4-7

 目前には見たことがない異形の怪物が総統たちに差し迫っていた。

 こんな時でさえ<魔法使い>の口から出てきたのは空想的メルヘンな言葉。


『さっき僕が言ったこと覚えてる? ――魔法の使い方』



 こいつ本格的にバカなんじゃないの、と彼女は思ったが、なぜかその言葉を無視することができなかった。

 ――あのときマコはなんて言ってたんだっけ。たしか……



「『強く願ったことは現実になる』?」


「正解! さぁ、魔法の力であの怪物を倒してしまおう」


「いやいやいや! 漠然としすぎじゃない!? ファンタジーの世界じゃないんだから、願ったら叶うなんてそんな都合のいいことあるわけないじゃん!」


 渾身のツッコミも、怪物――灰天使がつくりだした生命<白銅ハクドウ>――の威嚇にも似た鳴き声で小さな悲鳴に変わる。だめだ、心臓が凍り付きそう。彼女の中を恐怖が駆け抜ける。

 マコは視線を怪物に向けたまま、風の囁くような心地良い声で彼女に語りかけた。


「落ち着いて。お前には傷ひとつ付けさせないから」


「う、うん」


「――ふざけて言ってるわけじゃないんだ。かといってそうなる理論も確証もない。でも魔法は――魔法というのが正しいかもわからないけど、確かに存在するんだ」


「……」


「僕が嘘ついてるように聞こえる?」


「……ちょっぴり」


 その返答にマコは声を上げて笑った。


「あははっ、そうだろうねぇ。ま、いいじゃん嘘でも」


「えっ」


「総統は戦う手段を持ってないでしょ。だからあの怪物あいつを倒せますようにって祈っといてって話。そしたら気を紛らわすことくらいできるんじゃない?」


 かわいい女の子の応援があれば僕とリグルのやる気もあがるし。と冗談めかして付け加える。

 彼はどこまで本気なのだろうか、彼の言葉は何が本当で何が嘘なのか。

 わからない。

 わからない、けど――


「わかった」


 目の前の怪物にいちいちびびって騒ぎ立てているより、何の足しにもならなくても大人しく彼らの無事を祈っていたほうが少なくとも邪魔にはならないだろう。

 おそらくマコの気遣いだ。


「深刻になりすぎちゃだめだよ。せっかく魔法を使うんだ、楽しいことを考えよう。今一番会いたい奴のこととかさ」


「! うん」


 彼女は願う。二人の勝利を。この怪物を退けることを。そして、


「(……ザクロ、)」


 行方の知れない友人の無事を。




 その時、怪物が動いた。

 筋肉が素早く収縮し伸展する。そしてダイナミックにマコに飛びかかった。爪を立てようと大きく振りかぶる。

 その攻撃が彼に到達するより早く、怪物はわき腹を撃ち抜かれる。その弾丸を放ったのはリグルだった。怪物は横向きに倒れこむ。

 リグルは不機嫌そうに息を吐いた。


「……なんでそっちを狙うんですか」


「ハッ、モテる男は大変だよ」


 リグルのボヤキに冗談で返す。彼はこの状況を楽しんでいるようだった。

 怪物はすぐに起き上がり、再びマコに襲いかかる。マコは紙一重その爪をかわした。かろうじて、ではない。隙を作らないためにあえてぎりぎりで避けているのだ。

 自ら体制を崩した怪物に重い弾丸が襲いかかる。狙う場所は頭、首、そして足。至近距離と言えどその手元は驚くほど正確で、引き金を引くたびに怪物の足や胸の筋肉があらぬ方向に跳ねる。斬撃が襲い来るたび、まばたきもせずかわしてみせる。


