4-3
「――で? 『ザクロの調べてる怪奇現象は子ども騙しじゃない』っていったいどういうことよ」
電話を切ってから数十分後。
「そのままの意味さ」
マコは前を向いたまま、彼女とは正反対の穏やかな口調で答える。
「でも〝怪奇現象〟じゃちょっとロマンに欠けるかな。魔法、物語、うーん……」
「いやいや、どう言い換えたって変わんないから……あたしにもわかるように説明してよ」
「そうだ。総統にひとつ、面白い話をしてあげよう!」
「人の話を聞きなさいよ、もう!」
――マコがマイペースに語り始めたのは〝見えざる支配者〟というものについてだった。
それは姿かたちを変えながら、その時代ごとの最もたる権力者に憑りつき世界を裏から支配するのだという。
「さすがに作り話だよね……? そんな
「事実は小説よりも奇なりってね。信じるか信じないかは総統に任せるよ」
「……だってあたしの周りにはそんな怪しい奴、」
「『最もたる権力者』がイコール総統だとは限らないさ。現に今のエルデ政府を動かしている中心はザクロだし、それにあいつが政界入りする前は――
ザクロが政界入りしてからはその繋がりはいくぶん希薄なものになったが、彼が総統になるより前はエルデ政府と暴力団咲良組の癒着はかなり強固なものだった。
むしろ癒着という言葉すら生温く、政府が咲良組に対してほとんど言いなりになっていた、というのが正しい。
それまでの『最もたる権力者』は実質、エルデ政府総統ではなく咲良組組長だったのだ。
「……まだ僕が小さいころ、組長さん――僕の父親のそばには相談役、という役職の人物がいてね。名前はなんだったかな。まあとにかく、普通の人間とは違う感じがして僕はそいつのことがあんまり好きじゃなかった」
「その相談役ってやつが……」
「そう。〝見えざる支配者〟ってやつさ。実際、組長さんは彼を妄信って言ってもいいくらい信頼してたみたいだし。しかも驚くべきことに、先代や先々代の組長と相談役も同じような関係性だったらしい。気付かないうちに憑りつかれていたのさ」
「そいつは今どうしてるの? 小さいころってことは今はもういないんだよね」
彼女は息をのんで尋ねる。勿体つけるように少し間をおいてから、マコは口を開いた。
「右目が赤くなったんだ」
「右目が赤くなった?」
「ザクロの右目を抉ったのは僕だって話はしたことあったよね」
「う、うん」
「あれはちょうど二十年前。僕が六歳だったころだ。相談役と出かけていた僕は偶然ザクロを見つけた。その時――内容は覚えてないんだけど、彼に何かを囁かれたんだ。するとどうしてだか僕はザクロのあの赤い目が欲しくて欲しくて仕方なくなった」
「……!」
サラリと吐かれる過去の出来事。その異常性に総統は背筋を凍らせた。
「で、ザクロの右目を抉り取った僕は、家に帰った後もそれを眺めてたんだ。宝石みたいできれいだーって。でも翌朝目を覚ますとなくなってた」
「……そ、れは、見つかったの?」
「今の今まで見つかってないよ。でも明らかに変わったことがあった。――ザクロの右目をなくしたその日から、相談役の右の瞳が赤くなっていたんだ。それまでは両目とも灰色の瞳をしていたのに」
「――――っ! それって、つまり……」
相談役は自らの右目にザクロのものを入れ込んだ?
その推測は催した吐き気によって口から出ることを阻まれた。
マコは前を向いたまま片手だけハンドルから手を放し、彼女の肩をなでた。
「あくまで推測だけどね。そうする理由もわからないし。――彼はそのあと『ここでやるべきことが終わったので』ってどこかに姿を消したよ」
「……」
言葉も出なかった。話を聞いた彼女は顔面を蒼白にし、口元を覆ってうつむく。
そもそも目を抉るという行為がすでに常軌を逸しているが、その原因はマコがその相談役に何か洗脳めいたことをされたことで。
推測とはいえザクロの眼球を手にした直後に『やるべきことが終わった』と言って姿を消したということは、そいつは前から彼を狙ってた?
