4-6
「! 総統!?」
総統たちが怪物と邂逅する数分前。
灰色の宮殿の中。ザクロの叫びがそこにあった。
水盤のスクリーンに映るのは桜花高校の薄暗い廊下。そこに立つ一人の女と二人の男――総統と<
そんな彼の反応を、灰天使は面白くなさそうに見ていた。
「いいなぁ
それは繰り返し吐かれる呪詛のようで。ザクロは思わず身震いした。
灰天使は「ね、今からイイもん見せてあげます」と人懐っこい表情を浮かべる。
「……イイもの?」
「さっき言ったっしょ? 俺は生命をつくりだすことだってできるって」
そう言うと彼は空中に指先で弧を描く。一拍遅れて、バキ、と乾いた炸裂音がした。
彼の頭上の空間に亀裂が走っている。まるでそこにある室内の光景がガラス製の書き割りにすぎず、それがふいに割れたかのようだった。亀裂の向こう側に見えるのは鈍い色の光。それが向こう側から左右にこじ開けられる。
濁った色の霧が大量に染み出しては床に流れ落ちる。そしてその空間に開いた穴から何かが出現した。
それは――人のかたちをしていながら、筋線維や脳髄を露出させた人ならざる者。鋭い爪が光っている。
「ハッピィバースディ」
灰天使は満足げにほほえみ、囁くように言う。
「新たに生まれおちた生命よ。
彼はそう唱え、巨大な水盤に映りこむ総統を指さした。
<白銅>と名付けられたそれは耳を塞ぎたくなるような奇声を上げるやいなや、水のスクリーンに飛び込んだ。水深はひどく浅いはずなのに、池はその怪物のすべてを呑み込んだ。水しぶきもあがらなかった。
「ほぉら……下に出てきた」
指し示した水面には、総統たちに怪物が近寄っていく様子が映っている。
「っ!? やめろ!」
ザクロは叫んだ。
「いいじゃないっすかぁ。たかがネームレス、いてもいなくても変わらない
「違う。彼女は――総統は、エキストラの一人なんかじゃ……」
「違わない。現にアンタは名前すら呼べない」
「っ、それは……」
「この世界において、名は存在そのもの。誰からも名を呼ばれない者は存在しないのと大差ない――そう思いません?」
その言葉はザクロに問いかけているというより自分自身に言い聞かせているようだった。
水面を見ると、怪物・白銅がまさに総統たちに襲い掛かろうとしていて――
「やめろ!」ザクロが再び叫ぶ。ついには拳銃を灰天使に向けて構えた。
しかし、彼に対する情が射線を定めない。
「……撃てませんよ、副総統サマには。アンタは甘い。俺はよぉく知ってる」
「っ、うるさい」
「撃ってみますか?」
「――、」
灰天使はザクロに歩み寄る。ザクロは銃を構えたまま、そのぶん後ろに下がった。じりじりとその距離が詰まってゆく。背後には壁が近づいてくる。
その時、少女の声が響いた。
「ザクロ! 走って!」
「!」
いつの間にかシエルは、先ほどまで灰天使がいた水盤の縁に立っていた。ザクロは考えるよりも先に彼女のほうへ駆け出す。
「――、何をするつもりだ……っ!」
シエルの存在が完全に頭から抜け落ちていたらしい。灰天使は明らかに動揺し、数秒反応が遅れた。
ザクロが彼女のもとまでたどり着く。水面は濁っていて、今は何も映ってはいなかった。
「シエル……!」
「飛び込むわよ!」
「とっ飛び込むって、この中に!?」
「さっきの怪物、ここを通ってもとの世界に行ったみたいだったわ。だからここに飛び込めばきっと――」
「逃がさない……!」
灰天使が羽ばたき、こちらへ向かってくる。その表情は怒りに歪んでいた。
彼女は慌てることなくザクロの目をまっすぐに見つめる。
「ザクロ。私たちが出会った日――と言っても昨日のことだけど、私があなたに言ったことを覚えているかしら?」
「……願えば叶うってやつ?」
「そう」
シエルはあの時、ビルの屋上でしたのと同じようにザクロの手を取る。昨日のことなのに遠い昔のようだ。
彼女は夢を見るように笑った。
「――会いたい人のことを思い浮かべて。願ったことはきっと叶うから。準備はいい?」
名を呼びたいと願った人物のことを思い浮かべる。
水盤にたたえられた水がほのかに光を発した。
ザクロは彼女の手をぎゅっと握り返す。そして深呼吸。
「……ああ、いつでもいける」
「オーケー。じゃあ――行くわよ!」
同時に地面を蹴る。二人は水の中へ飛び込んだ。
ほんの僅かな差で届かなかった灰天使の手は、ただ宙を掴むだけだった。
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