 洗練された動きだった。

 しかし、銃弾は怪物の動きを止めるには至らない。


「はぁ、どうしようかな」


 マコのつぶやきをかき消すように怪物は咆哮をあげる。

 そして再び、渾身の鋭さをもって彼に襲い掛かる。否、狙いはマコではなく――


「! しまった!」


 怪物は空中で体勢を変える。人間ではありえない動き。

 狙いは後ろに控えていた総統だった。急ぎ銃を構えるが、


「っ! 弾切れ……!」


 引き金を引くも軽い音しか返ってこない。

 リグルも構えるが、誤って彼女ごと撃ち抜いてしまう可能性がある。マコは「撃つな!」と鋭く警告した。


「――――――――――!」


 彼女はあまりの恐怖に悲鳴も上げられなかった。

 強く目を閉じ、死を覚悟して身構える。











 その時、怪物の頭上の空間が音を立てて砕けた。

 亀裂が走り、真の混沌がその鱗片をのぞかせていた。そこから裂帛れっぱくの気合とともに――


「はあああああああああっっっっ!」


 ――空が降ってきた。

 見るものがそんな印象を受けたそれは、黄昏色の髪を持つ少女――シエルだった。


 彼女の掛け声がとどろく。光色にきらめくナイフを振りかざしている。彼女の体重と位置エネルギーのすべてが、刃先の一点に集中する。

 空中に跳ねていた怪物は避けられない。少女のナイフは怪物の身体を突き通した。


 シエルは完全なタイミングでナイフを手放し、受け身を取って落下の衝撃を逃がした。

 そして彼女に続いて天頂から現れたのは見慣れた赤い隻眼――ザクロだった。


「うわ、ほんとに帰ってこれた……」


 率直な感想を呟き、彼は「ありがとう」とシエルに手を伸ばした。

 シエルは得意げな表情で「ほら、言ったとおりでしょ?」とザクロの手を取り立ち上がる。


 見ると、さっきまでいくら攻撃しても立ち上がってきていた怪物が地面に縫いとめられ動かなくなっていた。子どもとはいえ、神のなせる業にほかならなかった。


「シエルちゃん!」


「マコ! 怪我はない?」


「おかげさまで。ありがと」


「ふふん。主役は遅れてやってくるものよ、マコ。間に合ってよかったわ!」


 再びもとの物語せかいに帰ってきた主役シエルは、エルデを覆う薄闇をも払ってしまえそうな明るい笑顔をマコに向けた。

 そしてもう一人の主役は――


「! 総統!」

 

「うそ……」


 ザクロは会いたいと願った友人に駆け寄る。そして安堵のため息を漏らした。

 彼女は様々な驚きが入り交じり、呆然といった様子でへたり込んでいた。


「よかった、総統。……怪我はない?」


「……ざ、ザクロぉ……! もう、どこ行ってたの!」


 ザクロはやはり彼女の顔を認識することはできなかったが、その声が潤んでいるのがわかった。脱力し泣き崩れそうになる彼女の肩を支える。その質量に、体温に、自分は無事元の世界に帰ってこれたんだということを実感させられる。


「心配かけてごめん。話せばちょっと長くなるんだけど」


 ザクロは顔をほころばせる。


「――君に会いたいって願ったんだ」


「あ、たしも……っ、ザクロに会いたいって、願ってた……」


「うん。ありがとう、総統。僕が無事帰ってこれたのは、半分は君のおかげだ」


「もう半分は――」と彼はシエルに視線を向けた。視線に気づいた彼女はゆるやかに首を振る。


「私は何もしてないわ。魔法を使ったのはあなたよ、ザクロ」


「いや、それでも君がいなかったらあの空間から抜け出す手段を見出せていなかった。ありがとう」


 そして彼は彼女を守った二人にも礼を述べたが、マコは「別にお前のためじゃないさ」と視線を外して言った。

 地面に縫いとめられていた怪物はいつの間にか消え失せ、泥溜まりになっていた。シエルは突き刺さるナイフを引き抜く。


「……僕がどんなに撃ってもピンピンしてたくせにー」


 マコは口をとがらせ泥溜まりを蹴る。シエルはそんな様子を見て「もう、拗ねないの」と涼やかに笑った。


「それより本当にどこ行ってたの?」


 マコの間延びした声が二人に問いかけた。答える前にリグルが口を開く。


「まずは安全なところに避難しましょう。……そんなもの、どこにもないかもしれませんが」







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