考えがぐるぐる回ってまとまらない。耳鳴りが痛い。
そんな彼女にマコは追い打ちをかけるように言葉を続けた。
「そういえばさ……ザクロの秘書の彼。彼も右目が赤かったよね」
「! ヒツガイさん!」
彼の右目はザクロとよく似た赤色をしている。そして本来なるはずだった
――まさか、彼が〝見えざる支配者〟……?
彼を疑ったことなんて今まで一度もなかった。考えすぎだろうか。けど、もしそうだとしたら……。
目的はわからないけど、いや、わからないからこそ、ザクロが彼と一緒にいるのは危険だ。
「マコ、早く学校に――!」
「ナイスタイミング。ちょうど着いたところさ。……簡単には入れてくれなさそうだけど」
音を立てず停止する車。マコのほうに目をやると、前方を凝視しながら悪役じみた笑顔を向けていた。その視線の先を追うと――
「!?」
カラスの大群が、ひしめくように学校の塀に留まっている。
――いや、違う。なに、この化け物……!
塀に留まっていたのは頭がやたら大きい、鋭いかぎ爪を持った有翼生物。それが一斉にこっちを見た。思わず悲鳴をあげてしまう。
「だーいじょぶだいじょうぶ。怖がらないで、僕がついてるから。そうだ、総統にとっておきの魔法を教えてあげよう。ってこのやりとり二回目だっけ?」
「ふ、ふざけてる場合じゃないでしょ……!」
「ふざけてなんかないさ。総統、とにかく落ち着いて。そしてよく聞いて。――強く願ったことは現実になる。この世界はどうやらそうなっているらしい。言霊ってあるでしょ? 想う力は案外馬鹿にできないものだよ」
嘘みたいな話。手放しで信じることなんてできそうにない内容だったが、彼が嘘をついているようにも見えなかった。
塀に留まる怪物にもう一度目をやる。襲ってくる様子はないが、その外見のいびつさはまるでこの世界は誰かの作ったファンタジー小説の中なんじゃないかと思ってしまいそうになるくらい現実離れしていた。
彼女は前を向いたまま呟くように言う。
「……具体的にはどうすればいいの?」
「珍しい。信じてくれるんだ?」
「信じるも信じないもないよ。ザクロが危ないかもしれないんだもん。学校の中にはもっとヤバい怪物がいるかもしれない。早く助けてあげなきゃ。そのためなら魔法にだってすがりたい」
マコの口から出たありえない話と、目の前にいるありえない生き物。
ありえないことだらけで取り乱しそうになった心を、
「やっぱり妬けるね」と小さくつぶやいた彼の声は、彼女には聞こえなかったようだ。
「……会いたい人を思い浮かべて。それが魔法の使い方。ね、簡単でしょ?」
「……会いたい人……」
目を閉じる。思い浮かべるのはもちろん――
「――ザクロ」
次の瞬間、ガクンッと強い振動と大きなアクセル音とともに車が前進した。
さらに次の瞬間、翼が大気を叩く音が辺りに充満した。
「えっ何!? きゃあ!」
目を開くと、開け放たれた正門が猛スピードで近づいてくるのがわかった。
重力が身体を強く背もたれに押しつける。タイヤが地面を噛む音が耳を
「そうと決まれば強行突破! 総統、ついでに僕たちが無事ここ突破できますようにって願ってくれたら嬉しいな~!」
「ちょぉぉおおおい! 強行突破って! なにそのゴリ押し! 魔法は!? さっきまでのファンタジーは!?」
「あっははは~」
彼女の言葉もどこ吹く風、マコは涼やかに笑い声をあげる。
翼の生えた怪物が正門の一角に集結してきた。飛び回る怪物の群れがぶ厚い壁となってゆく手を阻もうとしている。もはやそれはひとかたまりの闇の渦のようだった。
「――~~ぶっ無事に突破できますようにぃっっっ!」
彼女がそう叫んだのと、車が
§
静寂を破ったのは玉座に座す灰色の天使だった。
彼はおもむろに立ち上がると、伸びをするように翼を広げゆっくりとお辞儀をする。
「ようこそ。お待ちしておりました」
それは明らかにザクロただ一人だけに向けられた言葉だった。
シエルはスカートの下に忍ばせた
「あなたは、誰?」
シエルは天使にそう尋ねた。
天使はやれやれといった風に首を左右に振り、小さな子どもをたしなめるような口調で言った。
