浸水空間

 台風一過の晴天。

 水溜りに日射しが反射して町はきらきらと輝いていた。

 かなり大型の台風だったが、本土直撃は避けられ、各地とも大きな被害は出ていなかった。

 しかし鮟鱇町はべつだ。

 鮟鱇駅南口前の提灯通り商店街では浸水被害が発生していた。この辺り一帯は再開発が予定されているため、すでにほとんどの店舗は退去が完了し、そう深刻な状況でもなかったが。

 浸水が生じたのも、退去の際に出たゴミが強風で散乱し、それが排水溝を塞いだためではないかと言われていた。

 そんな中、まだ営業をつづけている店もいくらかあった。

 田端悠里(たばたゆうり)は、友人が経営する古本屋の退去作業を手伝うために、駅前の大型雑居ビル〈ショッピングセンターあんこう〉を訪れていた。

 浸水状況についてはSNSで知ってはいた。ビルの中は大丈夫だろうと思っていたが、入ってみると、天井のあちこちから水滴がしたたり、床も水びたしだった。エスカレーターも止まっていて、悠里は階段を昇らねばならなかった。友人、中根木乃(なかねきの)の店は三階にあった。

 数日前までは閉店セールでにぎやかだったスーパーマーケットも退店し一、二階はがらんとしていた。二階から三階へ上がる階段も、うっすらと水が流れている。

 三、四階は小型の店舗が大量に並んでいるのだが、今や営業しているのは数軒だった。中根木乃の経営する〈古書アルマジロ〉は今日も店を開けていたが、店内は無人だった。ここも天井から水が漏っていた。

 売り物の本が濡れたら大変、と本を水滴の落ちる場所からずらしてみるが、すでに本棚の中まで水が浸透していてどうにもならない。それでも何とか少しづつ本の位置を変えて被害が広がらないようにした。高価な本は、レジ横のガラスケースに納まっているので当分は大丈夫だろう。板ガラスの中には『イタカ鏡』『冥界外道祭文』『アクロガイスト』『ポセイドンの目覚め』といった、かなり特殊な本が並べられているのだった。

 この店は幻想怪奇文学を主に扱っているが、加えて異端的な科学や歴史、占いや魔術の本などもそろえていた。中根木乃がこのような店の経営を任されることとなったのは、気難しい老人だったもとの店主に気に入られたためだった。しばらくはバイトとして店を手伝い、やがて一人で経営を任されるまでになった。それを機に彼女は短大を辞めた。

「木乃ちゃんどこに行ったんだろう……」悠里はひとりごちた。

 悠里と木乃は短大時代の友人だった。木乃は落ち着いてクールな性格で、多少親しい仲でも「中根さん」とかせいぜい「木乃さん」とか呼ばれていたが、悠里はあえて「木乃ちゃん」と呼んでいた。その方が友達らしいと思ったからだ。

 仲よくなったきっかけは、まだ前の店主だった頃にこの店で出会ったことで、悠里がクラーク・アシュトン・スミスの小説を手にしているのを見ると、彼女はいろいろ古い怪奇小説について教えてくれたのだった。

