4-5
――何が起こったのか理解するのにかなり時間がかかった。
怪物の奇声、車体をひっかく金属音、大量の羽音、泥水を跳ね飛ばすような音。そして最後にはこの世の終わりみたいな爆音と身体を揺さぶる衝撃。
え、なに、死んだ?
混乱する彼女の隣で<魔法使い>は声を上げてひとり大笑いしていた。
「あははははっ! すっごかったねぇ今の!」
「は、え、なん、何!?」
「あのコウモリ? みたいなやつ轢き潰したらばしゃばしゃ
ジェットコースターに乗ったあとの子どもみたいにはしゃぐマコが総統の顔を覗き込む。鼻につくガソリンのにおい。
状況がいまだ呑み込めず目を白黒させる彼女の手を取って、「行こ」と外へ連れ出す。
瞬間、爆発とともに燃え上がる車。
「ええ……」
「あははははっ」
炎の前で呆然と立ち尽くす総統と楽しげに笑うマコ。
さっきまで彼女たちが乗っていたそれは、学校の昇降口に頭から突っ込んで燃え盛っていた。
「無事突破できたっぽい? 総統のおかげだね~ありがと」
「……いや、無事ではなくない!?」
車体ボコボコなんですけど! と数秒遅れて軽くつっこむ。マコは相変わらず楽しそうに「そうだねぇ」と聞いてるのか聞いてないのかいまいちわからない相槌を打った。
「魔法とか言ってたけど結局ごり押しじゃん!」
ハッとして振り返る。何かを轢き潰したような大量の灰色のシミとタイヤ跡。正門に群がっていた怪物たちは遠巻きにこちらを見ていた。襲ってくる様子はない。
そうしているうちに校舎の奥から何事かとこの学校の理事長代理、マコの<忠犬>が駆けつけてきた。
そしてこの惨状を見てがっくりと肩を落としながら深いため息を吐き、渋い顔でマコを見ながら「……若」と呟いた。
「やぁ、リグル! 来ちゃった!」
「『来ちゃった』じゃないですよもう。ただでさえ忙しいこの非常事態に何やってくれてんですか」
「ええっと、ごめんね? 連絡がつかなくって心配だったから」
「総統。まったく……」
リグルは苛立った様子で乱暴に頭を掻き、低い声で「……とりあえずこちらへ」と校舎の中に案内してくれた。
§
「うっわ懐かし……って何やってんの?」
「シャッターと昇降口のスプリンクラー」
彼女の問いにリグルはぶっきらぼうに答え、壁に取り付けられた機械――昇降口付近の防犯防災システムらしい――を操作する。ボソッと「修繕費……はぁ……」というボヤキが聞こえた気がした。
「何が起こった?」マコが簡潔に質問する。リグルが淡々と答える。
「この皆既日蝕が起こった直後、どこからかあの化け物が現れました。発生源および原因は不明です。避難する際に軽傷を負った生徒が十六名、教員が三名。死者はいません。校内にいた生徒は現在、すべて食堂に待機させています」
「ザクロは?」
総統がそう問いかけるとリグルは少し言いづらそうに口を開いた。
「……副総統と他二名は現在行方がわからなくなってる」
「えっ」
「――校舎裏に石碑があったのは覚えてるか? あれの様子を見に行くって出てったきり帰ってこない。気になって俺もさっき見に行ったが、そこには誰もいなかった」
「そんな……」
指先が急激に冷えていくのを感じた。まさか本当に怪奇現象に巻き込まれた?
うまく言葉が出ない彼女の代わりに今度はマコが口を開いた。あくまで軽い調子で。
「
人を喰う。その言葉に彼女の背筋はさらに凍りついた。
鏡石にザクロが食べられた……?
「ど、どうしよう、あたしが怪奇現象なら学校調べてみれば、とか勧めちゃったから……」
「総統、別にお前が悪いわけじゃ、」
「だいじょうぶだいじょうぶ~! そんなに深刻になる必要ないって!」
青ざめる彼女を気遣おうとしたリグルの声は、マコのそれに打ち消された。
後悔に押しつぶされそうになる彼女を落ち着かせるように、やさしく頭を撫でる。
「あいつは無事な姿で帰ってくるよ、絶対。僕が保証する」
「っ、どうして簡単にそんなこと言えるの」
「僕が<魔法使い>だからさ! 未来のことだってなんでもお見通し。なんてね」
彼の言葉は場にそぐわないほどリアリティに欠けるものだったが、不思議と心を落ち着かせる効果があるようだった。<魔法使い>の名は案外伊達ではないのかもしれない。
気力を取り戻してきた彼女は、皮肉のエッセンスを込めて言う。
「……魔法とか全然関係ないごり押しで学校入ってきたくせに」
「あはは、そうだっけ? まあでもきっと上手くいくよ。シエルちゃんも一緒なんだろうし」
そこでようやく、ザクロの同行者のことが気にかかってきた。
彼は本来、公務以外で他人と気軽に話すような人間ではない。そんな彼が仕事よりも優先して話を聞く人物。彼女は――シエルという少女は何者なのだろうか?
「シエルちゃんってどういう子なの? マコの知り合いなんだよね? あたしもザクロも昨日出会ったばかりなんだけど、普通の子とは違うっていうか……」
「彼女は神様の子どもだよ」
「神様の子ども?」
聞き返したその時だった。マコが悠然と、そしてリグルがただならぬ勢いと表情で廊下の奥を見た。
消火栓の赤いランプと、非常口を示す緑色の掲示灯が、一点透視法的に奥へと伸びている細長い廊下をぼんやりと照らしている。
そこに亀裂が走るのを見た。
数十メートル先。なにもない空間に裂け目ができ、それがゆらゆらと揺蕩っている。
それは人の背丈ほどの亀裂だった。薄闇の中でその一角だけ、ぼんやりとした鈍い色の光を放っていた。
三人と時空の切れ目は、しばしにらみあうかたちになった。
リグルが銃を構え一歩前に出る。反対にマコは総統の手を引いて一歩後ろに下がった。
その刹那、その亀裂を中心にして周囲の景色がひび割れた。
ついでもうもうたる濁った色の霧が染みだしてきて辺りを包み込む。
その霧にまぎれるようにして、何かが姿とあらわした。
「ひ……っ!?」
そう悲鳴をあげずにはいられなかった。
四つん這いで這い出して来る人のような影。だがそれは明らかに人ではない。
霧が流れて薄くなる。最初に見たのは巨大な爪。その鋭利なものの持ち主は皮膚を持たず、全身の筋肉が剥き出しになった怪物だった。脳髄が露出し、眼球はない。閉じることがない口からは不気味なうめき声が聞こえてくる。
「は、冗談だろ……」
リグルは笑ったが、それは強がりと困惑によるものだと見て取れた。
「話し合いでは帰ってくれそうにはないねぇ」
こんな時でもマコは冗談を言う。彼は懐から拳銃を取り出し、視線をその怪物に向けたまま彼女に言った。
「ねぇ、総統。さっき僕が言ったこと覚えてる?」
「え?」
「魔法の使い方」
そう言って穏やかにほほ笑むと、彼女を背にかばうように一歩進み出て怪物と対峙した。
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