喫茶店の怪異

 自分の部屋に不用なものが多すぎることに気づいた西森来留(にしもりらいる)は、何とかやる気を出して片づけを始めた。

 おおかた片づいた頃、彼は一本のゲームソフトを見つけた。未開封のもので、買った覚えもなかった。

 タイトルは『レムリアのレンズ』。

 ネットで調べてみると入手難でかなりのプレミアがついていた。有名なデザイナーの初期の作品で、隠れた名作といったものらしい。

 なぜこんなものが自分の部屋に?

 パッケージのイラストをじっと眺めていると、だんだんよみがえってくる記憶があった。

 そうだ、あの時の……。

 それは来留が中学の頃、当時流行っていた『吸血貴族』というゲームの続編、『吸血貴族2』が発売された時のこと、お年玉をにぎりしめて近所のゲームショップへ買いに行ったところ、欲しかった『吸血貴族2』は他のゲームソフトとセットにされ割増料金で売られていたのだった。悪名高き〈抱き合わせ販売〉というやつである。料金は『吸血貴族2』単体より千円高く、それでもう一本ソフトがついてくるのだからトータルでは値引きされていたものの、そのもう一本が当時の来留には全くいらないものなのだから話にならない。

 それでも『吸血貴族2』がどうしても欲しかった彼は、泣く泣く余計な代金を払いそれを手に入れたのだった。

 ついでに言うと、一作目『吸血貴族』は良作だったが、この『2』の方は伝説に残るほどのクソゲーとして知られるもので、プレイした後の悔しさもひとしおだった。

 その時、抱き合わせで買わされたソフトというのが、この『レムリアのレンズ』だった。その時はろくに見もしないで投げ捨てて、どこかにまぎれていたのが今になって出てきたのだった。

 パッケージを見るとRPGらしい。今、高値になっているのは、御木九六夢というデザイナーの作品だからということだったが、最近のオンラインゲームに興味のない来留にとっては、知らない名だった。

 それでも隠れた名作というなら、プレイしてみたかった。

 問題は、ハードだが。パッケージの表記によると《テールブレイン》という機種のものだった。サイズからすると携帯ゲーム機らしいがそんな名前は聞いたことがなかった。ネットで調べると、これも入手難で価格も高騰していた。

 いっそ未開封のまま売ってしまった方が得なような気もしたが、やはりプレイしたい気持ちも強かった。

 何とかならないか、できるだけ調べてみようと思い、まずゲームに詳しかった高校時代の友人、長谷川君に電話してみた。

 《テールブレイン》というゲーム機が手に入らないか、と聞くと長谷川は「何で?」と聞き返してきた。

「ちょっとやってみたいソフトがあってさ」

「おい、まさかそれ『レムリアのレンズ』じゃないだろうな?」

「あー、いや、何かよくわからないんだけど」

 へんに食いつかれても面倒なので来留はごまかしておいた。

「ふーん、だが、《テールブレイン》なんて『レムリア』以外はろくなもんはないぞ。メーカーもすぐ倒産しちゃったしな」

「そうなの。で、手に入らないかな」

「いや、待てよ……最近見かけたって聞いたな……そうだ、後輩の女子がどこかで……」

「それ、話聞ける?」

「おお、わかった、電話してみよう。何かわかったら連絡するよ」


 来留が部屋の片づけを終えて一休みしている時、長谷川から電話があった。

「わかったぞ」

「本当?」

「ああ、そのコが言うにはだな、鮟鱇町に平目神社ってあるだろ」

「うん」

「家族でそこへお参りに行った時にな、長い階段を昇り降りして疲れたんで、帰り道、喫茶店に立ち寄ったんだと、で、その喫茶店というのがインベーダーゲームなんかが流行っていたころにできたらしくて、かなりボロい店だったそうだが、でもゲーム喫茶ってことで、客に携帯ゲーム機を貸し出して、店内で自由に遊べるってサービスをやってた。で、そこで貸し出してたゲームの中に《テールブレイン》らしきものもあったって言うんだな。もっともソフトは野球ゲームみたいなのが一本きりだったそうだが」

「へえ、そんな店があるんだね」

「ま、それも三年くらい前の話だっていうから、今はどうなってるか……」

「ふうん、一応行ってみようかな。店の名前は?」

「それが、はっきり覚えてなくて、〈乙女座〉か〈蠍座〉か、とにかく星座の名だって」

「平目神社の近くで、星座の名の喫茶店か、それだけわかれば探せそうだな」

「マジで行く気か?」

「うーん、まあ暇だったらね」

「じゃあ、もしもな、そのゲーム機本体が、もうぶっ壊れてたら何とか譲ってもらえよ。俺そういうの直せるやつ知ってっから」

「わかった、ありがとな」

 来留は電話を切った。

 グーグルマップで調べても、平目神社の近くにそれらしい喫茶店はなかった。が、たんに情報を載せてないだけかもしれない。はっきりした場所がわからないのでは、ストリートビューでも手間がかかるだろう。