 悠里は他に漏水してるところがないかと、天井を見て回った。すると天井の片隅に小さな赤いトカゲが貼りついてるのを見つけた。

 オモチャかな、と思っているとスマホが鳴りだした。発信者は木乃ちゃんだった。

「木乃ちゃんどこにいるの。お店が水漏れで大変だよ」

「うん、知ってる。今ちょっと動けないんだ」

「動けないって?」

「だから悠里に頼みがあるんだけど」

「いいよ、何でも言って」

「じゃあ、ちょっと……」木乃は話しかけて間があった。

 何気なく天井に目をやると、赤いトカゲの位置が変わっていた。悠里の方に近づいてきていた。

「ねえ、木乃ちゃん天井にトカゲがいるんだけど、それともヤモリかな」

「ああ、このビルの中でおかしな生物を見ても、慌てたり怖がったりせずに、平然としているように」

「あ、そうなの……」

「それで悠里に行って欲しいところがあるんだけど、あ、その前に、御守りを身につけた方がいい」

「えっ、御守り?」

「レジの下の引き出しを開けてみて」

「うん」悠里はレジのところへ行って、引き出しを開けた。

「そこに青い木箱が入ってるでしょ」

「うん、あった」

「中に入ってる組み紐を出して」

 箱を開けると、黒と赤の糸で編んだ組み紐があった。

「出したよ。二本あるね」

「その一本を自分の手首に結んで、外れないように強くね」

 言われた通りに左手首に結んだ。ミサンガみたいな感じだ。ふと天井を見上げると赤いトカゲは、どこかに消えていた。

「できたよ」

「じゃあもう一本は攻撃用に使うので、なくさないようにポケットにでも入れておいて」

「ええ、攻撃って?」組み紐をポケットに入れながら悠里は聞いた。

「だいじょうぶ、そんなに危険な相手じゃないから」

「そ、そうなの」

「ではまず、四階のインカ堂っていう骨董屋へ行ってくれる」

「四階、インカ堂ね、わかった」

 スマホを切って、悠里は店を出た。


 四階へ行くためには、右へ進んで階段を昇らねばならない。だが、左の方に人影が見えた気がした。そちらに目を向けても誰もいなかった。一瞬、みょうに背の高い黒い影が見えたように思ったが、気のせいだったようだ。

 階段へ行くとすごい勢いで水が流れていた。まるで滝だ。どこから流れて来るのか。もう雨はやんでだいぶ経つので雨水ではないだろう。水道管のトラブルか。悠里はほとんどずぶ濡れになりながら四階へ上がった。

 四階の廊下全体も水が溜まっていて、足首まで浸かるほどだった。じゃぶじゃぶと水を散らしながら骨董屋を探した。

 ビル内を半周して〈インカ堂〉と看板を出した店を見つけた。シャッターが降ろされていたが、そのシャッターはめちゃめちゃに壊れていた。

 木乃に電話をかけた。

「インカ堂に来たよ。シャッターが壊れてるんだけど」

「それは知ってる。今、店員はいないはずだから中に入ってみて」

 悠里は、プレート状に分解されて垂れ下がっているシャッターを避けながら店内に入った。店の中も荒らされた状態で、商品が散乱していた。

「入ったけど……」

「じゃあ、そこで銀の燭台を探して。燭台ってわかる?」

「ローソク立てでしょ」

「そう、三叉のやつね」

 床には割れたガラスや食器の破片が散らばっていた。七福神の像や掛け軸、花瓶などがある。店の奥では騎士の甲冑が立っていた。燭台ならそっちの方にありそうだ。

 そちらへ向かっていくと、床に置かれた大きな壺の影から何かが這い出してきた。巨大なムカデのような生物だった。全身白く足が長い。体長は一メートルぐらいあった。ムカデというより海底を歩く深海生物のようだ。それが悠然と彼女の足元を横切って店の外へ出て行った。

