3-2
時ならず夜の気配となった
予告されざる不意の日蝕は、当然のことながら生徒や教員たちを驚かせた。最初に気付いたのはグラウンドで練習していた運動部員たち。やがて校舎内にいた生徒たちもすぐに気づき、窓から身を乗り出して不可解な天空のスペクタクルを見上げた。「えー、なに?」「すげぇ、日蝕じゃん!」「そんなのニュースでやってたか?」「聞いてないよ」そう口々に言葉を発する
しかし、異変はそれだけでは済まされなかった。
「あれ、なんだろう……?」
最初に気が付いたのは口を半開きにして空を眺めていた運動部員だった。
黒い太陽の周り。ぼんやりと光がにじむ空の一部分。そこにひどく重そうな黒雲があった。
暗闇の中でもとりわけ黒いその雲は異常な速度で流れていた。黒雲は黒い太陽にさしかかるとその一部がちぎれた。そのちぎれたかたまりはさらに分裂し、一つ一つが羽ばたくような動きを見せた。
「鳥? いや、コウモリか……?」
その予想は間違っていた。頭上の群れから離れ舞い降りてきたものは確かに翼のある生き物ではあった。大きさは人間の赤ん坊ほど。頭部が異様に大きく、背中には翼がはためいている。指には鋭く大きいフォークのような銀色の爪。
――まさに〝異形〟という言葉が似合う怪物だった。
「あ、ああ、あ……」
そのあえぎが終わらぬうち。翼の怪物は運動部員に肉薄した。恐怖と驚きで動けないまま、彼はフォークじみたかぎ爪が自分の眼球めがけてつっこんでくるのを見た。
殺される――!
その刹那。
風切り音がしたかと思うと、怪物は地面にたたき落された。ガラスのような透明のナイフが烈風のごとくひらめいて、人の身体にはかすりもせず、襲撃者だけを切り裂いたのだ。ナイフの主は地面にヒールを滑らせながら疾走してきた勢いを殺した。シエルである。
「全力で建物の中まで走って!」
彼女はできる限りの大声でそう叫んだ。彼女自身はナイフを握り直し、宙を飛びかう怪物たちを睨み上げている。
同じように走ってきたザクロも大音量で指示する。
「急いで中に入って扉を閉めるんだ! なるべく奥へ避難しろ!」
グラウンドにいた
ザクロとシエルはその場に残ったままだ。彼らは生徒たちが避難し終わるまで時間稼ぎをするつもりでいた。
「……銃弾、足りるかな」ザクロは手にした拳銃を見ながら不安そうにつぶやく。
「あら、意外と弱気ね?」とシエル。
「アクション映画じゃないんだし、戦ったことなんてほとんどないんだ。ましてやこんな飛び回る怪物相手に」
「じゃあ私が守ってあげましょうか?」
シエルがそう言い終わる前に、怪物たちが痺れを切らしたように数匹奇声を上げ、絡まるように彼らへと突っ込んできた。
瞬間、ザクロの赤い隻眼が細まる。
発砲音が一度だけ鳴った。
一度きりの射撃にもかかわらず襲ってきた怪物たちの急所には風穴があけられていた。
「……大丈夫、自分のことは自分で何とかする」
撃鉄を起こし、ザクロは顔色一つ変えずにそう告げる。
そんな彼を見たシエルは小さく笑い、再び目の前の怪物たちに目を向けた。
ザクロが撃ち抜いたそれは、力なく落下し地面にぶつかるとぱしゃりと水っぽい音を立てた。視界の端で確認すると怪物の死体がなくなっている。代わりにねばつくような灰色の水たまりができていた。どうやら死ぬと形をうしない、液体になるらしい。
「まともな生き物じゃないわね」シエルはそう呟いた。
「まったくいい経験をさせてくれる」
「ふふ、経験豊富なのはいいことよ?」
「皮肉だよ、もう……!」
そう言いながらまたしてもザクロは発砲し、着実に怪物を撃ち落としていく。シエルもその様子を横目で見ながらナイフを一閃。怪物の首を鮮やかに切り飛ばした。
あっという間に仲間を数匹屠られた怪物たちは怒りの声を上げた。不快な鳴き声が空中に充満する。
その叫びとともに怪物の群れが襲い掛かってきた。二人は常に動いて攻撃をかわしながら怪物をしとめる。彼らの周りで射撃音が、風切り音が聞こえるたび、確実に怪物がはじけて泥水に変わった。
「くっ、きりがないな」
「そういえばヒツガイは? 姿が見えないようだけど」
「ヒツガイ秘書官はホシナ理事長代理のとこに向かわせたよ。こういう事態を見越してね」
「ふふ、あなたもだいぶ
その時ふいに校内放送用のスピーカーからザザッというマイクノイズが発せられた。チャイム等はなく、いきなり桜花高校理事長代理<忠犬>リグルの声が響いた。
『緊急事態です。校舎の外に危険生物が発生しました。外にいる人は急いで屋内に入ってください。外を見ている人は急いで窓を閉めて。電気を消して窓から離れてください。大きな音を立てず、なるべく冷静に。次の指示があるまで建物の奥で待機してください』
続いてヒツガイのやや気の抜けた声が続く。
『副総統サマぁ? なんかそのバケモン、上から見ると無限
ザクロはシエルのほうを見る。
「だってさ。どうする?」
「逃げましょう」
「よし」
二人はまとわりついていた怪物を始末すると、身体の向きを変え校舎に走った。背後から追いかけてくる数匹を時折叩き落しながら昇降口までたどり着くと素早く扉を閉める。最後まで追いすがってきた一匹ががしゃんと音を立てて扉に衝突する音が聞こえた。
数秒、息を整える。
ハッとして振り返ると、数名の生徒たちがこちらを見ていた。そのすべてに顔がない。ザクロは全身を緊張させた。彼はこの顔が苦手なのだ。
物心ついた時から周囲の人間に顔がないことには気が付いていた。見慣れた顔。しかし、どれだけ見慣れようとも自分と明らかに異なる性質を持つ存在には恐怖を覚えてしまう。
だがそうも言っていられない。ザクロはぎこちないながらもなんとか対外用の笑顔を取り付ける。
「みっみなさん、怪我はあ、ありません、か? わ、私は、エ、エルデ政府ふ、副総統、くるっ
自分で自分が情けなくなるほど声が震える。耳鳴りがする。目をそらしたくなる。
彼らが、ネームレスが――怖い。
ザクロは生徒たちの無い顔を見ないために、先導するように彼らの前を歩いた。
ただならぬ彼の様子にシエルは心配そうに声をかけた。
「ザクロ、大丈夫? 顔真っ青。もしかしてどこか怪我でも……」
「だ、大丈夫、け、怪我はしてっ、してない、よ。ただ、あ、えと、その、大勢の人の前で話すのが……に、苦手で。……だからいつも会見や議会では総統に喋ってもらってるくらい」
はは、と自虐的な笑いのあと、ため息を一つ。あるいは心を落ち着かせるための深呼吸だったのかもしれない。
落ち着きを少しだけ取り戻したザクロはふと窓のほうを見た。
「……? おかしい」
「どうしたの?」
「あの怪物たち、あれだけ好戦的だったのに校舎内に入ってくる気配がない」
窓の外をうかがうと、怪物たちは相当な密度をもって学校をぐるりと一周取り囲むように塀にとまり、こちらを見ていた。まるで「絶対にここから出さない」とでも言うように。
陸の孤島、という手垢のついた言葉がザクロの脳内をよぎった。
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