最終話 空色少女と灰天使

4-1

 鈍い光の中を通り抜けていた。校舎から見たあの光と同じものだろうか。

 落下しているのか上昇しているのかわからない、不思議な感覚。その感覚に身をゆだねていると突然、重力がザクロの身体を支配した。立ち眩みのような感覚。思わず膝をついてしまう。


「……ここは……」


 そこは彼の職場、見慣れた公邸こうていだった。――少し見た限りでは。

 だが明らかに違う点がある。長く続く廊下に終わりがないのだ。行く手にも背後にも際限なく廊下とそれに並ぶ扉が続いているのみ。つきあたりの壁も、あるべき階段もなかった。当然、人の姿もない。


 まるで合わせ鏡に生じた無限回廊。消失点までずっと続く無限の廊下にザクロとシエルは迷い込んでしまったようだった。


「なんだよ、これ……」


 率直な感想を漏らす。シエルはというと静かに二つの消失点を見比べていた。

 ザクロはハッとして周囲を見回す。


「……ヒツガイさんがいない」


 ザクロの顔は目に見えて青白くなった。赤い瞳が動揺に揺れる。


「ああ、どうしよう、ヒツガイさんはあの灰色の天使が見えてないみたいだったし、もしあいつに襲われでもしてたら……!」


「落ち着きなさい。まだ彼がどうなっているかわからないわ」


 シエルの落ち着いた声に、ザクロはいくぶん冷静さを取り戻すことができた。ゆっくりと息を吐く。


「そう、だね……ありがとうシエル。とりあえずここから抜け出す方法を考えなきゃ」


「廊下が続いてるみたいだし、少し歩いてみない? どっちに進もうかしら」


「進行方向に進もう。逆走ってなんか負けた気がするし」


 いたって真面目な様子での提案だったが、それを聞いたシエルは思わず吹き出した。


「ふふっ、あなたって意外と子どもっぽいわよね」


「え、僕何か変なこと言った?」


「こんな状況で勝ち負けなんて考える? 、ね」


「う、」


 つい数分前ヒツガイが彼に言ったのと同じセリフを、同じ口調でからかうようにシエルは言った。


「と、とにかく! 遊んでる暇はないんだ、行こう」


 無理やり会話を終わらせるザクロ。シエルはさらに愉快そうに笑った。

 そして二人はこの空間に来た時に向いていた方向を前と定めると、そちらに向かって歩き出した。


「…………」

 

「…………」


 無言で歩いていく。大理石の床が乗せた絨毯は二人ぶんの足音をいくらか消し、静かな音がリズミカルに連なっていく。単調な廊下が続き、側面には同じ顔をした扉が整然と並んでいた。


「ここ、どこなんだろ」


 沈黙を嫌ったザクロが口を開いた。


「さあ……適当に部屋に入ってみる?」


「いや、やめておくよ。何が起こるかわからないし」


 再び沈黙が訪れる。いつもは総統やヒツガイ秘書官が喋ってるから沈黙なんてあんまり気にしたことないけど、こんな時何を話せばいいんだろう、とザクロは心の中で気の利いた言葉を探しはじめた。