「いけません、ブランネージュお嬢様。
目を細め、クックッと喉で笑う。対照的に、シエルの大きな目はさらに見開かれた。
決して隠しているわけではない。けれど、名乗るときにはめったに使わない
やっぱりこの天使は私を知っているらしい。
私は今はじめて出会ったはずなのに。
「あなた本当に――、え?」
もう一度彼が何者かを問おうとしたとき、シエルは思わず間の抜けた声を出してしまった。
さっきまで目の前にいた天使を見失った。一瞬たりとも目を離してなどいないのに、どうして……。
その疑問が浮かぶよりも先に背後から声が上がった。
「うわっ!?」
「! ザクロ!?」
反射的に振り返る。そこにはザクロと――たった今見失ったかと思われた灰天使が彼の目の前まで接近していた。
「なんで」そんな言葉よりも先に、灰天使はザクロのそれと同じ色をした赤い目をにこやかに細め、彼の手を優しく包み込むように両手で握る。
ザクロは鋭く彼を睨んだ。
「なん、の、つもりだ……っ」
「待っていたと言ったではありませんか! ――ようやく我が運命を手に入れられる。逃がしはしない……絶対に」
ゾク、と背筋が凍った。危険を感じ振りほどこうと腕に力を込める。しかし、あくまでも優しく握られているのにもかかわらずその手はピクリとも動かなかった。
「無駄な抵抗を――、!」
灰天使が新たに発しようとする言葉を、首筋に当てられた冷たい鋭利な感覚が遮った。灰天使は煩わしそうにため息を吐く。そして、
「……お嬢様」
視線を背後に立つシエルに向ける。彼女の手に握られたナイフは灰天使の首をとらえていた。煩わしそうではあるが、その表情は一切の焦りも恐怖もうかがえない。
ナイフより鋭い、それだけで相手を刺し殺せそうなシエルの視線。彼女は低く尖った声で灰天使に強く命じた。
「もう一度
「…………」
目を細める。瞬間、灰天使はまたしても姿を消した。
彼の手を振りほどこうと腕に込めた力が行き場を失いよろけるザクロ。シエルは駆け寄り彼の身体を支えると周囲を見回した。
大気を叩く音が聞こえる。
――上空!
シエルは上方に視線を移す。見上げざまにナイフの一本を投げた。
「はあ、煩わしい」
灰天使は二本の指であたかも容易にそれを受け止めると、うんざりとした表情で彼女の顔面めがけて投げ返した。
「――っ!」
なんとか回避する。髪の数本に掠り、黄昏色がはらりと落ちる。
――この天使、躊躇なく私を攻撃してきた!
正直、相手が天使なら自分は絶対に安全だと思っていた。だって天使ってそういうものだと思っていたから。
だがその安全性が否定された今、シエルの目には
そんなシエルをあざ笑うかのように天使は喉を鳴らして彼女を見下ろしていた。そしてゆっくりと、興味なさげに話しはじめる。
「質問に答えて差し上げましょう。ほかならぬ
「あるじさま?」
「ええ。――
「私、あなたみたいな天使見たことないわ」
「でしょうね。
「存在してない?」
意味が分からない、といった風にシエルはカイと名乗った天使を見上げる。
「『この世界は誰かのつくりもの』」
「!」
それはシエルと出会った日、ザクロが口にしていた言葉。
なぜこの天使が知っているのか。その疑問と、灰天使を見たときに感じた既視感。そして灰天使はザクロのよく知る人物、という彼女の推測。
パズルのピースが上手くはまったように――ほぼ確信めいた予想が、ザクロの脳裏をよぎった。
しかし感情として受け入れがたい。予想を否定するように首を横に振る彼をよそに、灰天使は淡々と語りはじめた。
「そう、
「それは、どういう……」
「聞かせて差し上げましょう。世界の仕組みを。エルデにかけられた
「――、その呼び方。やっぱり、あなただったんですね、ヒツガイ秘書官」
灰天使は再び目元だけで笑った。
しかしそれは出会ったときのような艶然としたものではなく、愛嬌のある――見慣れた部下の笑い方だった。
予想が確信に変わり、ザクロは猛烈な悪寒に襲われた。
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