「あ、あ、あわわ」

「どうした?」

「い、今なんかでかいムカデみたいなのが……」

「変な生物を見ても慌てるなと言っておいたろ」

「うん、でもさ、このビルなんか変じゃない?」

「あー、気づいちゃった?」

「けっこう前から思ってた」

「じつはこのビルちょっと異世界とつながってて」

「ああ、よくあるやつ」

「この辺じゃめずらしいんだけど」

「つーか、あり得ないでしょ」

「あとで説明するから」

 そんなことを話しながら悠里は燭台を見つけた。

「あったよ、銀の燭台」

 銀だけあって持ってみるとけっこう重い。

「それに、さっき持ってきた組み紐を結び付けて」

 悠里は赤と黒の組み紐を蝋燭を立てるための枝に結んだ。

「できた」

「それで攻撃用の武器になるわ」

「あ、これで攻撃できるの?」

「うん、でも勝手に投げたりしないでね。使いどころはこっちで指示するから」

「わかった」

「じゃあ次は楽園って名前のスナックへ行って。三階だよ」


 悠里は廊下へ出て、階段へ戻る。

 相変わらず水の量がひどくて、手すりにしがみついてないと流されてしまいそうだった。

 中間の踊り場のところで、ふらふらとゆれている長身の影を見た。実体のない影だけの存在。別に襲ってくる様子はなかったが、近くを通るときは不気味だった。

 三階についた。行先は、楽園という名のスナック。アルマジロの近くには、たしかそんな店はなかったので逆方向へ行ってみる。

 すぐに見つかった。青い半透明の壁に白い文字で〈SNACK楽園〉と記されていた。ドアには〈営業中〉という札が出ていた。

「あったよ、楽園」悠里はスマホで木乃に告げた。

「中に、ウミウシに襲われてるおじさんがいるから助けてあげて」

「えっ、でも、どうやって?」

「燭台を投げつければいいから」

「ああ、これで」

「そう、あ、それから、上手くいったらお礼代りにマッチを一箱もらっておいて」

「えっ、マッチ……?」

 と、聞き返したが、木乃はもう電話を切ってしまっていた。

 仕方がないのでスナックのドアを開けてみる。

 店内は明るい雰囲気で、色とりどりの酒瓶の並んだ棚があり、あと観葉植物がやたらと置かれていた。人はいないかなと思ったら、カウンターの奥の床でバタバタしている足が見えた。黒いズボンに革靴を履いた男性の足だ。

 近づいてみると、倒れている男の上半身に、全長が八十センチぐらいあるウミウシがのしかかっていた。その生物は黄色い体に紫色の斑点がある綺麗な皮膚をしていたが、下敷きになっているおじさんは苦しそうだった。

「どうすれば……そうか、燭台を」

 悠里は言われたことを思い出して燭台を投げつけた。

 銀の燭台が命中すると、ウミウシはジュッと焼けた金属に水滴がかかった時のような音とともに消え去った。

「う、ああ、助かりました」と、男は言いながら立ち上がった。

 人の好さそうな丸顔の中年である。その人が粘液まみれの身体で、抱きつこうとする勢いで接近してきたので、悠里は思わず後退り「では、私はこれで」と出て行こうとした。

 ドアのところまで行った時、男性が「あの、何かお礼を」と声をかけた。

 悠里は、ああ忘れるところだったと「できればマッチをもらいたいんですけど」と言った。

「それならレジの横にありますからどうぞ」

 店の宣伝用のマッチが籠に山盛りになっていた。彼女は一つもらって店を出た。


 また木乃に電話をかけた。相手が出るまでに時間がかかった。

「ごめん悠里」

「ねえ、木乃ちゃん、今どこにいるの?」

「どこって、ビルの中にいるけど」

「じゃあ姿を見せてよ」

「ちょっと忙しいんだ。それよりマッチは手に入れた?」

「うん」

「ではそれを持ってもう一度四階へ、こんどは占いの店エンジェルハウスっていうところに」

「もう、何なの?」

「ごめん後で説明するから」

 悠里は階段のところへ行った。やはり水は流れつづけている。

 上の階から何かがバシャバシャと水を跳ね散らしながら滑り降りてきた。ワニぐらいのサイズのオオサンショウウオだった。赤黒い皮膚の爬虫類は、三階の床でドリフトしつつ向きを変えると、さらに下の階へと降っていった。

 四階に占いの店があることは悠里も知っていたので、そこへ向かう。

 途中、壁がガラス張りの喫茶店があったが、中は完全に水没して、まるで水族館の水槽のようになっていた。店内を発光するクラゲが泳ぎまわっていた。

 占いの店〈エンジェルハウス〉は、入口の横に水晶球とタロットカードを前にしたアンジェラ飛鳥の大判の写真を掲示していた。彼女は美人占い師として知られていたが、とくにによく当たるというような評判は聞かれなかった。

