第一話 空色少女とネームレス

1-1

 季節は夏。昼の間に蓄積された熱気がアスファルトの上にわだかまり、ひとけのない夜の街を静寂とともに支配している。星を見わけるには街は明るすぎるが、一人で道を行くにはあまりにも心細い暗さだ。


 時刻は午前二時をまわろうとしている。


 暗闇と静寂のはざまを乾いた足音が通った。コツ、コツ、コツ。決して乱れることなく一定のリズムを刻み、足音の主は闇に溶けるように深夜の街を進む。

 足音のほかに聞こえるのは、熱い吐息のかすかな音と、鈍い摩擦音。人影は興奮した様子で棒状のものを片手に引きずっていた。


 人影は大きな建物の前で止まった。前面に構える門の横には『私立桜花おうか高等学校』と刻まれている。


 手にしたものを門の内側に投げ入れ、門を乗り越えた。敷地を横切り、校舎の裏側へ回ると目当てのものを見出して立ち止まる。


 闇色の石碑が立っている。


 否、闇色というのは現在の空模様を映したもので、実際には半透明の淡灰色をした石碑だった。文字の一つも刻まれておらず、由来を示す但し書きもない。子どもの背丈ほどの濁った石が、台座代わりの積み石に囲まれて立っているだけだ。それは自然石にしては表面がひどくすべらかで、まるで鏡のようにそこにたたずむ人影を映しだしていた。


 一呼吸置き、人影は前に進み出る。手にしたものの重さを確かめる。

 先端の曲がった鉄製の、バールのようなもの。

 人影はそれをゆっくりと持ち上げ、

 身体のうしろへ引き、

 全身を緊張させ、

 勢いよく振り降ろして――


 「――――っ」


 叩きつけた。

 硬質な衝撃音が少しの余韻を残して消え失せる。


 鉄の殴打は石碑を背後に倒れこませた。地面とぶつかった衝撃で、それは真っ二つに割れた。


 人影の肩が呼吸に合わせて上下に動く。

 やがてそこに、ゆがんだ笑みが浮かんだ。





§




「あら、どうしようかしら」



 なんだかここ、来るたびに地形が変わっている気がするわ?

 そんな呟きとともに少女は辺りを見回す。


 きょろきょろ。くるくる。


 見覚えがあるようでない、それでいてやっぱり見たことがあるような街並み。

 うーん、と少女は考えるように天を仰いだ。そしてハッとして一言、


「空を見上げる私、さいっこうにかわいいわ……!」


 うんうん、と満足げにうなずく。


「青い空、きれいな街並み、かわいい私。うん、最高のシチュエーションじゃない!」


 少女はをなびかせながらその場でくるりと一回転。

 お気に入りの曲を口ずさんで、にぎわう街を軽快な足取りで歩く。


 その姿はさながらミュージカル映画のワンシーンのようで。

 陽の光でさえ少女の前では彼女専用ステージライトになりを変えた。


 そして一曲歌い終えたあとに一言。







「迷子になっちゃったみたい」




 はぁ。

 少女は溜息を吐いたが、それは憂を帯びたものではなく、


「道に迷う私……ああ、なんて危うげでかわいいのかしら!」


 自己陶酔による溜息だった。少女は誰に話しかけるでもなくうっとりを呟く。


「そうだ!」


 迷子を楽しむ少女は大きな建物を見つけ、その夜空色の瞳をよりいっそう輝かせる。そして、


「よい、しょ……っと!」


 塀を超え、


「わわっ」


 壁を伝い、


「んうー!」


 その建物のバルコニーまでのぼりきった。

 少女はスカートの汚れを払い、乱れた髪を整える。


「ふぅ、いい眺めね! やっぱり道に迷ったときは高いところにのぼるに限るわ。私って天才!」


 街を一望する。この街はいつ来ても綺麗で、そして賑やかな街だと感心させられる。

 特にここ十年の発展は目覚ましい。、なんて見た目の幼さには不相応とも思える感想を抱いていた。


 少女は大きく伸びをして胸いっぱいに空気を送り込む。

 

「さて、と。まずはどこへ向かおうかしら」


 きょろきょろと街を見回しながら手すりに立つ。

 その刹那、


「何をしているんだ!」


「ふぇ!?」




§



 たしかに急に声をかけたのは不用意だった。


 でもさ、そんな、知らない子どもが職場に不法侵入してたら驚いて声くらいかけてしまうものなんじゃないか?

