1-3

「この世界はなんだ。だから小説や映画の世界みたいに『演者メイン』と『端役エキストラ』が存在する。そしてこの世界に存在するほとんどがエキストラ。多彩な登場人物が交わる群像劇だって、背景には必ずその他大勢エキストラがいるだろ? そこに確かに存在するけど、名前等の個性を持たない、いわば〝生きる背景〟……それが総統をはじめとしたこの世界の『普通の人間』――僕はこのエキストラたちを<NAMELESSネームレス>と呼んでいる」


「ネームレス……」


 作り話をしているかのような信じがたい言葉。

 シエルは茶化すことなくただ静かに聞いていた。


端役ネームレスは自分たちが端役だと気づけない。自分たちに顔も名前もないことに気付きもしないんだ。それって世界ごと何かに呪われてるみたいですごく不気味だし――寂しいことだと思うんだ。演者と端役は交わらない。……僕は彼女の名前を呼ぶことすらできないんだ」


「ザクロ、あなた――」


「僕は九年も前に出会った友達の――総統の名前を呼んでみたい。そのためにこの世界にかけられた呪いを解きたいんだ。でもそれには僕やヒツガイの力だけじゃ足りないみたいで。この世界の異常性を認知できる、名前を持った新たな協力者の力が必要なんだ」


 困ったように「……くだらないって、笑ってほしい」と告げるザクロだが、その目は冗談を言っている様子もなく真剣そのもので。


「でも、君さえよければ協力してもらえないかな」と彼は遠慮がちに言った。

 今日出会ったばかりの彼の願いだが、断ろうという気は一切現れなくて。


 呪いを解く協力をしたい。そうシエルが言いかけようとした、その時。









「きゃっ!?」「うわっ」


 ドオォォォォォオオオン! と地鳴りにも似た轟音と衝撃。次いでけたたましく鳴り響く警報音。遅れてやってきた窓の外を覆う黒煙。


 何事だと席を立つ二人より一足早く、後ろで待機していたヒツガイが状況確認に動く。


「もしもし、今の音いったい何が――は? ヘリが衝突!?」


「!」


「すぐに電源停止、それから被害状況の確認と避難経路の確保を……そう、副総統サマとお客人最優先で。――非常階段も他の非常口も通行できない? 火の回りがえげつない? まーじすか、じゃあ屋上に避難用ヘリの手配お願いしマース」


 電話を切るとヒツガイはザクロに一応、と言わんばかりに訊く。


「現状報告必要です?」


「秘書官の声が大きいおかげでだいたい把握できました」


 君もほら、こっちへ。そうザクロに手を引かれ、シエルたちは屋上へ向かった。





§




 ビルの屋上は強い風が吹いていて、おかげで風上にいれば立ちのぼる黒煙を避けることができた。

 さっきまでいたレストランの従業員をはじめとした、人々の不安そうなざわめきが聞こえる。が、注意深く聞いてもそのざわめきの内容をはっきりと聞き取ることはできず、また注意深く見ても『不安そうだ』というぼんやりとした印象を受けるのみで彼らひとりひとりの表情をうかがうことはできない。

 ここにいるのはシエルたち三人を除いて皆ザクロの言うこの世界の端役――のようだ。



 さっきまでと変わらず夜空を照らし続ける地上を見下ろしながら、シエルはザクロに言葉をかける。



「ねぇ、ザクロ。さっきあなたは『この世界にかけられた呪いを解きたい』って言ってたでしょ?」


「ああ、でも今はそれどころじゃ……」


「私、呪いの解き方知ってるわ」


「――なんだって?」


 あまりにも平然と。自身がずっと探し続けていた答えを知っている、という彼女の言葉にザクロは思わず顔をしかめて聞き返す。

 シエルは振り返り、ザクロのほうを見る。



「いいえ、正確にはあなたが答えを言っていたの」


「僕が?」


「この世界は誰かのつくりもの。それなら身の回りに起こることはぜんぶ、この緊急事態ハプニングだってきっと何か意味があるはず。きっとこれは呪いの解き方のヒントよ。それを


 シエルはザクロの手を取る。そしてそのままへりへと歩き、


「何を、」


「この世界は魔法にかけられているんでしょう? だったらきっと、願ったことはなんだって――









 ――叶うわ!」










 地面を蹴る。まるで散歩でもするかのような自然な動作に立ち止まる隙すらなく。

 浮遊感。刹那、重力に捕らわれる。夜空に落ちる少女の髪たそがれいろが視界いっぱいに広がる。

 思考が現実に追い付かず、呼吸すら忘れて。夢を見るように微笑む少女。後ろで聞こえる誰かの叫び声。



「願うのよ! ここから落ちてもあなたは死なない」


「~~っ、な、に、わか、わからないよ……っ!」


「イメージして! 天使が舞い降りるみたいに、ストンって音もなく着地するの! ほら、地面ゴールはすぐそこ!」


 

 気が付けば景色の一部だった街並みは目前へと差し迫っていて。浮かぶイメージは地面との激突ランデブー

 自分の手を握る少女の力が強くなる。その顔はむしろ、この状況を楽しんでいるようにすら見えて。その顔を見ると不思議と恐怖心が和らぎ、ザクロはなんとか冷静さを取り戻した。



 ――イメージしろ。僕は死なない。僕は――




「君の名を呼ぶまで、死ぬわけにはいかない……!」




 肉薄する地面。少女を抱き寄せる。背景はスローモーションに流れて。聞こえるのは心臓の音。


「――――――――――」


 生還を強く願い、その目を固く閉じる。


 すると本当に、

 二人を捕らえていた重力がほどけ、たおやかな大気に包み込まれる。


 すとん、と。


 やがて二人は音もなく地面へと降り立った。

 ザクロはおそるおそる目を開ける。


「無、事……なのか……、……信じられない」


 ザクロがそう呟くと、呼吸一つぶん遅れて近くの野次馬ネームレスたちから歓声と驚きの声が上がった。

 夢でも見ている気分だ。三〇〇メートル近いビルの屋上から飛び降りて生きているどころか怪我ひとつしないだなんて。浮遊感の余韻にむしろ、これは夢なんじゃないかとさえ思わせられる。


 ハッとして腕の中の少女を見る。少女はさっきまでと少しも変わらない笑顔で「ほら、願えば叶ったでしょ?」と。


「君は……いったい何者なんだ」


 彼の柘榴ザクロ色の瞳が、少女の夜空色の瞳と交差する。

 確信した。彼女は何か知っている。自分もまだ知らない、狂ったこの世界の秘密を。呪いまほうの解き方を。


 ザクロの問いかけに少女はいたずらっ子のような笑みを見せ、彼にだけ聞こえる小さな声で言った。



「私の本当の名前はブランネージュ。この世界をつくった神の、娘よ」












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