


「それと!」


 ビシッと鋭い効果音がしそうな動作で彼女はザクロの目前に人差し指を立てる。


「ヒツガイさんもちゃんと連れて帰ってきて。こんなオオゴトになったんだから、文句の一つでも言ってやんなきゃ気が済まないもん!」


「それには僕も同感。……今月あと百時間残業させてやる」


「そ、それはやりすぎじゃない?」


「冗談だよ、半分くらいは。でもやっぱり僕の隣には君とヒツガイさんがいないと物足りないや」


 ひと足早く日常が戻ってきたと錯覚しそうになるいつも通りのやりとりに、二人は同時に小さく笑った。


「帰ってきたら、また僕の名を呼んでよ、総統。ヒツガイさんの名も」


「ん。わかった。飽きるくらい何度でも呼んであげる」


「飽きないさ。……僕も君の名を呼べたら最高だったんだけど」


「え、何?」


「ううん、何でもない。それじゃあ行ってくる」



 ほんの少しの心残りと不安、そして必ず帰還するという強い意志を持って。

 ザクロはふたたび灰天使の護石がある校舎裏へと向かった。






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