 店に入ると、まず長椅子の置かれた待合室があり、カーテンで仕切られた奥が占いのためのスペースだった。覗いてみたが誰もいなかった。漏水のせいで回線がショートしているのか、蛍光灯が点滅しつづけていた。

 木乃に電話をした。

「占いの店に着いた?」

「うん、誰もいないけど」

「それで、何か怪しいものはない?」

「怪しいものねえ……」

 悠里はとりあえず占い用のテーブルを見てみた。そこには黄色い石のブレスレットのようなものが置かれ、下に紙が敷かれていた。正方形の中に見慣れない文字や記号を配置した紙だ。

「ブレスレットと紙があるけど」

「ブレスレット……材質は?」

「石かな、黄色くて透明な、あ、中に小さな蜘蛛みたいな虫が埋め込まれてる」

「琥珀だね」

「ああ、多分そう」

「紙は、何か書かれてる?」

「うん、正方形で、中が線で区切られてて、いろいろ文字が書かれてる」

「魔方陣か。文字はルーン文字でしょう?」

「ええ、わかんないけど、そうかも」

「いいわ、じゃあその紙だけど、細かくちぎって燃やしてしまって」

「えっ、燃やす……」

「そのためにマッチを手に入れたでしょ」

「ああ、そういうこと」

 ちょうどテーブルの上にガラスの灰皿があったので、ちぎった紙をその中に入れた。ポケットから取り出したマッチ箱は、すっかり水を吸ってしまっていたが、あまり濡れていないマッチを見つけ出して強めに擦ると、火をつけることができた。魔方陣の書かれた紙は、みるみる灰と化した。

「燃やしたよ」

「じゃあ、琥珀の腕輪を持ってこっちへ来て」

「え、木乃ちゃんどこにいるの?」

「ああ、今、屋上」

「屋上ね、すぐ行く」

 悠里はブレスレットを持って占いの店を出ようとした。だが、店の出口に何かがいた。無数の触手が揺らめいている、それは巨大なイソギンチャクだった。

「うわうわうわ」思わず後ろへ逃げた。

 巨大イソギンチャクは、入り口の幅より太い胴体を無理矢理すり抜けさせて店内に入ろうとしていた。

「あわわ」悠里はあわてて電話をかけた。「木乃ちゃん、巨大イソギンチャクが迫ってくるんですけど」

「ん、それはまずいな……、いや、魔方陣は焼いたから、あとは水が引けば……うわわっ!」

 と木乃の叫び声が聞こえた。回線はつながっているが話は出来ず、何かがぶつかる音がしていた。

「木乃ちゃん、大丈夫!?」

 返事はない。木乃のほうにも何かあったらしい。早く琥珀のブレスレットを届けなければいけないのではないだろうか。しかし、唯一の出口は巨大イソギンチャクにふさがれていた。どうすれば……。

 彼女は最後に「水が引けば」と言っていた。床を見ると、溜まっていた水がどんどん減りつつあった。水がすべて引いてしまえば、異様な生物も消えてくれるだろうか。

 イソギンチャクは戸口を抜けて店の中へ入ってきた。そしてすぐに数本の触手を悠里めがけて伸ばしてきた。部屋の角に追い詰められた彼女の身体に触手の先端が触れた。すると、バチッと火花が散って、触手は跳ね飛ばされた。イソギンチャクの触手は、熱いもの触れたかのようにひっこめられた。

 何故か助かった。悠里は左の手首に熱を感じた。見ると、御守りとして結んでいた組み紐が、灰になって崩れ落ちていった。

 御守りの効果によって守られたようだ。だが、それも灰になってしまった。次はない。

 イソギンチャクは、どうすべきかと迷っているように触手を揺らしていた。

 悠里はカーテンの仕切りから奥の間へ逃げ込んだ。

 まもなくカーテンの隙間から触手が侵入してきた。触手は獲物がどこにいるかわからないといった様子で、部屋を端から手探りするように這いまわっていた。次第に伸ばされた触手の本数も増えてきた。

