4-4

 ヒツガイ秘書官。そう呼ばれた灰天使は愉快そうに手を叩いた。


「あっはっはバレちゃいましたか~」


 彼は効果音をつけるとするならば「にぱーっ」とかその辺の、人好きのする明るい笑顔を見せた。そして聞き覚えのある間延びした口調。


「……どうして……」


「『どうして』ですって? 副総統サマって案外大雑把なとこありますよねぇ。いったい何に対しての『どうして』?」


 灰天使はごく普通の人間と変わらない仕草で笑う。その当たり前さが逆に異様に思えた。


 ――薄々は勘付いていた。しかし、実際に答え合わせをしてみるとうまく言葉が出てこない。

 十年も共に過ごした、家族みたいに思っていた人間が、人間ではなかった。

 その事実はザクロに強い衝撃を与えた。驚愕の表情で灰天使を見上げる。


 反対にシエルは一切驚いた様子を見せることなく、毅然とした様子で静かに彼を見ていた。


「ブランネージュお嬢様……てか、シエルちゃんはあんまり驚いてくれないんすねぇ? ドッキリ大成功~! ってしようと思ってたのにざぁんねん」


「鏡石にあなただけ映ってなかった時点で怪しすぎるとは思ってたわ。ザクロから『ヒツガイさんはピンクのハムスターを飼ってる』って聞いた時にはもう確信してた。灰天使の正体はヒツガイだって。それって私が飼ってる神獣でしょ?」


「さっすがシエルちゃん大正解!」


 先程までとはまるで別人のような人懐っこい笑顔。危うく警戒心がとけそうになる。

 いけない。シエルは一歩ぶん後ろに下がり、彼を睨みつける。

 その顔を見て灰天使はさらに笑みを深めた。


「じゃあお話の続き、いきましょっか! ファンタジーにはもう慣れましたよねぇ、副総統サマ?」


 皮肉的な言い方でそう言うと、灰天使はザクロが呪いまほうと呼ぶ『世界の仕組み』というものについて話しはじめた。





「副総統サマのご推察通り、この世界はある一人の神によってつくられたもの」


 名を持たざる者ネームレスが存在する理由。それは、この世界をつくった神が管理できるだけの人間にしか名前が与えられないからだ、と彼は語る。


「逆に言えば、ネームレスは必然的に神の管理外。そーいう管理外ネームレスのを管理するのが守護天使ワタクシの役割」


「管理?」


「名を変えて、姿を変えて。世界の最もたる権力者に憑りつき操る〝見えざる支配者〟……俺の存在になんとなぁく気付いてたやつはそう呼んでるみたいっすねぇ」


「……要するに、君はネームレスを管理するために僕に憑りついてたってこと?」


 ザクロはとまどいを隠せない様子だった。

 人間だと思っていた。家族よりも家族だった。一番信頼できる部下だった。

 そう思っていたのは自分だけだったのかと思うと、自分の一部を構成していたものが打ち砕かれたような気がして。現実に感情が追いつかない。


「そぉんな顔しないでくださいよぅ。俺が副総統サマのそばにいたのは別に打算的な理由じゃないんで! ほんとほんと! んー、いや、ある意味打算的……? まあ、別の目的があるんです」


「別の目的?」


「端的に言えば『名前を呼んで欲しかった』――他でもないあなたに。わたしの運命に」


「運命? 何を言って――」


「んー、何から話すか……順を追ってご説明いたしましょうかね」



 そう言うと、灰天使は自分自身のことについて語りだした。

 それは灰天使が『存在しない』ということの意味だった。





「『名を呼ばれたい』――そう強く願ったことが、すべての始まりでした」



 灰天使は神の代行としてつくられたはじめての生命だった。

 神ほど全能というわけではなかったが、それとほぼ変わらないほどの万能さを有していた。

 ひとの心を操ること。現実を変質させること。生命をつくりだすこと。そして、

 彼は姿かたちを変えながら、人知れず神の代わりに世界を管理していた。


 しかし彼は気付いてしまった。

 何にでもなれる。それは、裏を返せばということになるのではないだろうか、と。


無彩色はいいろわたしは個性という名のを欲した。誰かになったわたしではなく、わたしを誰かに見てほしかった。……わたしの名を、誰かに呼んでほしかった。わたしの名を呼んでくれる者は、つくりだされてから今まで誰一人としていなかった」


「今までで一人も?」


 灰天使は無言で、悲しげにうなずいた。


「ワタクシは世界の管理者であって世界の登場人物ではありませんからねぇ。櫃番ヒツガイとおるのような〝誰かになったわたし〟ならともかく、〝誰でもない天使カイ〟はには認識されないみたいっすから。なんなら人間どころかシエルちゃんさえ俺のこと見えてなかったっぽいですし?」


「フツーの人間には認識されない、ということはあなたを認識する普通じゃない人間がいるということかしら?」


 シエルはそう言いながらザクロを一瞥した。『普通じゃない人間』というのはザクロなのだろう、と彼女の中で推測されているようだった。




 灰天使は穏やかに目を細めると、今度は彼がザクロに出会ったときのことを話しはじめた。


「二十五年前。あるじ様は俺に、ある子どもを抹殺するように命じられました。まあいわゆるデバッグってやつ? この世界はとぉっても広いのでぇ、たまーにあるじ様の意図しないところでバグが発生すんすよねぇ」


