3-3

 ――どこなのかはっきりしない、広く薄暗い空間があった。

 光はどこにも存在せず、かといって闇に支配されているとは到底言い難い程度には仄明るい、石造りの広間。その中央には巨大な水盤がつくりつけられている。


 水盤を眺めるこの部屋の主は、邪悪じみた笑みを浮かべながらの翼をはためかせた。


「……我が運命、ようやくこの手に……」


 視線の先には水盤にうつる二人の男女――シエルとザクロがいた。


「あとは、わたしの名を呼んでいただくのみ」


 絶対に逃がさない、と呟いた。

 その声は、誰にも届くことなく響いて消えた。




§




 二人は理事長室前でヒツガイと合流した。

 ザクロの顔を見た彼はほっとした様子で駆け寄る。


「副総統サマ! お怪我はありませんか!?」


「問題ありません。――それより状況報告をお願いします」


 極限まで無駄を省いた返答。その素っ気ない言葉に「心配してたんすからねっ」とわざとらしく口をとがらせつつも、いつもと変わりない上司ザクロの様子に彼は小さく笑った。そして声を落として言う。


「生徒さんたちは冷房設備とか広さとかその辺イイカンジってことで、とりま食堂に避難させました。あとの対応はリグルワンころやこの学校の先生方にお願いしてます。電話は本格的に通じないみたいっすね。職員室のも事務室のもだめだったし、ワタクシが非常用に持ち歩いてる衛星電話もだめ。何人かに試してもらったけど携帯端末も通じなかったし火災報知機も鳴りませんっした」


「外から助けは呼べないということね」


 シエルがそう言うと「それもあるけど」とザクロが別のことを指摘した。


「外部の人間に『危ないから来るな』って連絡できないことのほうが問題だよ。電話がつながらなきゃ当然、心配した生徒の親御さんやなんかが見に来るだろうし。一般人があんな怪物に襲われでもしたら……」


「――それに副総統サマがここにいる以上、政府うちの人間だって駆けつけてくる可能性だってありますよねぇ。つーか学校の外はどーなってんだろ」


 ヒツガイのその言葉にハッとする。


「総統……!」


 ザクロの口をついて出たのはいまだ呼べない友人の名だった。


「副総統サマ、落ち着いてください」と彼が取り乱すより一息ぶん早くヒツガイが制する。


「今の発言はちょぉっと軽率でしたね! 不安を煽るようなこと言ってすんませんっした。ま、焦っても現状どーすることもできませんし? とりあえず総統サマの無事は祈るくらいにしておきましょっ」


 気の緩むような笑顔。

「〝強く願えば叶うこの世界の魔法〟ってヤツっすよ」と彼は冗談っぽく付け加えた。


 そうだ、焦っても仕方がない。冷静にならなきゃ。

 ザクロはいくぶん落ち着きを取り戻した。そして安否のわからない友人の無事を強く願う。





 このヒツガイという男は――ザクロが政界入りして以来、十年以上ずっと彼につき従ってきた男だ。付き合いの長さで言えばザクロと総統のそれより長い。


 出会った当時のザクロはまだ十四歳。

 当時、総統の席についていた者が咲良組なにものかによって暗殺され、<魔法使い>の魔法賄賂と脅迫によってザクロが次の総統に指名された。

 ヒツガイは暗殺された前総統の秘書官だった。彼は年端もいかない少年が新しい上司になることに何一つ反発することなく笑顔で受け入れた。


「あら~? 今度の王様はずいぶんかわいらしいことで!」と両手で握手を求めるヒツガイに対し、<魔法使い>以外で初めて名前のあるネームレスでない人物に出会ったザクロは驚いて声も出せなかった。それが彼らの最初のやりとり。


 彼はいつもザクロより一息ぶん早く動く。

 そして最も近しい大人として小さな統治者を手助けした。


 総統の席に新たな人物が座り、ザクロが副総統となった際、ヒツガイは「副総統サマって意外と抜けたとこありますし~大人のワタクシがちゃあんと面倒見てあげなきゃ」なんて軽口を叩き、若干の給料減もいとわず『総統付そうとうつき秘書官』から『副総統付秘書官』という降格を自ら希望した。

 そして今に至る。





「副総統サマもまだまだオコサマっすねぇ」と彼はしみじみと、そして少し嬉しそうにつぶやく。


二十五歳アラサーの男を子ども扱いはさすがに無理がありませんか」


「あっはっはそーゆーのはワタクシの手助けが必要なくなってから仰ってくださぁい」


「なんだよそれ……むかつく」


 そういいつつもザクロはそんなに嫌な気はしていなかった。これが彼らのいつも通りのやりとりなのだ。




 そんなやりとりのあと、ヒツガイはふと思い出したようにシエルに問いかけた。


「そいえばシエルちゃん。この事態について神様パパから何か聞いてない? いやー、さすがにあんなバケモン召喚はキツイっしょ~……」


 その言葉にシエルは困惑の表情で告げる。


「たぶん――この騒動はおとうさまが引き起こしているものではないわ。 神 おとうさまのつくった生き物が、ザクロやほかの人はともかく私を襲うとは思えないもの」


 次に口を開いたのはザクロだ。


「別の原因があるってことか。じゃあやっぱり校舎裏にあった鏡石かがみいし――あれが『灰天使かいてんし護石ごせき』だと仮定して、やっぱりあの石が割れたのが原因ってことかな。シエルはその灰天使? ってやつについて何か知ってる?」


「うーん、それが……灰天使なんて聞いたことがないのよね」


「聞いたことがない?」


「ええ」


 ふむ、とザクロは少し考えこんだ。そして質問の切り口を変える。


「天使って天使なんだよね?」


「んん? どういうことかしら?」


 質問の意味が分からずシエルはザクロ――ではなく、それとなくヒツガイに視線を向ける。


「『そもそも君の言う天使って、僕の想像する天使と同じものなんだよね?』ってことかと~」


「翻訳ありがとう、ヒツガイ。ザクロは言葉足らずにもほどがあるんじゃないかしら……」


「う、ごめん」


「副総統サマは天使ってどんな奴だと思ってるんです? さすがのワタクシもそこまでは通訳できなくって」


「……翼が生えてて、天使の輪っか? 的なものがあって……神聖で優しい、神様の使いみたいなイメージかな」


「微妙に違う部分もあるけれど、だいたいその認識であってるわ」


 シエルはうなずく。


「でも『灰天使』というものがよくわからないのよね。私の知らない天使がいるということかしら?」


「心当たりもない?」


「全く。この世界エルデにはよく来るけど、守護天使がいたなんて話は今回の件で初耳だもの」


「そうか……」


 肩を落とすザクロに「やっぱあの石碑もっかい調べてみません?」とヒツガイ。


「こうしてても埒があきませんし」


「……そうですね。もう一度校舎裏へ行ってみましょう」





 三人はその旨を理事長代理に伝えると、再び石碑へと足を運んだ。

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