3-4


 真夜中のような暗い廊下に、ヒツガイの持つペンライトの光がゆらゆらと揺れている。


「準備がいいのね」というシエルに「副総統サマの秘書官ですもの~ポケットくらい四次元でなくっちゃ!」と茶目っ気のあるウインクとともに答える。緊張感に欠けるその喋り方はこの状況ではむしろ気持ちを安定させる効果があった。

 廊下はがらんとしていて聞こえるのは自分たちの足音のみ。人間はおろか怪物の気配すら感じない。


「あっはっはー宝探しゲームのつもりがとんでもないことになりましたねぇ」


「笑い事じゃありませんけどね。帰ったら今後の予定も調整しなきゃ」


 参ったな、と頭を掻くザクロにヒツガイは皮肉を投げかける。


「帰れる前提なのさすが副総統サマって感じっすねー。どうします? 次はさっきみたいなちっせえのじゃなくってドラゴンみたいなでっけぇバケモンに襲われたら」


「ああ、そうか」ザクロは懐から銃を取り出し、少しだけ眉間にしわを寄せて弾倉だんそうを取り換えた。「帰れない可能性もあるのか」

 そう呟きながら思い浮かべるのはいまだ名を呼べない友人の顔。総統を連れてこなくてよかったなぁという気持ちと、こんなかたちでお別れになるのは心残りだという気持ちが混ざり合う。


「対処できそうにない怪物に襲われたら、その時は――」


 ヒツガイを見る。彼もザクロを見た。


「その時は全力で逃げましょう。こんなところで死ぬわけにはいかない」


「逃げられない状況なら? たとえばどこかに閉じ込められたり」


「すでに学校に閉じ込められてますけどね。……まあ、解決策はその時考えます。まだ起こってないことを心配してもしかたないですし」


「ちゃあんと今のうちに対策練ったほうがいいと思いますけどねぇ。この先何が起こっても不思議じゃ――、……!」


 その時急にヒツガイがペンライトの明かりを消した。ザクロが何か言おうとしたが、身振りでそれを制す。

 窓辺に寄り、そっと外を凝視する。





 鈍い光のようなものがあった。

 窓によって外を見てみると、それは校舎裏――鏡石がある辺りから発せられているようだった。いつの間にか近くまで来ていたようだ。


 ヒツガイは無言でザクロに目をやる。


「行こう」


 ザクロが小声で言うと、二人は静かにうなずきその場へ急いだ。




§





 校舎の外へ出る前に周囲の様子をうかがう。あれだけ騒がしくしていた怪物たちは一切襲ってくる気配がない。

 やはりこの学校と外界の遮断を目的としているのだろうか。だとしたらいったい何のために?


 校舎裏へ出るガラス戸を開け、素早く飛び出し、閉めなおす。

 やはり怪物たちは襲ってこない。


「不気味だな」


 ザクロは飾り気のない率直な感想とともに顔をしかめる。石碑のところまで警戒しながら歩いていくと、先ほどまであった鈍い光が消えてなくなっていた。


「誰かいるのか?」


 誰も答えない。ザクロの声が余韻だけを残してたゆたう。そこにあるのは割れた石碑だけだった。


鏡石かがみいし――たしか……〝人を喰う〟って噂があるってここの生徒たちが言ってましたっけ?」


 ヒツガイが声を低くして言う。迷信でしょ、と言おうとしたザクロの口が止まった。先ほどヒツガイが言いかけたように、もはやこの状況では何が起きても不思議じゃない。


「今のこの状況が 神 おとうさまの言う〝災厄〟だとすれば、この石を修復したら解決するのだろうけど」


 シエルが石碑を見ながら言う。


「問題はどう直すかだよね。くっつければいいってもんじゃないだろうし」


 石碑の前に進み出る。

 鏡石、と呼ばれるだけあってその石碑は鏡のような表面をしていた。ぼんやりとしたペンライトの明かりに照らされた自分の姿が映っている。薄明りで見る鏡というのは――正確には鏡ではないが――どうしてこんなにも気味が悪いのだろうか。

 シエルもザクロの隣に並んで石碑を見る。そしてその途端、彼女は鋭く警告した。


「!? ねえ、見て!」


 石碑の中にシエルとザクロがいる。その背後には反対側の校舎の壁が見える。だが、姿。その代わりにこちらに向かってゆらり、ゆらりと歩いてくる灰色の人影のようなものが見えた。

 背後にそっと、忍び寄ってくるように。


 二人は同時に振り返った。だが、背後にその不可解な人影は見えない。

 ヒツガイが怪訝そうな顔で「え、どうしたんすか……?」と眉をひそめている。それ以外に人の気配はない。


 再び石碑を見た。石碑の中では重たそうな鉛色をしたもやをまとわりつかせた人影が、ゆっくりと彼らの背中に向かって歩み寄ってくる。




 石碑の中から、何かがやってくる。



 歩み寄ってくるそれは、人のかたちをしていたが明らかに人間ではないことが見て取れた。

 白と黒が均等に混ざり合った色をしている。その姿は曇りの日の影のようにぼんやりと滲んでいたが、背中に何か大きな――鳥の翼のようなものが生えているのがわかった。



 ――灰天使……!



 直感的にそう思った。ザクロははじかれるように再び振り返る。しかしそこには校舎の壁と、不安そうに自分を見る部下の姿があるだけだった。それ以外には何も聞こえず何も見当たらない。それがかえって恐ろしかった。石碑を背にしていると、まるで背中に忍び寄られているような感覚。

 シエルはというと、彼女はピクリとも動かず石碑の中の少しずつ大きくなっていく灰色の影を凝視している。


 パキ、と枝を踏むような音が響く。それが背後からの音なのか前からの音なのか聞き分けられるほどの冷静さは彼にはなかった。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなるのを感じる。


 ザクロはまた身をひるがえし、石碑と対面した。鏡の中の影はついに二人の真後ろまでやってきていた。

 影は二人の背後にぴったりとついて、静かにたたずんでいる。


 首筋に息がかかる錯覚を感じた。





 ――誰かが、いる。僕たちの、すぐ後ろに……。





「……ヒツガイさん、逃げ――」


 部下に警告するため振り返ろうとした、その時。石碑の中の影が動いた。両手を突き出しザクロとシエルを突き飛ばしたのだ。すさまじい力が二人の背後を襲った。


 石碑にぶつかる――――――!


 しかし、予想した衝撃が彼らを襲うことはなかった。代わりに感じたのは水あめの中に体が沈んでいくような鈍いぬめり。鈍重な吸引力を全身に感じた。


 ――石碑に吸い込まれている!?


 そう悟ったときには二人の身体はすべて呑まれていた。石碑には波紋が生じ、二人の身体は水中に沈むように消えていった。


 辺りは再び静寂に包まれる。

 そこに残されたのはヒツガイと、相変わらず石碑の中でたたずむ灰色の影。彼は少しも取り乱すことなく、やれやれ、といった様子で呟いた。


「だーから言ったのに。『今のうちに対策練ったほうがいい』って」


 石碑に手を伸ばす。再び波紋が起こった。ずぷ、と音を立て体ごと中に沈み込ませる。たたずんでいた影が彼の身体にまとわりつく。いつしか男と影は同化し、そこには使


「でもその詰めの甘さのおかげでアンタを俺の――、いや、わたしの中に閉じ込められた」


 歓喜するように灰色の翼をはためかせた。

 目を細め、粘ついた笑みを浮かべた。熱い息が吐かれる。

 灰天使は石碑の奥へと姿を消した。







 今度こそ、そこは静寂に包まれた。





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