 すると今度はシエルが口を開く。


「……ヒツガイとは知り合ってどれくらい経つの?」


「ヒツガイ秘書官? 彼との付き合いはたしかもう十年になるかなぁ。どうして?」


「ううん、気になっただけ。総統さんよりも長い付き合いなのね。彼ってあなたから見てどんな人物なのかしら?」


「そうだな……本人には言わないけど、すごく頼りになる人だと思ってるよ。ノリが軽いように見えるけど結構世話好きでさ。な僕はいつも助けられてばかりだ」


 ザクロは先ほどシエルがそうしたように、ヒツガイの言葉を真似る。


「それにもうかなり長い間一緒にいるからね。家族よりもずっと家族って感じ」


「ふぅん……?」


 その時、単調に続くだけだった大理石の壁にあやしいきらめきが走ったのをシエルは見た。

 ザクロは気付かず話を続ける。


「――でもそういえば個人的なことはよく知らないな。ピンク色のハムスターを飼ってるって聞いたことがあるけど」


「……ピンク色のハムスター?」


「うん。なんて品種かは教えてくれなかったけど。シエルは知ってる? ピンクのハムスターなんて聞いたことないや」


「偶然ね。、ピンクのハムスター」


「へぇ、じゃあ案外珍しくない品種なのかな……って、え?」


「この騒動の元凶が、誰なのかわかった気がするわ」




 シエルがそう言った瞬間、突如として空間に変化が起こった。




§



 ――エルデ政府公邸。

 世界の統治者たる総統かのじょは受話器を耳に当てたまま、険しい表情で溜息を吐いた。


 ツー、ツー、ツー……


 何度リダイヤルしても帰ってくるのは無機質な電子音。

 ザクロが桜花おうか高校に行ってから結構経つのに連絡がない。


「もう、なんで出ないのよ……」


 つい数時間前に発生した常識ではありえない突然の日蝕。これは異常事態だ。

 即座に非常宣言を出し、警察には情報収集と、街での暴動やパニックに備えて準備をするように指示。

 住民には、危険はないが今は外出を控えるように呼びかけた。今のところ、ライフラインが無事なこともあってかまだ大きな混乱は起こっていない。


 でもそれも時間の問題。


 日常から離れた事態に陥ると、人間は多かれ少なかれ興奮しているもの。その興奮が騒動の引き金になるかもしれない。今はまだいいけど、この事態が長く続けば住民たちの心に恐怖が芽生えはじめる。


 そうなったら無力な自分じゃどうすることもできない。

 実質的に政府を、この世界を動かしているのはザクロだから。


 次にどう動けばいいのか相談したくて電話をかけてみたが――連絡が付かない。


「何かあったのかな……」


 怪奇現象について調べてみるって言ってたけど、この意味不明な日蝕。まさか本当に変なことに巻き込まれてたりして……。

 ゾッとして思わず身震いする。


 その時、手の中の携帯端末が震え、誰かからの着信を知らせた。


「っザクロ!?」


 あわててディスプレイを見る。そこに表示されていたのはザクロ――







 ――ではなく『咲良さくら真虎マコ』の文字だった。



 

 マコ――政府と裏で手を結んでるヤクザ組織、その若頭。

 ザクロが<魔法使い>と呼ぶ人物であり、彼女を総統の席につかせた男だ。


 総統は受話器に耳を当てる。聞こえてきたのはザクロよりも数段甘ったるくて頭が溶けそうになるまほうだった。


『総統~ねぇ今ひま?』


「『もしもし』くらいつけなさいよね、マコ。てか、空見えてないわけ? いきなり意味わかんない日蝕でこっちは大混乱。暇なわけないでしょ」


『あはは、総統大変そ~。まあザクロが何とかするでしょ。でさ、リグルと連絡が付かないんだけど何か知ってる?』


「え、マコも?」


『〝も〟? 何かあったの?』


「うん。実は桜花高校に行ったザクロと連絡が付かなくって」


『んー? どうしてあいつが桜花うちに?』


「怪奇現象を調べてる女の子に協力するって」


『怪奇現象? あいつは仕事より遊びを優先するやつだっけ~? 総統もよくそんなの許可したね?』


「怪奇現象の調査、なんて本気で信じてるわけじゃないよ。たぶん他に目的があって――でもあたしに言ったら心配かけるようなことだから、本当のことは言ってくれなかったんだと思う」


『ずいぶん信頼してるんだね~』


「だてに九年も一緒にいないって。話したときすっごい動揺してたし。嘘下手なのよね、あいつ」


『えーなにそのわかり合ってる感。妬けちゃう~』


「もう、すぐそういうこと言うんだから。ザクロとは正反対」


『あはは、嘘じゃないのにー』


 本気か嘘かわからない絶妙なニュアンス。マコはそういう男なのだ。


『そういえば、ザクロが協力してるっていうその女の子ってどういう子なの?』


「昨日はじめて会ったシエルちゃんって子だよ」


『シエルちゃん?』


 なるほど、と合点がいったようにマコはつぶやいた。


「え、マコの知り合い?」


『うん。……ねぇ、総統。ザクロが調べてるっていう怪奇現象、たぶん子ども騙しなんかじゃない』


「どういうこと?」


 彼の声色が新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに跳ねる。


『見に行ってみようよ! この日蝕の原因もわかるかもしれないよ』


「今から? でも仕事が」


『総統にとっておきの魔法を教えてあげよう。〝上手に仕事を丸投げするための部下の口説き方〟』


「えぇ……」


『だいじょうぶだいじょうぶ~。意外と何とかなるもんだよ、僕がこう言ってるんだから』


「その自信どっからくるのよ」


『僕は神様に愛されてるからね~』


「うわ出た、マコの脳内お花畑発言」


のさ。この世界には魔法がかけられているんだもの』


「わけわかんないし……」




 そのあといくつか言葉を交わし、<魔法使い>に言いくるめられた総統は、桜花高校に向かうことになった。


『ザクロが調べてるっていう怪奇現象、たぶん子ども騙しなんかじゃない』


 彼の言葉に胸がざわつく。ザクロは今頃どうしているんだろう? 彼女は自分を落ち着かせるように深く息を吐いた。


「ザクロ、」

 早く無事な顔を見て、また――







 ――あなたの名を、呼びたい。





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