 鮟鱇町なら、バイクで一時間足らずで行ける。

 明日からバイトのシフトが立て込んでいて、次の休みは一週間後だった。それまで待つよりは、今日のうちに店があるか、そしてゲーム機があるか確かめておきたかった。

 ソフトを持ち込んでその店でプレイできるなら、休日ごとに通って『レムリアのレンズ』を少しづつ進めるのも楽しそうだ。

 あるいはもうそのゲーム機は壊れているかもしれない。だが、上手くすればそれをタダでもらえるかも。そしたら長谷川の知り合いに修理してもらって、意外と安く稼働状態の《テールブレイン》が手に入るかも。

 そんな虫のいいことを考えながら、来留は鮟鱇町へ向けてバイクを走らせた。


 鮟鱇町は、私鉄の鮟鱇駅を中心に北には高級住宅街、南には繁華街と工業地帯が広がっていた。

 平目神社は町の北西部のはずれ、小高い山が境界になっているあたりにあった。

 来留は神社へつづく長い階段の下でバイクを止めた。ここから駅へ向かう道のどこかに星座の名が付いた喫茶店があるわけだ。スマホで道を確認し、一ブロックづつ周囲をめぐりながら探すことにした。

 乙女座か蠍座。待っていてくれるなら乙女の方がいいんだが……。

 意外と早く、その喫茶店を見つけた。

 畑と山の斜面にはさまれ、ポツンと孤立した店だった。

 古びたテント庇に端正な明朝体で〈射手座〉と書かれていた。

「射手座か……」

 長谷川の後輩ははっきり覚えていないと言っていたらしいから、多分ここだろう。しかし、道に面した大きな窓はベニヤ板でふさがれていて、営業しているようには見えなかった。二階は住居スペースのようだが雨戸が閉まっている。すでに廃業して、無人のようだった。

「射手座か……」店名を見上げながら再度つぶやいた。

 なぜ射手座なんだろう。店長が射手座の生まれだったのか。いや、インベーダーゲームが流行ってるときにできたゲーム喫茶と言ってたから、インベーダーのプレーヤーを射手に見立てた洒落なのかもしれない。

 そんなことを考えていると、窓の下でかすかに機械の唸る音が聞こえた。見れば、クーラーの室外機が回っている。ということは人がいるのだろう。

 小さなガラス窓のはまった木のドアを、来留は開けようとした。鍵はかかっていなかった。勝手に開けるのもまずいと思、いいったん閉めてから、ノックをして声をかけた。「すみませーん」

 しばらく待っても何の音沙汰もなかった。

 どうするか。クーラーが回っているなら誰かいそうなものだが。しかし、すでに営業していない店へ押しかけて、ゲーム機がないかなどと聞くのは、あまりに図々しいような気もしてきた。

 あらためて店のおもてを眺める。窓が板でふさがれているが、それで営業していないと言い切れないのではないか。ドアにカギはかかってないんだし。そう思って、そっとドアを開け、頭を突っ込んだ。「すみませーん」

 目の前には、衝立のようなものがあって店内の様子はよくわからなかった。蒸し暑い空気がこもっていた。薄暗いが、かすかな明かりがぼんやりと光っていた。そしてバチッバチッと電気がスパークする音が聞こえた。

 電線がショートしてるのだろうか。来留は店の奥へと入って行った。

 さほど広い店ではなかった。右側にカウンターがあり、左側にはテーブル型のテレビゲームが二台、置かれていた。

 カウンターや奥の棚はホコリと蜘蛛の巣にまみれていて、ずっと使われていないことは明らかだった。しかし何故か二台のテレビゲームは電源が入れられていて、メンテナンス中なのか内部の機械がむきだしになっていた。

 人がいる気配はなかった。

 明かりが見えたのは、ゲームのモニターが発光しているためで、それは何とも形容しがたい異様な光りかただった。

 近づいてよく見ると、ゲームはメンテナンス中というよりは、いろいろ部品を付け足され改造されているのだった。電子回路に、見たこともない不思議な部品が付け足されていた。

 椅子の上には、工具やあまった部品とともに赤い革表紙の本が一冊置かれていた。カタカナで『アクロガイスト』とタイトルが記されていた。

 これは何だろうと、手を伸ばした時、またゲーム機がバチッと火花を散らした。

 モニターの光が激しく輝いていた。そして、光がもやのように立ち昇りだした。

「な、何だ……!?」

 オーロラのように輝くもやは、二台のモニターの中心で混ざり合い、一つの像をむすんだ。ホログラムのように。

 それは人の姿をしていた。ぼろきれをまとった老人で、やせこけ土気色の顔をしていた。まるで墓から出てきたばかりのミイラだ。

 ミイラのような老人は、来留のほうへ目を向けると、枯れ枝のような手で彼を指差した。

「おい、お前」かん高い声で呼ばれた。

「えっ、ぼくのことでしょうか?」

「そうだ。わしの名はカルガシン。今、サングカの谷から語りかけておる」

「はあ」

「わしは、時空転送器が故障してそちらへ戻れず困っていたのだ。君に修理してもらいたいのだが」

「ええ、いやあ、無理でしょう」

「簡単な操作で済むのだ。頼む。そこの機械本体からコードで繋がれた小さな機械があるだろう」

 来留が探してみると床にそれらしいものがあった。手に取って見ると、それこそは彼が探し求めてきた《テールブレイン》なのだった。ソフトを挿すためのスリットに何本ものコードが接続され、余計な部品も付け足されていた。