 多感な時期なら投身自殺思い切ったことでも考えているんじゃないかとか、そうじゃなくても落ちて怪我なんてされたら大変だとか。


 ……まあ、彼女が屋根から落ちる決定打となったのが僕の一言だったんだけど。



 そんな言い訳や後悔を噛み潰すような苦悶の表情を浮かべ、間一髪、男は目の前で足を滑らせ落下した少女を受け止めた。痛いなんてもんじゃない。声が出ない。(少なくとも外見上は)両腕とも無事であることが信じられないくらいの激痛が彼を襲った。


 自身が無傷であることに気が付いた少女は慌てて男の腕を飛び降り勢いよく頭を下げる。


「ごめんなさいっ! 大丈夫?」


「……っ…………、僕は、大丈夫。怪我ない?」


「おかげさまで傷ひとつないわ。――あなたは」








「ザクロ! 大丈夫!?」


 少女は言葉の途中だったが、彼のもとに知人らしい女が心配そうな顔で駆け寄ってきた。

 ザクロ、と呼ばれた男は激痛を無理やり意識の奥へと追いやったようで、ひらひらと手を振りながらぎこちない笑みで答える。


「僕は大丈夫だよ、総統そうとう。ほら、この通り」


「ほんと? すごい音がした気がするんだけど」


「運がよかったみたいだ。この子も怪我ないって」


 女は少女に向き直り、少しかがんで頭を撫でる。


「こら。もうベランダの上になんて登っちゃだめだよ。危ないんだから」


「ごめんなさい……」


「ふふ。でも二人とも何ともなくてよかった! えっと、あなたの名前は? どうしてあんなところに?」


「私は――、……?」


 名乗ろうとしたその時。少女は目の前の女以外から視線が刺さるのを感じ、その方向へと目をやった。

 すると少女を助けてくれた男、ザクロと目が合う。右目が眼帯で覆われた赤い隻眼。その視線はまるで品定めでもするかのようで。

 少女にはその視線の意味が分からなかった。


「私はシエル。その、迷子になっちゃって、それで」


「――――――! 君は名前が……」


「ははーん? 迷子になったから高いとこに登って辺りを見渡してみようってワケね! なかなかいい考えじゃん。でも今度は近くの大人に尋ねてみるとかしよっか、シエルちゃん」


 女はシエルの頭を優しくなでる。ザクロの呟きは彼女の声にかき消されてしまった。


「ええ、そうするわ。そっちの、ザクロさん? も助けてくれてありがとう」


「……いや、気にしないでいい」


「ところでここ、どこかしら?」



 きょろきょろ、とシエルは辺りを見回す。

 白くて大きい、まるでお城みたいな建物が大小ひとつずつ。整備された綺麗な庭に噴水。

 街も綺麗だったがこの場所は異次元的に美しい、というか隙がないほどに整っている。



「ここは総統官邸そうとうかんていだよ。あっちに見えるのが公邸こうていで――」


「そうとうかん? こうて……?」


「あはは、ちょっと難しかったね。簡単に言ったら、シエルちゃんがいた建物が総統そうとうっていう役職に就いてる人のおうち。つまり、あたしの家」


「えっ、そうなの? ごめんなさい、勝手に立ち入ったりして」


「あはは、気にしない気にしない! まあ、警備の奴らにはあとで事情聴取かなー、なんて。んで、その隣にあるのが公邸……エルデ政府、って言ったら難しいかな、えっと、この世界を治めてる人たちが働く場所ってとこかな」


「王様のお城?」


「そんなカンジ! 超広いから地図見たら自分がどこにいるのか一発でわかるよ!」


 いぇい! とはじける笑顔で親指を立てるサムズアップ。総統、と名乗るこの女はかなり気のいい人物のようだ。シエルもつられて笑顔になる。


「さっきまで公邸にいたんだけど、シエルちゃんがうちの壁よじ登ってるのが見えたからザクロ……あ、こいつは来栖くるす雀榴ザクロっていうあたしの部下なんだけど、彼と二人して慌ててこっちまで飛び出してきちゃった」


 いやぁ無事でよかったよ~と快活に笑う女。

 そういえば、と。シエルはまだ彼女の名前を聞いていないことに気が付いた。


「ねえ、あなたの名前――」


「……総統。そろそろ次の予定が」


 今度はザクロが少女の言葉を遮るように、むしろ意図的に遮って言葉を発する。

 女は腕時計を見て大袈裟に驚いた。


「やばっもうそんな時間!? ごめんシエルちゃん、ほんとはわかるところまで道案内してあげたかったんだけど……」


「部下に案内させるよ。シエル、だっけ。君はここで待ってて。じゃあ、僕たちはこれで」


 名残惜しそうに「またあそびにきてねー!」と大きく手を振る女をザクロは足早に引っ張っていく。

 去り際、シエルはもう一度ザクロと目が合ったような気がした。

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