 守護天使、とはいうものの彼は人間の守護者ではなくあくまで世界の守護者。神の代行。それゆえ必ずしも人間の味方というわけではない。


 神の意図しない性質を持つ人間バグを処分する。それは彼にとってなんということもない、よくある仕事の一つだった。たとえそれが子どもであっても、彼は容赦するつもりも、する理由もなかった。


 それはある冬の、雪の降る日。エルデ都心のとある病院で大きな騒動が起こっていた。

 子どもが生まれる。

 別にそれ自体は珍しいことではない。だが冬、というのが問題だった。この世界では通常、子どもは。それが世界のことわりであり、人々も当然のごとくその原理を受け入れていた。


「秋にしか誕生しない理由はあれっすね。さっきも言ったけどあるじ様が管理しやすいようにってこと」


 院内に侵入するのは簡単だった。灰色の色のない彼は誰にも気づかれることなく新生児室に忍び込めた。あとは首をへし折るだけ。原始的? それを言っちゃあいけない。天使は人間を呪い殺すなんて悪魔の所業は行えない。


 幼児の首に手をかける。やわらかい首。抵抗は一切ない。


「その時ふと気付いたんすよね。あれ、この子ども俺のこと認識してんじゃね? って」


 目が合った、気がした。柘榴ザクロ色の赤い瞳。

 顔の前で手を振ると、その柘榴色が追いかけてきた。


 ――見えている。確実に。この子どもはわたしを認識している。


 ――この子どもならわたしの名を呼んでくれる。この運命を逃す手はない。


「で、結局殺さずに帰った俺は、あるじ様に懇願してその子どもに名前を授けていただいたんす。その子の名前は来栖くるす雀榴ザクロ――シエルちゃんお察しの通り副総統サマっすね!」


 さすがシエルちゃんかしこい! と人好きのする笑顔で拍手を送る。

 そしてゆっくりと、子どもに言い聞かせるような優しい口調で言葉を放つ。


「それから二十五年。今の今までずぅーっと、わたしの名を呼んでいただくためにあなたのそばに居続けた。機をうかがい、そしてようやくあなたをわたしの中へと閉じ込めた」


「――――――――――!」


 二人の背筋に冷たいものが走った。狂気を孕んだ視線。本能がこれ以上ここにいては危険だと告げる。しかし、見えない糸に絡めとられてしまったかのように体を動かすことができない。あまりのプレッシャーに呼吸すらはばかられるような錯覚を覚えた。


「君の名を呼んだら元の世界に帰してくれる、なんてことは……」


「もちろん帰すつもりはございませぇん。やっと手に入れた運命ですもの!」


 にこにこと笑う灰天使。その目の奥はくらい。

 ザクロはうまく言葉が出てこず、ただ現実を受け入れたくないというように首を振ることしかできなかった。


「ザクロに名前を呼んでほしいっていうあなたの目的はわかったわ」


 混乱するザクロの代わりにシエルが言葉を発する。


「でも灰天使の護石この空間はあなたの魂の結晶なんでしょう? 何者かによって壊されていたわ。こんなところでのんびりしてていいのかしら?」


「それについては何の問題もありません。護石を叩き壊したのは他でもないわたしですから」


「自分で壊したって言うの? あなたの魂なんでしょう? 名前を呼んでもらうためだけにそんなことを?」


「死ぬほど痛かったけど、死ぬほどじゃない。むしろわたしにとっては死ぬことのほうがですよ。それだけ名を呼ばれることを切望していた。この程度で副総統サマの気が引けるなら安いもんです」


 神が護石を直すようシエルに依頼したのも、彼女がザクロをここに連れてくることも、すべて彼の目論見らしい。

 してやられた、とシエルは顔を歪めた。


「心配しなくてもシエルちゃんは帰してあげますよぅ。副総統サマをここに連れてきてもらうために呼んだだけですもの」


「っ、僕も帰りますよ!」ザクロは何とか気力を振り絞って叫んだ。


「なんで? ここは仕事もない、アンタの苦手なネームレスもいない。不自由はさせません。アンタは俺の名を呼んでくれるだけでいいのに」


 ザクロの拒絶に対し、心底不思議そうな顔の灰天使だったが、ハッと思いついたように顔を上げる。


「ああ、そうか。が邪魔してんのか」


 そういうやいなや、彼は部屋の中央につくりつけられた石組みの水盤に近づいた。


「これは異界への出入り口。世界を見通す窓……」


 その浅い池の外周を囲う腰ほどの高さのあるふちが、青灰色の金属の板で覆われていた。それが水盤をちょうど一周している。夜空のように全体に星々が刻まれていた。

 それはダイヤルのように回転するらしかった。彼は夜空のダイヤルに指を置き、反時計回りに水盤の周りを歩いた。ダイヤルは音もなく滑り、彼の手についていく。


「あ……見ぃつけた」


 灰天使がそう呟いたのと同時に、たたえられていた水が鈍い光を発する。

 光がおさまると水面はみるみる濁り、空中から地上を見下ろすスクリーンとなった。

 そこには桜花高校の校舎が映っていた。





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