「これ……」

「それにバックアップデータが保存されているのだ。電源を入れてくれれば、後は自動修復するはずだ」

 来留はスイッチを探してオンにした。

 テレビゲームが唸りだし、あちこちで火花が散った。老人の立体映像がゆがんで渦を巻きながら、激しく発光した。

 その直後、何かが目の前に投げ出された。実体化した老人カルガシンの身体だった。

「うう……」

 老人は倒れたまま苦しそうに呻いていた。

「あ、だ、大丈夫ですか?」来留は思わず声をかけた。

 ぼろをまとった老人は、肩で息をしながら何とか身を起こした。

「サングカの谷は……別名魔蟲の谷とも呼ばれる恐ろしいところだ」

「それはどこにあるんですか?」

「今の地名ではグリーンランド、その奥地だ」

 その時、テレビゲームが唸りだし、また光のもやが発生した。

「い、いかん、やつが来る!」

 老人はあわててぼろきれの下を探って何かを取り出そうとした。やがて出てきたのはオモチャの光線銃のようなものだったが、構えようとして床に落としてしまった。

「だめだ、まだ手がしびれている。君がかわりに撃ってくれ」

「な、何があらわれるんですか?」

「ギールの蠍だ。しつこくわしをつけ狙ってるやつじゃ」

 輝くもやの中には、黒い影があらわれつつあった。

「あれを撃たないと二人とも殺されるぞ」

 来留は足元に落ちていたくすんだ真鍮色の銃に手を伸ばした。持ってみるとずっしり重い。

「一度しか撃てんからよく狙え」

「はい」

 来留は引き金を確認して指をかけた。この距離なら外れることはないだろう。

「まだ撃つな。実体化する前では効果がない。実体化の直後、動き出す直前の瞬間がチャンスじゃ。そのタイミングを逃せばやつは一瞬で襲ってくるぞ」

「そそそんな……」

 黒い影の輪郭がはっきりしてきた。巨大な蠍のようだ。

 次第に明らかになりつつあるその姿は、とても地上のものとは思えない異様な器官の集合体だった。

 見ているだけで正気を失いそうだ……。

 蠍の怪物がすっかり実体化した時には、来留の意識は半ば気絶していた。

「おい、はやく撃て!」

 老人に肩をゆすられ我にかえった。黒い怪物が飛びかかってきた。

「うわぁあああっ」

 来留は叫びながら引き金を引いた。閃光が走る。

 蠍のはさみが触れる寸前、その体躯は砕け散った。

 散乱した怪物の器官は煙を上げて灰と化した。

 来留は腰を抜かして、がくがく震えていた。

「もう大丈夫じゃ」老人が銃を取り上げながら言った。


 いつの間にか、改造されたテレビゲームから火が出ていた。炎はすぐに大きくなり、カーテンから天井へと燃え広がっていった。

「か、火事だ!」

 来留は這うようにして外へ逃れた。あの老人もすぐに出てきた。赤い革装の本を抱えていた。

「あ、あなた一体、何なんですか?」と来留は聞いた。

「わしの名はカルガシン、放浪の妖術師である」

「でも、何でこの店に?」

「時空転送器を組み立てるのに必要な電子部品が、あのテレビゲームの中にあったのでな。ちょうど無人だったこの店を利用させてもらったんじゃ」

「なるほど……」

「わしはあまりこの世界の人間とかかわるわけにはいかんのだ。放浪中の身で礼もできなくて悪いが、先を急ぐのでな。さらばじゃ」

 そう言って、妖術師カルガシンは去った。

 その背を見送っていると、少し先で姿がぼやけたかと思うと消えてしまった。転送器とやらを使わなくても消えることは出来るらしい。

 喫茶店は燃え盛っていた。

 放っておくわけにもいかず119へ電話したが、消防車が着いた頃にはほとんど全焼していた。

 あとでテレビゲームに妙な改造がなされていたことが問題にされたが、来留は、たまたま通りがかって通報しただけと言って切り抜けた。

 あの火事では、彼が探していた《テールブレイン》もすっかり溶解してしまっただろう。

 未開封の『レムリアのレンズ』はまだ手元にある。だが彼は当分ゲームのことなど考えたくもなかった。

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