 悠里は奥の壁に貼りつくように立ったまま動けずにいた。「うう、触手責めはやだよぅ」

 そのうち、触手の一本が彼女に向かって伸ばされてきた。それが身体に触れる直前くたっと力を失って床に落ちた。他の触手も同様に動かなくなっていた。

 カーテンの隙間から覗いてみると巨大イソギンチャク本体は、アイスクリームのように溶けて外形を失っていた。床の水はすっかり引いていた。そのことで魔力が失われたらしい。イソギンチャクだったものは粉末状に分解し、やがて消えてなくなってしまった。


 悠里は琥珀のブレスレットを手に急いで屋上へ向かった。階段は、まだ水が滴っていたが流れるほどではなかった。一つ上の階が屋上だった。

 そこは配管やダクトが剥き出しになっていて、普段は客が立ち入るようにはなっていない。

「木乃ちゃん、いる?」

 そう声をかけながらあたりを見回すと、倒れている女性の姿が見えた。白いふわふわしたドレスのようなものを着ている。木乃の趣味ではなかった。

 近づいて顔を覗きこむ。見覚えのある顔だが……。

「それは占い師のアンジェラ飛鳥だよ」背後から声がした。

 振り返ると、給水管の上に腰かけた木乃がいた。そして彼女の背後では、ブラックホールのような暗黒の渦がぐるぐると回転していた。

「木乃ちゃん!」

「悪かったね悠里、走りまわられせてしまって」

「そ、それはいいけど、その、木乃ちゃんの後ろのそれは何?」

「異世界に通じるゲートだよ。今はメイハーンにつながってる」

「メイハーン……?」

「別名《囁く石の都市》」

「でも、どうして?」

「そこに倒れてる占い師、彼女がゲートを開いたんだ。でも中途半端な開け方をしたせいで、魔海の生物が流れこんできてしまったんだ」

「ああ、それで……」

「仕方がないから私がつなぎなおしたんだよ。腕輪をくれ」

 悠里はブレスレットを渡した。

「これは私が骨董屋に頼んで手に入れてもらった物なんだ。受け取る前に彼女に盗まれてしまった。まさかそこまでするとはね」

「あの人、大丈夫なの?」

「気絶してるだけだ。そのうち気がつくだろう……じゃ、私は行くかな」

 木乃はブレスレットをはめながら、配管の上に立った。

「えっ、行くってどこへ?」

「メイハーンだよ、せっかくゲートが開いたんだからね」

「え、ちょっと、それって、異世界に行くってこと? ねえ、それ、危ないんじゃ……」

「意外と大丈夫だよ。それにメイハーンのことはわりと知ってるんだ。よく夢で見てたからね」

「夢でって、そんなのあてになるの?」

「おどろかせてごめんよ悠里。じゃあね、すぐ戻るからさ」

 そう言うと、木乃は後ろも見ずに倒れこんだ。彼女の身体は渦巻く暗黒に吸い込まれていった。

「木乃ちゃん! 木乃ちゃん!」

 悠里は名を呼びつづけたが、木乃を飲みこんだ暗闇の渦は、何事もなかったように消えてしまった。


 それから一週間後、ふたたび台風が接近していた。

 〈アルマジロ〉の古書は、店のオーナーである前の店主が引き取ることになり、悠里が手伝えることはなかった。他の店もまもなくすべて引き払われ、〈ショッピングセンターあんこう〉は閉鎖された。

 そして、風も強まってきたある日の午後、悠里のスマホが鳴った。発信者の名は木乃ちゃん。

「木乃ちゃん、帰ってきたの?」

「ううん、まだちょっと帰れない」

「だって電話通じてるじゃん」

「それが、そっちに台風が近づくとゲートができるみたいなんだよね。ほら風の精が強まるからさ」

「じゃあいつ帰ってくるの?」

「つぎの台風が来たら……」それだけ言うと電話はぷっつり切れてしまった。

 やはり異世界ともなると電波の調子もよくないのだろう。

 つぎの台風っていつだろう、と悠里は思った。

 今年の季節ももう変わる。たぶん来年だろう。

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