1-2
道案内に、と寄越されたのはザクロの秘書を名乗る
「どーも~。
「ヒツガイね、よろしく。その、副総統サマって?」
「シエルちゃんをナイスキャッチした赤い片目のおにーさんいたっしょ? その人のことっす。聞いてない? 世界で二番目の権力者『副総統』――それが彼、
「うーん、そうね……道に迷ってしまったけれど特にどこかへ向かおうとしていたわけじゃないから、とりあえず知ってるところまで案内してもらおうかしら」
黒塗りの車がシエルを後部座席に乗せて動きだす。ハンドルを握るヒツガイは前を向いたまま話を続けた。
「おっけーっす。シエルちゃんは観光かなんかでここに?」
「そんなとこね」
「じゃあこの後のご予定も特に決まってない感じ? 夜まで?」
「あら、デートのお誘いかしら?」
なんてね、と冗談めかして笑う。
そんなシエルにヒツガイも冗談めかして「そんなとこっすね~」と返した。
「あ、私の真似っこ!」
「はっはっはシエルちゃんがかわいくてつい。んで、デートのお返事は?」
「まさか本気?」
「ホンキもホンキ。お相手は俺じゃないっすけどね」
「どういうこと?」
「副総統サマから個人的にご相談したいことがあるとか」
「……私に相談? 今日出会ったばかりなのに? まさか、大丈夫だって言ってたけど本当は怪我してたから『どう落とし前つけるつもりなんじゃい!』ってやつ……!?」
「えええ、どこでそんな言葉おぼえてくるんすかヤクザの知り合いでもいるんすかシエルちゃん……。違う違う、内容は俺からは言えないんすけど、もっと純粋なお悩み相談っす。美味しいごはん付きで! どう?」
その不思議なお誘いにシエルは考える間もなく「行くわ」と即答した。
「決断はやっ!」ヒツガイは即答の理由を尋ねた。
「ザクロってこの世界の王様なんでしょう?」
「二番目っすけどね。ナンバーワンは総統サマっす」
「なんでもいいわ。この世界のことをよく知る人物に私もちょうど訊きたいことがあるの」
「お、じゃあデートのお約束成立ってことで?」
「ええ、お願いするわ」
シエルは迷いなく答えた。
それを聞いたヒツガイは「よかった~」なんて気の抜けた相槌で恐ろしい裏事情をこぼす。それもごく自然に。
「デート成立までシエルちゃんをこの車から降ろすなって副総統サマに言われてましたんで」
「冗談でしょ? ……な、なんか急に不安になってきたわ」
少女はここにきてようやく、自己陶酔ではなく憂を帯びたため息を漏らした。
§
夜。太陽がすっかり地平線の向こう側へと沈み切ると、この街は昼間とは全く別の顔を見せる。陽光の代わりに街全体から発せられるきらびやかな光彩が夜空を彩るはずの星々の明かりをどこかへと追いやると、繁華街は雑踏と人々の声等々の雑音にあふれかえり、車たちは煌々と目を光らせながらめまぐるしく街全体を巡っていた。
レスロランフロア。だが自分のほかに客は見えない。どうやら貸し切られているようだ。
心地よいBGMと、その中に控えめに混じるウエイターの静かな足音だけが聞こえる。
案内された席で静かに待っていると、やや遅れて待ち人がやってきた。
「……来てくれてありがとう。待たせたかな」
「ザクロ」
昼間見た赤い隻眼。世界の統治機関第二番目の席に座る男、
彼の姿を見るとシエルは椅子から立ち上がり握手を交わした。
「そんなに待ってないわ。……昼間はごめんなさい、本当に怪我はなかった?」
「あのあと一応検査してみたけど特に異常はなかったよ。心配してくれてありがとう。君が無事でよかった。――改めて、僕は
「ええ。道案内役の彼に聞いているわ。私はシエル。よろしくね」
シエルはザクロに挨拶を返すと、自分たちの様子を数歩分離れたところで見ていた道案内人――副総統秘書官の
ウエイターに椅子を引かれ、シエルとザクロの二人はテーブルにつき話を続ける。
「今日呼んだのは君に相談したいことがあるからなんだ」
「それも道案内の彼から聞いてる。初対面のレディに相談事なんて、あなたかなり変わってるわね?」
「ああ、だから本当に来てくれるなんて正直驚いてるよ」
「来るって返事をするまで車から降ろさないように言ってたんでしょう? それも彼から聞いているわ」
特に責めるでも
「…………ヒツガイ秘書官」
「ちょ、シエルちゃんそれはあれっすよ副総統サマにはご内密にぃ」
「それは僕のセリフですよ。……ほんと口が軽いんですから……。あとで
「はぁい」
しくしく。とわざとらしい泣き真似をする部下をスルーし、ザクロは会話を再開する。
「ごめんね。危害を加えるつもりはなかったんだけど、どうしても君と話したくて」
「別に気にしてないわ。ちょうど私もあなたに訊きたいことがあったから」
「訊きたいこと?」
「誰かを軟禁してまで訊きたいほど深刻な相談事じゃないから、私の話はあとでいいわ」
「う、……ゴメンナサイ」
「だから気にしてないってば。それで、相談事って?」
「その前に一つ。君の名前はシエル。これは間違いない?」
ザクロの口から出た突飛な質問に言葉が詰まる。初対面で偽名を疑われたのは初めてだった。
なにより〝シエル〟という名は彼女の本名ではない。
「え……っと、それはどういった意図で聞いてるのかしら」
もちろん名乗った覚えはない。初対面のはずなのに、どうして。
何かを見透かされているような気がして、彼女の背筋にはぎくりと冷たいものが走った。
だがザクロの意図は彼女が全く予想しないものだった。
「いや、君がどこかのスパイで偽名を使ってるんじゃないかだとか、そういうことを疑っているんじゃないんだ。気を悪くしたなら謝るよ。ただこの世界――エルデに住む人々のほとんどが名前を持たないんだ」
「名前を持たない?」
どういうことだろうか?
目の前にいるこの男はたった今はっきりと自分の名前を名乗っていたし、彼の後ろに待機する男の名も確かに聞いた。それにこの世界に住む自分の友人たちも当たり前に名を有している。
シエルには意味が分からず首をかしげた。
「変なこと言うようだけど――この世界は
「まほう? それはこの世界のひとが名前を持たないことと何か関係があるのかしら、ザクロ」
あなたには名前があるじゃない、とでも言うようにあえてその名を呼ぶ。ザクロは困ったように微笑んだ。
「そうだね。僕や彼、ヒツガイには名前がある。でもこれはこの世界ではかなりイレギュラーなことなんだ。――君は総統……
「ええ、もちろん――、……あれ?」
シエルは首を傾げた。
昼間に出会った、ザクロと一緒にいた笑顔の素敵なお姉さん。勝手に家に侵入したことを責めもせず、むしろ心配までしてくれたあの気のいいひと。正直な話、ザクロより印象に残っている。
それなのに――彼女の顔が思い出せない。
背の低い自分に合わせて少しかがんで頭を撫でてくれた。あのとき確かに顔を見たはずだ。にもかかわらず全くと言っていいほど彼女の顔を思い出せない。顔だけじゃない。髪型、声色、背格好、全部。
シエルは記憶力が特別良いわけではなかったが、そうだとしても不自然なほど曖昧にぼやけてしまった記憶に混乱していた。
ザクロは悲哀と諦観の色を帯びた表情でやっぱり、と呟く。
「『やっぱり』ってどういうこと? これがこの世界にかけられたまほうだってこと?」
「そうだ。そしてこれは
ザクロはこの世界にかけられた【
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